第五節 粉砕魔道具、粉末果物
十一月に入り、王都の朝は、夜明けの名残を引きずる薄曇りに覆われていた。セトリアナ大河から立ちのぼる白い靄が街を漂い、石畳の隙間にはしっとりと水気が残っている。並木道の枝先には赤や黄金の葉がまだ踏みとどまっていたが、風がそっと撫でるたび、はらりと舞い落ちて通りを彩った。
前日の祝宴の余韻が、なおほのかに残るマクシミリアン公爵家のタウンハウス。玄関先の花飾りは、朝の風に小さく揺れ、廊下には果実酒の甘やかな香りと、焼き菓子の匂いが静かに漂っていた。
広間の片隅では、遅くまで片づけに追われていた侍女たちが、ひそやかに朝の挨拶を交わしている。
「ミレーユ様とレグルス様は今日も本当に、お可愛らしかったですね」
「ええ、本当に……朝なのに、一日の疲れがふっと和らぐような、そんな気がいたしますわ」
マティルダ公爵夫人は、前夜アルフォンスが準備した乾燥果物を、ジークハルト邸へ届ける手配を進めていた。届け物とともに、午後にはティアーヌと二人で訪問する旨の先触れを、執事に指示していた。
ひとりごとのように「昨日は……少し、舞い上がりすぎたわ」と、つぶやきながら、窓際に立って外を見やる。
「アルフォンスに、悪いことしちゃった。あの子は優しいから、つい甘えてしまうのよね」
苦笑気味に言ったその声に、部屋の扉が開き、明るい笑い声とともにゼルガード公爵が現れた。
「ははは、マティが舞い上がってるのを、アルフォンスは楽しそうにリュミエール嬢と一緒に見ていたぞ。あの二人、なかなか息が合ってる」
「ゼル……っ、くぅ……だから言わないでってば、恥ずかしいのに……!」
マティルダ公爵夫人は両手で頬を覆いながら、身をくねらせるようにうつむいた。その表情は赤く染まり、けれどどこか嬉しげだった。
朝の静けさが漂うマクシミリアン公爵家のタウンハウスには、穏やかな時間が流れていた――。
久しぶりに慣れ親しんだガゼボでお茶をしているアルフォンスとリュミエール。久しぶりに来てみたが工房のような扱いはそのまま維持され、掃除も行き届いていた。
「ありゃ、ここを占領してたけどまだ占領状態は続いてるみたいだ」
リュミエールは少し呆れ顔で「それは勝手に片付けられませんわ」と、穏やかな音色で応える。
「今日、ここに来たのは何故ですか?」
アルフォンスは棚をガサゴソと漁りながら、「昨日、乾燥果物作ったよね?」と問いかける。
「えぇ、色々な果物がありましたわよね。果物見ただけで、マティルダ様の浮かれぶりが目に見えてとても可愛かったですわ」
アルフォンスは苦笑しながら「言うと照れるからお手柔らかにね」と、応えながらテーブルの上にいくつかの資材を置いていく。
アルフォンスが何かを作ろうとしていると察し、リュミエールは「何を作りますの?」と、お茶の準備を進めながら確認した。
「あれだよ、乾燥果物を作ってて思い出した〈粉砕魔道具〉をとりあえず作っておこうかなと。陣図はリュミィに渡したけど、バタバタしてたからまだマティルダ様に渡してないよね?」
リュミエールは「あっ……」と、声を漏らして「忘れてましたわ」とすまなさそうな顔になる。アルフォンスは、振り向いて「色々バタバタしてたから仕方ないよ」と笑顔で伝えた。
「で、結局昨日は乾燥果物で時間がなくなったから今日作ろうかなと。昨日の分を運ぶ手配はしてるような気がするから二度手間になるけど……まぁいいよね」
テーブルの上に錬成台を置いてアルフォンスも着席する。リュミエールが淹れてくれた紅茶を飲みながら「公爵家のみなが本当に幸せそうな顔をしてたのが嬉しい」と昨日感じたことをリュミエールに伝えた。
リュミエールはうなずきながら「本当に素敵な夜でしたわ」と、幸せに包まれていた昨夜の雰囲気はとても心地よかったと伝えた。
アルフォンスは「さて始めよう」と、錬成台に〈融合〉の錬成陣を構築する。基盤の材料はグラに何回も念を押されているので覚えている。鉄、銀、ミスリル粉を錬成陣に置いていく。魔道具の基盤は工業製品に属するので工夫はいらない。
静かに魔力を流していくと錬成陣に淡い光が走り、置いた材料が溶けて混ざり混合物になり、そして基盤用の素材が現れる。引き続き、錬成陣を〈変形〉に構築し直し魔力を流していく。淡い光が走った後には基盤が現れた。
「やっぱり、〈変形〉は特に問題なくできるよね。なんで〈造形〉は駄目なのか分からないなぁ。リュミィどう思う?」
アルフォンスはリュミエールを見ると、少し目が泳ぎながらも「やはり、形を作り出すというのは難しいのでしょう」と、少し平坦な滑舌で応える。
実りがなさそうだなと、アルフォンスは席を立ち棚に向かい陣図を描画するための道具を集め、テーブルに置いて座り直す。リュミエールは、侍女にお茶のお代わりをお願いし、席を立ちリトルを迎えに散策に出かけた。
基盤を作る準備だけ進め、お代わりのお茶を飲みながら棚にあった乾燥果物を摘み考える。魔法陣に関しては、魔法陣応用概論までは読んだ。ここまで読んだことで自分で出せる魔法の魔法陣はいつでも引き出せる。でも、実践概論を読ませてもらって知らない魔法陣を覚えたいという思いはある。
それに、セレスタンさんが実践概論に入れてない魔法陣を僕が書き起こしていくのも必要な作業という気がする。セレスタンさんに手紙を書いてアラン伯父さんに託しておくのがいいかもしれない。
「あら、まだ始めてはいなかったのですね」
リュミエールがリトルを連れて散策から戻ってきた。アルフォンスは、考えていたことをリュミエールに伝え意見を聞いてみる。
「そうですね、セレスタンさんを捕まえるのはなかなかに手間がかかりますし、アラン伯父さんのところは通過するとき寄ると思いますわ。お手紙が書き終わったらわたしの方で出しておきますね」
アルフォンスは「ありがとう」とお礼を言い、〈粉砕〉の魔法陣を組み込んだ陣図を基盤に描いていく。『陣図を描くのは久しぶりだけど楽しいし落ち着くな』と、横に座るリュミエールの気配を心地よく感じつつ集中して描いていく。
「よし、たぶんこれでイケるはず」
アルフォンスは基盤に陣図を入れ終わり背筋を伸ばして強張りをほぐす。本来は、ここから基盤の保護を施し外装を整えるわけだが、「外装を整えるのはグラが担当してたから今回は諦めよう」と呟いた。
作成した基盤の上に敷布を敷いて試しに魔道具を起動してみる。特に変化がないのを見て頷き、敷布の上に乾燥果物を並べていく。並べる先から横から手が出てきて少しずつ摘んでいくが気にしない。
「よし、リュミィは風魔法の〈防壁〉を展開してくれるかな。僕の方はこっちで展開するからリトルと一緒にいてね。まぁ、大丈夫だと思うんだけど」
リュミエールがリトルの横に移動して発動したのを確認し、自分に〈防壁〉を発動して魔道具に魔力を流し込んでいく。敷布の下でほのかに発光しているのが見え、並べた乾燥果物が形を失っていく。しばらく魔力を流し粉末状になったのを確認して魔力を止めた。
アルフォンスはリュミエールを呼び寄せて「粉末果物できたよ」と、粉末果物をソーサーに移して渡す。リュミエールはティースプーンで味見して幸せそうな顔になったのを見て『余談のようにできた魔道具だけどいいものができた』と思った。
その後は、リュミエールが〈粉砕魔道具〉で好みの乾燥果物を粉末果物にしている横で、アルフォンスは柑橘系を中心に錬成陣で粉末にしていった。ふたりは会話もなく、侍女が「昼食の準備が整いました」と声を掛けるまで黙々と粉末果物を作り続けた。
食堂に移動する際、リュミエールはガゼボの側にいるリトルに、「お昼を食べてきますので、リトルも食事をもらってね」と声を掛け、侍女に「リトルの分の粉末果物をお願いしますね」と伝える。
食堂へ向かいながらリュミエールが「リトルは甘味の強い粉末果物が好きですが馬はそうなのかしら?」と尋ねる。アルフォンスは「リトルの個性では?」と答え、ふたりでくすくす笑いながら歩みを進めた。
食堂につくと、マティルダ公爵夫人と母ティアーヌが既に席について談笑していた。ふたりは「遅くなりました」と挨拶して着席し、配膳された昼食を食べ始める。
「マティルダ様、粉末果物ですが魔道具で作れるようにしました」
アルフォンスは補足説明を付けながら、午前中に作った〈粉砕魔道具〉についてざっと説明する。リュミエールは「妊婦さんの栄養補給に粉末状なのは好都合だと思いますわ」と二人に伝えた。
ティアーヌは頷きながら、マティルダ公爵夫人に感じたことを伝えた。
「かなり合理的に必要な栄養を色々な形で取り入れやすくなると思いますわ。粉末状であれば調理に使うことも視野に入ります。色添え的に使われている乾燥果物よりも利用範囲は多分広いと思いますわ」
マティルダ公爵夫人はアルフォンスに向き直り、「魔道具として量産するの?」と確認の質問をした。
「いいえ、基盤だけで魔道具として仕立てたのと、陣図はもう描いてありますので魔道具工房に量産はお願いしようと思います」
「初期作の魔道具とは思えないほどスムーズに使えましたので基本的には大丈夫と思いますわ。ただ、粉末果物を受け取る部分は調整したほうが良いかなと思いますが、アルそうですわよね?」
「あっ、そうそう。受け皿は完全に抜けてたんだよね。敷布を敷いたところで気がついたんだよ? いちおう……」
マティルダ公爵夫人はうなずき、「今日の午後はマリエッタのところに行きますので、粉末果物で贈っていいものを後で渡してください」と応え、準備のためティアーヌと一緒に食堂を退室していった。
粉末果物はこの後、多くの場所で使われていくことになる。街中で見たことのない粉末果物を見て嬉しそうに買い込む二人の姿を見ることになる――。そして、〈粉砕魔道具〉もまた多くの利用方法が考えられ、量産のため王都の魔道具工房が関わることになる。




