閑話 盾の覚悟、ゼルガードの嫁取り
閑話「戦姫シリーズ」エピソード3
フェルノート王国 王都〈リヴェルナ〉 王宮――。
国王執務室は二人の男性が話し合いをしていた。しかし、その場の空気は重苦しく、二人の間に漂う沈黙がさらにその重さを増している。
ヴァルディス国王は深く腰掛けた椅子から、正面の男に視線を向けた。
「宰相、ゼルの伴侶に関しては王宮からの視点で意見は出ているか?」
グラディウス宰相は腕を組み、静かに答える。
「王宮としての見解は決まっていません。マクシミリアン公爵家は〈王国の盾〉という明確な指針があります。その指針が達成されるかのみ判断されることになります」
ヴァルディス国王は、グラディウス宰相の言葉を一度咀嚼し、自身の考えを伝える。
「俺としては、ヴァルディス辺境伯家のマティルダが良いと考えている。そこのところ、宰相はどう考える?」
グラディウス宰相は少し顔をしかめた。
「辺境伯家の次女でしたか。この間の葬儀で騒ぎを起こしたと聞いていますが、問題はないのですか?」
「ないな、あれはローベルトの死に寄り添ってくれただけだ。心の底からローベルトのために泣いてくれたのはマティルダだけだろう。それを無作法と思わんし、礼儀知らずとも思わん」
思いがけない返答に、グラディウス宰相はわずかに目を見開く。
「ローベルト様とマティルダ嬢は面識があったのですか? そのような話は聞いたことありませんが」
ヴァルディス国王は、遠い過去を思い出すように天井を見上げる。
「ひとつだけ情報がある。情報というよりローベルトが顔を見せに来たときに『マティルダは可愛くて素直で天賦の才を創生の女神様から与えられた娘だ』と、確かそんな惚気を聞いたことがあるな」
「きちんとは聞かなかったのですか?」
ヴァルディス国王は、困ったように眉根を寄せる。
「あいつ、そういう話になると長いんだよ。以前、誤ってあいつの奥さんの話を聞かされたときは途中から意識失ってたぞ」
グラディウス宰相は「コホン」と咳を挟み、空気を変えようと努める。
「婚儀に関してであれば本人に確認はしといた方がよいでしょう。ゼルガードにまだ話してないのですよね?」
ヴァルディス国王は、疲れたように片手で顔を覆った。
「ぶっちゃけ、それどころではないからな。公爵として公務、騎士団の掌握とかすることが多すぎるからな。幸いなことに、騎士団長のルドワンが執事として仕えることで騎士団の方は落ち着きが出てきた」
その言葉に、グラディウス宰相は驚きで目を見開く。
「ルドワン卿が一線を退かれたのですか? それほどまでにゼルガードは支える価値ありと判断されたということですか――」
「まぁ、いい歳だしな。でも、あいつもマティルダの前で動けなかったのが引き金だろうな。ゼルは動いた、動機は何となく分かるが、それはそれとして仕えるに値すると考えた結論だろうな。ルドワンらしいと思うぞ」
グラディウス宰相は、その言葉を深く噛みしめるように頷いた。
「であるなら、〈王国の盾〉の中軸が認めたマティルダ嬢を王宮も支持させて頂きます」
ヴァルディス国王は、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「何だよ、俺よりルドワン推しかよ。つれないねぇ」
ヴァルディス国王は、机の上にある小さな鈴を鳴らした。すぐに扉が開き、侍女が顔を覗かせる。
「お茶のおかわりと、ゼルガードをここに呼んでくれ」
グラディウス宰相は、信じられないという顔でヴァルディス国王を見つめる。
「ゼルガードを呼んでいたのか? 忙しいのにひどい話だ」
ヴァルディス国王は肩をすくめた。
「何言ってる、嫁さんの話は優先順位が高えだろ。断らんのは分かってるが、そういう話でもないしな」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、扉がノックされ「マクシミリアン公がお見えになりました」と声が掛かったので、入室を許可する。
ゼルガードは扉を開け、執務室へと入ってきた。
「兄上、今日の呼び出しは何ですか? 王都にいたので領地の仕事が滞っている。今日にでもバストリアに移動しようと思ってたのですが」
「だから呼んだ、ゼルのお嫁さんの話だ。俺としては、政治的な面でも、軍事的な面でもヴァルディス辺境伯のとこのマティルダ嬢押しなんだが、どうだ?」
ゼルガードは、苦いものを噛んだような顔になる。
「嫁とかそんな時間が取れないよ。落ち着いてからで十分だろ? そんな話ならバストリアに向かってればよかったよ」
ヴァルディス国王は、その言葉を聞いて表情が抜け、静かに頷く。
「そうか、マティルダ嬢は駄目か、エドリックに伝えとく。気をつけてバストリアに向かえよ。身体は大事にしないと重要な場面で下手こくからな」
ヴァルディス国王はゼルガードにひらひらと手を振って退室をうながす。
「待て、なぜマティルダ嬢が駄目とかの話になる? 関係ないだろ」
ヴァルディス国王は、目を細め真面目な顔をしてゼルガードの気遣いのなさを指摘する。
「いや、ゼルの話だと数年は駄目だろ? マティルダ嬢はお前と同い年だぞ、婚約者の選定だってしてるだろうし、駄目な相手は知っておいた方がいいに決まってるだろ。あの子は王家同等のマナー教育終わってんだ、家格で相手を決められない以上は――恋愛結婚しかないんだから時間が足りないだろ」
ヴァルディス国王は、ゼルガードから興味を失いそっけなく退室を再度促す。
「忙しいんだろ? さっさと帰れよ。無駄な時間取らせて悪かったな」
ヴァルディス国王はグラディウス宰相に向かい、真剣な声で決定を伝える。
「ということで、王家から辺境伯家に婚約の斡旋はなしだ。〈王国の盾〉はゼルに任せはするが、駄目そうなら奏上してくれ。在地増やして公爵領は解体する」
「兄上! なぜそういう話になるのですか! こっちが整ってないから時間が必要だと言ってるだけです」
「バカか、優先順位が理解できないやつは使い物にならん。お前、溢れにお前と騎士団だけで対応できると考えてるのか? しばらくは大丈夫と思うが、お前たちだけに任せるのは国王として不安なんだよ」
ゼルガードは、両手をギュッと握りしめ、悔しそうに俯く。
ヴァルディス国王は、静かに言葉を続ける。
「政略的に、〈王国の盾〉にマティルダ嬢の武力が必要と判断したから手回しを検討し始めた。とはいえ、弟に盾だけでなく嫁まで押し付けるんだ筋を通すために呼んだんだが、それを理解できてないような奴は使い物にならん」
ゼルガードの両手からは血が滲み始めていた。――「ふぅ」と息を吐き出し、顔を上げた。
「兄上、すみません。――俺は兄上に甘えたことを言ってました。〈王国の盾〉に必要なのは過程でなく結果です。『おれは頑張ってる』と無意識のうちに奢ってました」
苦痛の顔をしていたゼルガードは、覚悟の表情に変わりヴァルディス国王に頭を下げる。
「頑張りなんてして当たり前、必要な結果は王国を守護すること。そのための手回しは早ければ早いほどよい――嫁取りの話をさせて頂けませんか?」
ヴァルディス国王は弟をじっと見つめていたが、その瞳の奥にあった厳しい光が、ふっと和らいだ。
「俺がクラリスと婚約を結んだのは十二歳のときだ。親父があれだったから王太子として必要な、まぁ政略だな。まぁ、クラリスとは上手くやってるから政略結婚が悪いわけではない――。もっとも、リーズを引き込んできたときはマジ困ったけどな」
空気のように静かにしていたグラディウス宰相だが、見ると肩を震わせながら笑いを堪えていた。
クラリス王妃に説得され、リーズを側妃に入れる手伝いをさせられた時のことを思い出していたのだ。あのとき、クラリス王妃とグラディウス宰相の思惑に振り回され、あたふたしていたヴァルディス国王の姿は、今もグラディウス宰相の記憶に鮮明に残っている。
「ちくしょう、親父や宰相のおかげで王国を回せてただけに怒りにくいんだよ」
グラディウス宰相は、笑いを堪えきれずに震える肩をなだめ、冷静な声で反論する。
「何のことやら、リーズ様のことは幼馴染である陛下が気になされていたから、クラリス様が気を遣っただけのこと。お受けになったのは陛下ではございませんか」
「んがー、そうだよ! リーズとは小さい頃に『お嫁さんになってね』ってお願いしたから責任を感じてたんだよ!って何言わせんだよ」
ゼルガードは、冷静に兄をいさめる。
「兄上、自分から言った言葉で切れないでください。面倒です」
「すまん、マジでリーズのことはほんと嬉しかっただよ? 嬉しかったけど、それとこれは違う話だろ? 嫁さんに嫁さんを斡旋されたときの気持わかるか?」
「兄上、分かるわけありません。俺は独身者です」
そのやり取りを見ていたグラディウス宰相が、再び咳払いをして割って入る。
「陛下、ゼルガード、それぐらいにしておいて下さい。話が進みません」
二人は息をぴったり合わせて、同時に「「お前が言うな」」と、声をあげた。
ヴァルディス国王は、気分的に投げやりながらも真面目に話を続けた。
「まぁ、真面目な話としてだ、ゼルはマティルダ嬢は〈王国の盾〉であるマクシミリアン公爵家の夫人として不足はないと思ってるだろ?」
ゼルガードは眉をピクッと動かし、首を振りながら応える。
「不足? 不足してるのは俺の方です。マティルダ嬢は、あれだけの武力を持ちながら女の子でした。ローベルト兄さん……今は義父か、葬儀であれだけ泣いてくれたことは言葉は悪いけど助かった。ローベルト兄さんを慕ってくれて、――嬉しかった」
ゼルガードは少し思い出したのかゲンナリした顔はしていたが嬉しそうに語る。
「実は、マティルダ嬢のことはローベルト兄さんに聞いたことあるんだ。あれほど雄弁な姿は初めて見て、初めて後悔したけど、『あれだけの武力を持ちながら奢らず鍛練に真剣で俺と打ち合える姿勢は大したものだ』と、要約すればそんな感じです」
「なんとか声をかけたときに近くで見ていたけど、呼吸を整え涙を拭くときにまったく心の揺れは感じなかった。凄い! と思った。その後の口上がまたカッコよかった。どれだけの顔を秘めているのか、気になったな」
ヴァルディス国王は、弟の言葉に呆れたような顔を見せる。
「お前、雄弁だな。詩人か? まぁ、そういうことなら王家から斡旋しよう。ゼルにそんな手続きしてる時間ないしな。あれだろ?『結婚を前提にお付き合いお願いします』って書いとけばいいよな?」
「ちょっ、おま、兄上! もっときちんと書いて下さいよ! 呆れて断られたら泣きますよ?」
「分かった分かった、ちゃんと書くよ――クラリスが」
その言葉に、ゼルガードとグラディウス宰相は同時に「「お前書けよ」」と、声を上げた。
ヴァルディス国王は、驚きで目を丸くする。
「えっ? 書いていいの? まじで?」
グラディウス宰相は頭を下げ「御意に従い、クラリス様にお願い致します」と、述べる。
助っ人が現れたゼルガードは、深く頭を下げグラディウス宰相にお願いする。
「グラディウス宰相、お願いします」
ゼルガード公爵の嫁取りのため王家が斡旋する形で辺境伯家に通知が届くのは二十日後頃となる。――そのことを知る由もないマティルダは、呑気に旅路を楽しんでいた。
名前 : 役割/関係性 : 説明/特徴 (Gemini作+補筆)
■ヴァルディス・フェルノート : 国王 :二十三歳、 ゼルガードの兄。ローベルトの死に際してマティルダが心から泣いてくれたことを評価している。クラリス王妃、リーズ側妃と結婚している。
■グラディウス・アストレイン : 宰相 : ヴァルディス国王とゼルガード公爵の会話に同席している。王宮としての見解を述べる。クラリス王妃に説得された過去を持つ。
■ゼルガード・マクシミリアン :王弟、公爵 : 十六歳、〈王国の盾〉を担う公爵。ローベルトの葬儀でのマティルダの姿勢を評価し、武力と内面を認めている。兄に甘えたことを言っていたと反省する。
■マティルダ・ヴァルディス : 辺境伯次女/ゼルガードの婚約者候補 :十六歳、 ヴァルディス辺境伯家の次女。ローベルトの葬儀で騒ぎを起こしたが、ヴァルディス国王とゼルガードに評価されている。王家同等のマナー教育を終えている。武力と覚悟を持つ。
■ローベルト ・マクシミリアン: ゼルガードの義父/前公爵 : 故人。マティルダのことを「可愛くて素直で天賦の才を創生の女神様から与えられた娘だ」とゼルガードに語っていた。
■ルドワン : 元騎士団長、ゼルガードの執事 : 騎士団長から退き、ゼルガードの執事となった。ゼルガードを支える価値があると判断した人物。
■クラリス・フェルノート: 正妃 : 二十二歳、ヴァルディス国王が12歳の時に婚約を結んだ。リーズ側妃を迎え入れる際にヴァルディス国王を説得した。ゼルガードとマティルダの婚約斡旋の書面を書くことになった。
■リーズ・フェルノート : 側妃 : 十八歳、ヴァルディス国王の幼馴染で、クラリス王妃の斡旋により側妃となった。
■エドリック ・ヴァルディス:辺境伯 : ヴァルディス国王がマティルダとの婚約斡旋の中止を伝えようとした相手。




