第五節 探検と王都観光、団欒のぬくもり
十月の朝日を浴びる王都――。
ほんのりと冷えた風が、薄手のカーテンの隙間から忍び込み、空気に新しい季節の気配を運んでいた。アルフォンスが目を覚ましたのは、その空気の変化ではなく――微かな気配の揺らぎだった。
まだ薄暗い寝室の中。同じベッドにいたミレーユとレグルスが、そろりそろりと身体を起こし、布団から抜け出そうとしているところだった。
「……どうした?」
声をかけると、ふたりはぴたりと動きを止め、驚いたように顔を見合わせた。
「朝の探検ですわ!」「アル兄も、行こう!」
揃って囁く声には、どこか嬉しそうな響きがあって、まるで最初からアルフォンスが同行するのが当然だと言わんばかりだった。
アルフォンスは小さく肩を竦めてから、素早く身支度を整える。双子が自室で衣服を整えている間、廊下に出て一呼吸。
まだ静けさの残るタウンハウスの空気を、ゆっくりと胸に吸い込んだ。
「アル兄、気配は抑えてね。仕事中の人の邪魔になるから」
レグルスのひと言に、アルフォンスは思わず目を細める。
この時間帯、邸宅内では急な作業も少なく、侍女やメイドたちはそれぞれの持ち場で、段取り良く動いている頃合いだ。双子はそれをよく理解しており、静かに、そして邪魔にならないように探検をしている。
その気遣いに応じるように、久しぶりに気配を抑え『……懐かしいな、この感じ』と思い出していた。伯爵領での鍛錬以来、あまり使っていなかった感覚だ。
父ジルベールから狩人の心得を聞き出したふたりは、気配の消し方や鍛錬法までしっかりと教わっていたらしい。
そして今、それをこうした〈早朝の探検〉で実践しているのだ。
やがて、三人は庭へと出た。
小径を迷いなく進むふたりの姿は、この邸宅の隅々まで把握しているようですらある。途中、剪定をしていた庭師の姿が目に入ると、双子は自然と気配を解き、朝の挨拶を交わした。
「おはようございます、ミレーユ嬢ちゃん、レグルス坊っちゃん。今日もお早いですな」
「アルお兄様、気配を戻してください」
ミレーユの小さな声に、アルフォンスも気配を戻して頭を下げる。
「ふたりが……迷惑をかけてないといいんですが」
「いえいえ。おふたりにお会いできるの、毎朝楽しみにしておりますよ」
和やかなやりとりのあと、双子は「ガゼボの花壇がきれいだった」「前よりバラの枝が減ってる」などと庭の様子を話しながら、軽く手を振って歩みを再開した。
「この時間だと、厨房は危ないね」
「タイミング的に、やめた方がよさそうね」
ちょうど朝食の仕込みが佳境に入る時間帯。三人はそっと邸宅内へ戻り、出会った侍女たちに軽く挨拶しながら、アルフォンスの部屋を目指す。
「お庭の奥は、朝の探検じゃ無理だね」
「ええ。メイドさんが言ってたわ――広すぎて迷って、涙目になったって」
危険ポイントを確認しつつ、ひとまず探検は終了。
ふたりの様子を、アルフォンスは微笑ましく見守っていた。
『朝からこんな風に動いてるのか――そりゃ、顔見知りがどんどん増えるわけだ』
食堂に足を運んだ三人を迎えたのは、思いがけない人物だった。
「おっ、アル。久しぶりだな」
穏やかな声とともに立ち上がったのは、ユリウス・マクシミリアン。公爵家の次男でありながら、Aランク冒険者として〈焔隼の翼〉を率いる男である。
「ユリウスさん! 戻られていたんですね。まだ依頼中だと聞いていました」
思わず顔を綻ばせたアルフォンスにとって、ユリウスとその仲間たちは、年上の憧れとも呼べる存在だった。
「アル兄、この人は?」
「アル兄様、この方、公爵家の方でしょう?」
双子の疑問に、ユリウスは気さくな笑みを浮かべて答えた。
「ユリウス・マクシミリアン。冒険者をやってるよ」
簡潔な自己紹介に、ミレーユとレグルスは目を輝かせる。
「冒険者って、どんな冒険したの?」
「まあ、領都で見かけた人たちよりも……ずっと強そうですわ」
「ほらほら、落ち着けって。まずは朝ごはんにしようか」
アルフォンスが笑いながら声をかけると、食堂は一気に賑やかな空気に包まれた。食後はラウンジへと移り、ユリウスは春頃までしばらく王都に滞在することを教えてくれた。
そして、ふとした拍子に、ユリウスはにやりと笑みを浮かべて提案する。
「せっかくだし、王都を少し案内してやろうか。お前たちも一緒にな」
途端に、ミレーユとレグルスが歓声を上げる。抑えきれないほどの喜びように、周囲の大人たちも思わず微笑むほどだった。
一方、リュミエールはこの日、マティルダ公爵夫人とティアーヌとのお茶会に招かれており、アルフォンスたちは三人で王都見物へと出かけることになった。
午前中は王宮の外壁沿いを歩き、立ち入り禁止区域の尖塔のひとつに案内され、そこから王都の街並みを一望した。
市場では珍しい品を手に取りつつ、気に入った物があっても手荷物にせずに済んだ。
店主たちは「ユリウス様のご用であれば」と快く届けを申し出てくれる。
「……有名人って、すごいんだな」
「だろ? そのうちお前も、そう呼ばれるさ、アル」
軽やかなやり取りを交わしつつ、三人はデザート用の果物だけを手に入れ、行きつけの食堂へと向かった。
そこでは、〈焔隼の翼〉の仲間たちが個室で談笑していた。再会を喜びながら、アルフォンスは双子を丁寧に紹介する。
「えっ!? ユリウス兄が〈焔隼の翼〉のリーダーなの!? 伯爵領のギルドでも噂になってたよ!」
「わたくしも聞いていますわ。侍女さんがよく話していましたの。……ユリウスお兄様って人気ですわ」
『……自然すぎる兄様呼び……誰も突っ込まないって、何なんだろう。これって、もう魔法の類じゃないか?』
内心でそんなことを思いながら、アルフォンスは乾燥果物を摘みつつ、気の置けない空気に身を委ねた。
ミレーユはセシリアやカイルに興味津々で話しかけ、魔法について楽しそうに語っていた。どうやら目標は〈リュミお姉様〉とのことらしい。
一方、レグルスはリオやドランに、速度を上げるための鍛錬法や、実戦的な武器選びについて真剣に相談していた。
「脚を鍛えるなら、山道より斜面。できれば森の中がいいな」
「いい目してるじゃねぇか。その調子で毎日やってみな」
その後、午後は冒険者ギルドの見学へと向かい、夕暮れ時には再び公爵邸へと戻った。戻ってみると、公爵家長男のジークハルトと、その妻マリエッタがユリウスの帰還を聞きつけて公爵邸を訪れていた。
「久しぶりだな、ユリウス。無事で何よりだ」
「兄貴こそ、変わりねぇか?」
久方ぶりに交わされた兄弟の言葉は、静かに空気を和ませた。ジークハルトは妻を伴ってアルフォンスのもとへと歩み寄り、マリエッタを紹介する。
アルフォンスもまた、ミレーユとレグルスの名を改めて伝えた。幼いふたりは小さく礼をしながら、相手の顔をじっと見つめている。
その晩の晩餐は賑やかな席となり、広々としたテラス寄りの食卓が設けられた。
外気はすでに肌寒く、アルフォンスは以前、リュミエールのために試作した防寒魔道具を、女性たちにいくつか手渡してまわった。
手のひらほどの大きさのそれは、柔らかな温風をほのかに放ち、冷え込みを和らげる。
「最近、疲れやすくて冷えがこたえるの」
そう漏らしたマリエッタには、念のためいくつか余分に渡す。
「リュミィのために短期間で作ったので、耐久性が少し心配で。多めに持っていてください」
その何気ない言葉に、周囲の視線が一斉に集まった。リュミエールだけが、わずかに頬を染めたまま、視線を手元のティーカップへと落としていた。
けれど、その唇はほんの少し、綻んでいた。
その時、ユリウスが感心したように声を上げた。
「すげえな、彼女のために魔道具作るのかよ。――ていうか、その防寒魔道具だっけか? セシリア、使い心地は?」
問われたセシリアは、嬉しそうに頷いて返す。
「めちゃくちゃいいよ。この季節だとホントありがたい。欲しいぐらい」
アルフォンスは少し照れたように言葉を添える。
「まだ部屋にいくつかありますから。あとでお渡ししますよ」
その一言に、ユリウスがニヤリと笑った。
「いやー、愛されてるねぇ、リュミエール嬢」
リュミエールはすまし顔のまま「知ってますわ」と、さらりと受け流し答える。
その瞬間、あちこちから笑い声が弾けた。
柔らかく、温かく、気取りのない笑い声が、秋の夜風に溶けていく。
不用意な一言が肴となってしまったが――。
それすらも心地よいと感じるほどに、この場に満ちる空気は温かかった。
アルフォンスの家族。
マクシミリアン家の面々、婚約者マリナ。
〈焔隼の翼〉の仲間たち。
縁深き三つの輪が一堂に会する機会など、そう多くはない――。
だからこそ、この時間、この空間に、心からの幸せを感じていた。




