第四節 家族の香り、紅茶の時間
食卓には香ばしいパンと温かなスープの香りが満ちていた。冬の朝の光がゆっくりと部屋を照らし、暖炉の火がほのかに揺らめく中、家族の穏やかな時間が流れている。
食後、アルフォンスがラウンジでリュミエールに声をかけた。
「今日の予定は?」
促すような問いに、リュミエールは微笑みを浮かべて答える。
「今日は、公爵夫人とティアーヌさん、それからミレーユとレグルスとご一緒に、お茶会をすることになっているの」
ティアーヌが明るい声で言葉を継ぐ。
「ミレーユからさっき、丁寧な招待状をもらったのよ」
昼下がりの予定をさらりと告げるリュミエールに、アルフォンスはほんの一瞬だけ目を細めた。
「……お茶会、か」
関心を示したような声ではあったが、それ以上は何も言わず、「じゃあ、僕は図書館に行ってくる」と軽く手を振って背を向けた。
その去り際の姿を見送りながら、リュミエールは静かに微笑む。
部屋に戻ったリュミエールは、淡いクリーム色のドレスを手に取った。袖に繊細なレースが施された、控えめながらも品のある装い。
社交の場に出ることの少ないリュミエールにとって、所作や言葉遣いをあらためて確認するのは、自らへの礼でもあり、心の支度でもあった。
朝の光が穏やかに降り注ぐ庭園。白薔薇が咲くガゼボへと歩みを進めると、すでに主催者たちの姿があった。
「すみません、遅れてしまいました」
軽く一礼して歩み寄ると、マティルダ公爵夫人が優しく微笑み、空いている席へと手を差し向けた。
「当日のお誘いですもの。遅れるのは当然よ。それに――そのドレス、とてもあなたに似合っているわ。心遣いが伝わってくるようです」
「ありがとうございます、公爵夫人」
丁寧に応じたリュミエールに、マティルダ公爵夫人は小さく笑って首を振る。
「少し堅すぎますわね。これからは『マティルダ』と呼んでちょうだい」
思いがけない言葉にリュミエールは瞬きをしたが、すぐに姿勢を正し、改めて礼を取る。
「マティルダ様。どうぞよろしくお願いいたします」
その礼儀正しさに満足げに頷いたマティルダ公爵夫人は、ティーカップを手に取りながら、どこか愉しげに口を開いた。
「ふふ、同じ戦場で背中を預けたのですもの。私はね、アルフォンスも、あなたも、戦友だと思っているのよ」
「それも――とびきり可愛い戦友たちだなんて、素敵すぎると思わない?」
その一言に、ミレーユとレグルスの双子がぱっと顔を輝かせ、声をそろえて弾んだ。
「リュミお姉様、素敵ですわ!」
「リュミ姉、すっごくカッコいい!」
肩をすくめ、照れたように笑みを浮かべたリュミエール。その表情を、ティアーヌは穏やかに目を細めて見つめていた。
マティルダ公爵夫人に促されるまま、リュミエールは異変の出来事を語り始める。何が起こり、何を見て、なぜ戦い、そして何を思ったのか。
語り口はあくまでも静かで、芯のある落ち着きを宿していた。
双子は興味津々といった様子で話に入り込み、ときおり質問を挟んでは熱心に耳を傾ける。
ティアーヌはそんな二人の姿を微笑ましく見守りながら、ときおり言葉少なに補足を添えていた。
しばらくすると、話題は自然とリュミエールの婚約へと移っていった。
マティルダ公爵夫人が紅茶のティーカップを口に運びながら、ふっと微笑む。
「今朝、ゼルがとても良い顔をして王宮に向かわれたの。まるで遠足にでも行くような足取りでしたわ」
その言葉に、リュミエールは小さく息をつき、口元に指を添えた。
「やはり。陛下を巻き込む、というよりは、焚き付けに行かれましたか」
その冷静な反応に、マティルダ公爵夫人は心から楽しそうに笑い声を立てる。
「ふふっ。そこまで見通しているなんて、やはり只者ではありませんわね。そして、状況を見極めて一手を打つ、その判断力――それを、この年齢で持っているなんて。本当に見事ですわ。あなたの将来が、楽しみでなりませんの」
「ありがとうございます、マティルダ様」
静かに礼を述べたリュミエールの傍らで、双子がそれぞれ頬を紅潮させながら声を上げた。
「リュミお姉様が、お姉さまだなんて……ほんとうに嬉しいですわ!」
「僕たち、ずっと一緒にいたい!」
照れくさそうに目を伏せるリュミエール。その姿を囲むように、ミレーユとレグルスの笑い声が弾けた。
白薔薇が風に揺れるガゼボの中。紅茶の香りと優しい笑い声が、穏やかな午後の光に包まれながら、ゆっくりと時を運んでいく。
夜の静けさがタウンハウスに降りてくるころ、アルフォンスの部屋には、暖かなランプの灯りと、湯気立つ紅茶の香りが満ちていた。
窓辺には数束の書類が置かれ、テーブルにはふたつ分のティーカップと、薄く焼かれたクッキーが並ぶ。
二人きりの、いつもの夜だった。
「グラには夢メモを送ってあるから、あとは返事が来てから。レストール領の件はジークハルトさんにお願いしたから、そっちもひとまず待機だね」
ひと息つくようにそう言えば、隣に座るリュミエールが、ティーカップを手にやわらかな笑みを浮かべる。
「ええ。返事が届いたら、また一緒に考えましょう」
言葉のやりとりも、動作の間合いも、すっかり息が合ってきている。
ティーカップに口をつけながら、話題は自然と穏やかな雑談へと移っていった。
「それにしても双子……びっくりするくらい、あっという間にタウンハウスの人たちと仲良くなっているのよ。うちに遊びに来たときもそうだったわ――あの子たちの懐に飛び込む速さ、見習いたいくらい」
くすくすと笑いながら、どこか誇らしげにそう語るリュミエール。その声音には、妹弟を見守る姉らしいあたたかさが滲んでいた。
「たしかに。あいつら、すぐ人の名前覚えるしなぁ」
アルフォンスが笑みを浮かべかけた、そのときだった。勢いよく扉が開き、小さな足音がぱたぱたと部屋に飛び込んでくる。
「アル兄、一緒に寝よーっ!」
「アルお兄様、今日のお話、まだ聞いてませんっ!」
ミレーユとレグルスが勢いそのままに、アルフォンスへ抱きつくように飛び込んできた。思わず目を丸くするアルフォンスの隣で、リュミエールがふふっと笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。
「それじゃ、私はもう戻るわね。おやすみなさい、アル。……それと、ミレーユ、レグルスも」
「リュミ姉、おやすみっ!」
「おじゃましてしまいました、リュミお姉様」
ぺこりと頭を下げるふたりに、リュミエールは目を細めてやさしく微笑んだ。その笑みを残し、スカートの裾をひらりと揺らして、静かに部屋を後にする。
扉が閉まったあと、ミレーユがしゅんとした顔でぽつりとつぶやいた。
「……アルお兄様、おじゃましてしまいました」
その頭に、アルフォンスはやさしく手を伸ばし、そっと撫でてやる。
「だいじょうぶ。毎晩、リュミエールとお茶してるからね。今日はたまたま、ちょっと遅くなっただけだよ」
「……そうなんですか?」
「うん。ほら、いつもああやって、お茶して、ちょっと話してるんだよ」
その言葉を聞き終える前に、ふたごはぱっと顔を見合わせ、声をそろえるように言った。
「それはよかったですっ!」
満面の笑みに、アルフォンスもふっと肩の力を抜いて微笑む。そのまま三人で並んでベッドに寝転び、誰からともなく、おしゃべりがはじまった。今日のこと、昼間のお茶会のこと、庭で見つけた蝶のこと。
そんな何気ないやりとりが、ひとつ、またひとつ、やさしく積もっていく。
やがて、静かな寝息が部屋の空気に溶け込みはじめたころ――。
夜の帳が、双子をやわらかく包み込んでいた。




