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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十三章 暴風接近、婚約への道
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第三節 朝の光、探検のはじまり

 冬の気配が街の輪郭を柔らかくなぞるように、王都リヴェルナの朝にはひんやりとした冷たさが混じり始めていた。


 それでも、双子の一日は早い。


 ミレーユとレグルスの寝室は、子ども専用の離れに設けられている。侍女が起こしに来るのを待つことなく、ふたりは手際よく身支度を整えていた。


「……さて、探検に行こう」


小さく呟いたのは、レグルスだった。好奇心に目が輝く。


 王都にあるマクシミリアン公爵家のタウンハウスは広く、全体の構造を把握することは困難を極める。廊下の先がどう繋がっているのか、扉の奥に何があるのか──双子にとっては、邸宅そのものが探検の舞台だった。


「まずは、厨房を目指しましょう」


ミレーユが提案し、レグルスがうなずく。静かに足音を殺した。


 そしてふたりは、そっと部屋を抜け出して廊下へと足を踏み出した。


 大理石の床には控えめな照明が淡く反射し、まだ陽の高くない時間帯にもかかわらず、侍女やメイドたちはすでに持ち場についていた。


 忙しなく動くその姿を、レグルスがひそひそ声で評する。


「みんな、キビキビしてるな。アラン伯父さんの館より華やかだね?」


「アラン伯父様のところは領地の要所なの。王都の邸宅とは役割が違うそうよ。王都では見栄えを整えるのも一つのいくさと聞きましたわ」


さらりと返したミレーユの口調には、どこか大人びた鋭さがにじんでいた。まるで舞台裏を見抜く観客のように、冷静に状況を分析している。


 いったいどこで仕入れたのか──そう疑いたくなるほどの情報通ぶりだが、その()()()を特定するのは至難の業である。


 なお、双子の会話が時折ややこしくなるのには、理由があった。ふたりはマリーニュ伯爵家と男爵家の双方から「父や母と思って呼びなさい」と教え込まれて育った。


 紆余曲折の結果、このように落ち着いた――。

 アラン伯爵は〈アラン伯父様〉

 ダルム男爵は〈ダルム叔父様〉

 セラリア伯爵夫人は〈セラリアお母様〉

 エリシア男爵夫人は〈エリシアお母様〉


 それでも、把握している当人たち以外の人が聞けば、話の文脈だけでは判断がつかない場面もしばしばある。


 アルフォンスは、確実に混乱する。

 ジルベールとティアーヌは、もはやこの混乱状態を何とかするのを諦めていた。


 館内を歩き進めるうちに、侍女たちの動きが少しずつ落ち着いてきた。朝の支度も一段落し、忙しなかった空気にようやく穏やかさが戻りつつある。


 その変化を敏感に察知した双子は、すっと気配を切り替えた。通りかかる侍女たちに、きちんと立ち止まり、口をそろえて挨拶を送る。


「おはようございます!」


 小さくもはっきりとしたその声に、思わず立ち止まる侍女もいた。頬を緩ませた彼女たちが、すぐに柔らかな笑みを返す。


「ミレーユ様、レグルス様。おはようございます。――お早いのですね」


 ふたりはにこやかに手を振りながら歩みを進め、互いに小声で囁き合った。


「名前、ちゃんと知ってたわね」

「すごい……王都の邸宅って、やっぱり管理が行き届いてるんだ」


 やがて、目指していた厨房の近くへとたどり着く。廊下の影からそっと顔をのぞかせ、ふたりは中の様子を窺った。


 厨房は、大所帯の館における心臓部。火と刃物が飛び交う場であり、子どもが無闇に立ち入るには注意が必要な場所でもある。


 その気配を感じ取ったのか、気づいたのは厨房の責任者──料理長だった。


「……ミレーユ様、レグルス様。厨房へいらしたのは、どういったご用でしょうか?」


 長帽子をかぶった姿に、ミレーユがぱっと笑顔を向ける。


「料理長さん、ですね?」


 一瞬、目を丸くした料理長だったが、すぐに落ち着いた声で応じる。


「はい、左様でございます」


 するとミレーユは、整った動作で一礼しながら、言った。


「昨日の晩餐、とってもおいしかったです! 特にニンジンの処理がすごく丁寧で――甘みもあって、すごく食べやすかったです!」


 その言葉に、料理長の目がさらに大きく見開かれる。


「それは……身に余る光栄でございます」


 レグルスも続くように、


「しばらく、お世話になります。どうぞよろしくお願いします!」


 ふたりそろって深く頭を下げた瞬間──厨房に、やわらかな笑い声が広がった。それは、場の空気をほぐすような、心地よい和やかさだった。


 厨房を後にした双子は、再び廊下へと戻り、行き交う侍女やメイドたちと挨拶を交わしながら進んでいく。


「この邸宅……人、多くない?」

「タウンハウスは、見栄えのために人を多めに配置するのが基本と聞いてますわ」


「なるほどね」


 何気ないその会話の断片を、たまたま通りがかったメイドが聞き留める。そしてそれは、ほどなくして邸宅の中でささやかれ始めることとなる。


 あの双子、ただものじゃない――。


 頃合いを見計らい、ミレーユとレグルスは静かに踵を返し、両親の部屋へと足を向けていった。


 タウンハウスの食堂は、天井が高く、窓際には冬の陽射しがやわらかに差し込んでいた。白いクロスが敷かれた長卓には、湯気の立つポットや香ばしいパンの香りが漂い、温かな空気に満ちている。


 扉が静かに開く──。

 ミレーユとレグルスは、思わず足を止めた。


「……全員、揃ってるね」「……揃ってますわ」


 整然と席に着いている姿に、双子は揃って目を瞬かせた。まるで最初からそこにいたかのように自然な光景だったが、ふたりにとっては意外なことだった。


 その反応に最初に気づいたのは、マティルダ公爵夫人である。ティアーヌと柔らかく言葉を交わしていたが、ふとふたりの方へと顔を向け、優しく微笑む。


「どうしたの? ふたりとも、びっくりしたお顔をしているわ」


 軽く顔を見合わせたあと、ミレーユが控えめに口を開いた。


「貴族の方々は、夜会や晩餐でお忙しく、朝食ではあまり顔を合わせないもの――と理解しておりましたの。ですから、皆さまお揃いというのが少し意外でして」


 その言葉に、ゼルガード公爵はどこか愉快そうに喉を鳴らした。


「ふむ。確かに、世間ではそういう家もあるな。だが、それはあくまで『そういう家もある』というだけのことだ。我が家の在り方とは、また別の話だよ」


 淡々としながらも含みのある声色。

 ミレーユは素直にうなずき、静かに感嘆の吐息を漏らした。


「とても勉強になりますわ」


 その一言に、ゼルガード公爵は目尻を緩め、どこか満足げな笑みを浮かべる。その笑顔につられるように、マティルダ公爵夫人もまた優しい声で微笑んだ。


 穏やかであたたかな空気――。緊張のない、自然な家族の集い。


 その光景を、少し離れた席に腰を下ろしていたアルフォンスは、静かに見つめていた。双子の仕草を、家族の笑顔を、そしてその場のあたたかさを。彼の内側に芽生えていたのは、懐かしさにも似た想いだった。


 『公爵家の人々は、本当に……不思議だ』


 出自や年齢、性別にとらわれず、誰に対しても一人の人間として向き合う。


 気さくで、丁寧で、それでいて()がある。

 それは、どこかマリーニュ家の人々にも通じる在り方だった。


 けれど、だからこそ考えてしまう――。

 武門の家って、こういう在り方を自然に育てるのだろうか。


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