第三節 朝の光、探検のはじまり
冬の気配が街の輪郭を柔らかくなぞるように、王都の朝にはひんやりとした冷たさが混じり始めていた。
それでも、双子の一日は早い。
ミレーユとレグルスの寝室は、子ども専用の離れに設けられている。侍女が起こしに来るのを待つことなく、ふたりは手際よく身支度を整えていた。
「……さて、探検に行こう」
小さく呟いたのは、レグルスだった。好奇心に目が輝く。
王都にあるマクシミリアン公爵家のタウンハウスは広く、全体の構造を把握することは困難を極める。廊下の先がどう繋がっているのか、扉の奥に何があるのか──双子にとっては、邸宅そのものが探検の舞台だった。
「まずは、厨房を目指しましょう」
ミレーユが提案し、レグルスがうなずく。静かに足音を殺した。
そしてふたりは、そっと部屋を抜け出して廊下へと足を踏み出した。
大理石の床には控えめな照明が淡く反射し、まだ陽の高くない時間帯にもかかわらず、侍女やメイドたちはすでに持ち場についていた。
忙しなく動くその姿を、レグルスがひそひそ声で評する。
「みんな、キビキビしてるな。アラン伯父さんの館より華やかだね?」
「アラン伯父様のところは領地の要所なの。王都の邸宅とは役割が違うそうよ。王都では見栄えを整えるのも一つの戦と聞きましたわ」
さらりと返したミレーユの口調には、どこか大人びた鋭さがにじんでいた。まるで舞台裏を見抜く観客のように、冷静に状況を分析している。
いったいどこで仕入れたのか──そう疑いたくなるほどの情報通ぶりだが、その情報源を特定するのは至難の業である。
なお、双子の会話が時折ややこしくなるのには、理由があった。ふたりはマリーニュ伯爵家と男爵家の双方から「父や母と思って呼びなさい」と教え込まれて育った。
紆余曲折の結果、このように落ち着いた――。
アラン伯爵は〈アラン伯父様〉
ダルム男爵は〈ダルム叔父様〉
セラリア伯爵夫人は〈セラリアお母様〉
エリシア男爵夫人は〈エリシアお母様〉
それでも、把握している当人たち以外の人が聞けば、話の文脈だけでは判断がつかない場面もしばしばある。
アルフォンスは、確実に混乱する。
ジルベールとティアーヌは、もはやこの混乱状態を何とかするのを諦めていた。
館内を歩き進めるうちに、侍女たちの動きが少しずつ落ち着いてきた。朝の支度も一段落し、忙しなかった空気にようやく穏やかさが戻りつつある。
その変化を敏感に察知した双子は、すっと気配を切り替えた。通りかかる侍女たちに、きちんと立ち止まり、口をそろえて挨拶を送る。
「おはようございます!」
小さくもはっきりとしたその声に、思わず立ち止まる侍女もいた。頬を緩ませた彼女たちが、すぐに柔らかな笑みを返す。
「ミレーユ様、レグルス様。おはようございます。――お早いのですね」
ふたりはにこやかに手を振りながら歩みを進め、互いに小声で囁き合った。
「名前、ちゃんと知ってたわね」
「すごい……王都の邸宅って、やっぱり管理が行き届いてるんだ」
やがて、目指していた厨房の近くへとたどり着く。廊下の影からそっと顔をのぞかせ、ふたりは中の様子を窺った。
厨房は、大所帯の館における心臓部。火と刃物が飛び交う場であり、子どもが無闇に立ち入るには注意が必要な場所でもある。
その気配を感じ取ったのか、気づいたのは厨房の責任者──料理長だった。
「……ミレーユ様、レグルス様。厨房へいらしたのは、どういったご用でしょうか?」
長帽子をかぶった姿に、ミレーユがぱっと笑顔を向ける。
「料理長さん、ですね?」
一瞬、目を丸くした料理長だったが、すぐに落ち着いた声で応じる。
「はい、左様でございます」
するとミレーユは、整った動作で一礼しながら、言った。
「昨日の晩餐、とってもおいしかったです! 特にニンジンの処理がすごく丁寧で――甘みもあって、すごく食べやすかったです!」
その言葉に、料理長の目がさらに大きく見開かれる。
「それは……身に余る光栄でございます」
レグルスも続くように、
「しばらく、お世話になります。どうぞよろしくお願いします!」
ふたりそろって深く頭を下げた瞬間──厨房に、やわらかな笑い声が広がった。それは、場の空気をほぐすような、心地よい和やかさだった。
厨房を後にした双子は、再び廊下へと戻り、行き交う侍女やメイドたちと挨拶を交わしながら進んでいく。
「この邸宅……人、多くない?」
「タウンハウスは、見栄えのために人を多めに配置するのが基本と聞いてますわ」
「なるほどね」
何気ないその会話の断片を、たまたま通りがかったメイドが聞き留める。そしてそれは、ほどなくして邸宅の中でささやかれ始めることとなる。
あの双子、ただものじゃない――。
頃合いを見計らい、ミレーユとレグルスは静かに踵を返し、両親の部屋へと足を向けていった。
タウンハウスの食堂は、天井が高く、窓際には冬の陽射しがやわらかに差し込んでいた。白いクロスが敷かれた長卓には、湯気の立つポットや香ばしいパンの香りが漂い、温かな空気に満ちている。
扉が静かに開く──。
ミレーユとレグルスは、思わず足を止めた。
「……全員、揃ってるね」「……揃ってますわ」
整然と席に着いている姿に、双子は揃って目を瞬かせた。まるで最初からそこにいたかのように自然な光景だったが、ふたりにとっては意外なことだった。
その反応に最初に気づいたのは、マティルダ公爵夫人である。ティアーヌと柔らかく言葉を交わしていたが、ふとふたりの方へと顔を向け、優しく微笑む。
「どうしたの? ふたりとも、びっくりしたお顔をしているわ」
軽く顔を見合わせたあと、ミレーユが控えめに口を開いた。
「貴族の方々は、夜会や晩餐でお忙しく、朝食ではあまり顔を合わせないもの――と理解しておりましたの。ですから、皆さまお揃いというのが少し意外でして」
その言葉に、ゼルガード公爵はどこか愉快そうに喉を鳴らした。
「ふむ。確かに、世間ではそういう家もあるな。だが、それはあくまで『そういう家もある』というだけのことだ。我が家の在り方とは、また別の話だよ」
淡々としながらも含みのある声色。
ミレーユは素直にうなずき、静かに感嘆の吐息を漏らした。
「とても勉強になりますわ」
その一言に、ゼルガード公爵は目尻を緩め、どこか満足げな笑みを浮かべる。その笑顔につられるように、マティルダ公爵夫人もまた優しい声で微笑んだ。
穏やかであたたかな空気――。緊張のない、自然な家族の集い。
その光景を、少し離れた席に腰を下ろしていたアルフォンスは、静かに見つめていた。双子の仕草を、家族の笑顔を、そしてその場のあたたかさを。彼の内側に芽生えていたのは、懐かしさにも似た想いだった。
『公爵家の人々は、本当に……不思議だ』
出自や年齢、性別にとらわれず、誰に対しても一人の人間として向き合う。
気さくで、丁寧で、それでいて芯がある。
それは、どこかマリーニュ家の人々にも通じる在り方だった。
けれど、だからこそ考えてしまう――。
武門の家って、こういう在り方を自然に育てるのだろうか。




