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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第二章 風は西へ、水面へ至る
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第三節 乾かぬ薬草、錬金の夢

 木々の葉がほんのりと色づきはじめた森には、夏の名残と秋の気配が静かに交じり合っていた。陽の光もどこか柔らかく、枝葉をすり抜けて落ちるその輝きは、森全体を淡い金に染めている。風が吹けば、葉擦れに混じって乾いた音がかすかに鳴り、季節がゆっくりと歩みを進めていることを告げていた。


 そんな森を歩くアルフォンスの足取りには、いつの間にか確かな重みが宿っていた。父ジルベールから、日帰りではない〈遠征〉を許されたのは、ほんの少し前のこと。それ以来、彼は一人でミルド村の西方、森の奥深くへと探索の歩みを進めていた。


 薬草や魔石の気配に気づく瞬間は、確かな根拠というよりも、研ぎ澄まされた直感に近い。けれど、風の流れや木々のざわめき、地面の匂い、陽の差し方。そのどれかにわずかな〈違い〉を感じたとき、ほぼ例外なく、彼の予感は的中していた。


 『ひとりで探索してみてもいいかな?』


 そう言った日のことを、彼は今でも覚えている。あのとき感じた胸のすっと晴れるような感覚は、自分の内にあった〈知りたい〉という衝動、ようやく言葉にできた安堵だったのだと思う。


 許されたのは、単なる自由ではなかった。それは、自らの判断で行動し、責任を負うという覚悟への門出だった。


 地図を囲んでいたあの日も、そうだった――


 アルフォンスは、父ジルベールと村長と共に、一枚の地図を囲んでいた。それは、彼自身が記録し続けてきた、これまでの歩みの結晶だった。森の薬草や魔石の発見地点、採取した場所、見かけた小動物の痕跡までも、丁寧に描き込まれていた。


 「いやはや、ミレイ婆さんがもう使っておらん薬草が、こんな近くにこれほど残っておるとはのぉ」


 地図を覗き込む村長が、驚き混じりの声をあげる。


 ジルベールも腕を組み、頷く。


 「丁寧に採集していけば、これはもう立派な村の特産品と言ってもいい量だな」


 アルフォンスは静かに頷き返した。


 日帰りで行ける範囲は、もうほとんど調べ尽くした。薬草、魔石、時折見つかる遺物のようなものまで。自分の中に育った探しあてる感覚は、揺らぐことなく彼を導いてくれていた。


 だが、問題もあった。薬草の多くは鮮度が命であり、採ったその日に処理できなければ薬効はみるみるうちに失われてしまう。もちろん、乾燥させれば保存は可能だが効果はどうしても落ちる。それは、アルフォンスが子どもの頃から何度も身をもって知ってきたことだった。


 摘み取った薬草を束ねて軒下に吊るし、日に当てず、風を通してみたこともある。しかし、思うようにはいかない。干すことで薬草が命を失っていくように感じられることさえあった。


 「乾燥させれば保存はできるけど……やっぱり、効き目が落ちるからな」


 そう呟きながら、アルフォンスは地図の端に、風通しの良い峠道沿いの場所を印した。すぐにどうこうできるわけではない。けれど、知っておくだけでも、いずれ役立つはずだ。


 いつか錬金術で乾燥させてみせる――


 薬効を損なわず、薬草に秘められた力をそのまま封じ込めるような方法が、きっとある。それが叶えば、村の外れや山奥で見つけた希少な草花も、無駄にすることなく活かせるはずだ。


 午後は森に入らず、裏の空き地で剣の鍛錬に打ち込んだ。剣術、体術、投擲。父との修練は三歳から続いている。今では体の動きに無駄がなくなり、技に余裕が出てきた。


 「見違えるほど動けてるな」


 ジルベールのその一言に、アルフォンスは内心ふっと顔を緩めた。


 北西側の森に満ちていた獣の気配も、狩猟のあと徐々に落ち着きつつある。森のさらに奥を、自分の足で歩いてみたい。その想いが胸の奥で熱を帯びた。


 「父さん。今後は野営もしてみたい」


 そう告げると、ジルベールは軽く目を細め、笑って答えた。


 「道具が足りないな。今度、領都(ヴァレオル)へ行ったときにでも揃えよう」


 母ティアーヌが領都(ヴァレオル)で調薬店を再開したのは、アルフォンスが三歳のころ。今では月に一、二度ジルベールが品の補充で領都(ヴァレオル)を訪れており、五歳を過ぎた頃からはアルフォンスも同行していた。


 母の店では、薬草の選別や水薬の調合を手伝い、〈小さな調薬師〉として領都(ヴァレオル)の人々にも知られていた。冒険者ギルドに卸す薬草の評判からは〈小さな薬草ハンター〉と呼ばれ、広場で果物や串肉を頬張る姿もまた、街のちょっとした名物になっていた。


 その手に握るのは、地図と夢。そして両親から受け継いだ術と想い。


 これまでは父の装備を借りていたが、今回の買い出しでは、自分のための道具を揃えるというはじめての目的があった。


 領都(ヴァレオル)の道具店。使い方は分かっても、どれを選ぶべきかは別問題だった。荷の重さ、嵩張り、耐久性。運べる量は限られている。だからこそ選択が試される。


 これは必要か? 他で代用できないか? 迷い、比べ、考え抜いた末に手にした道具は、もう与えられたものではなかった。


 帰り道。肩に下げた荷袋をそっと撫でながら、アルフォンスは思う。これは自分の〈旅のはじまり〉なんだ。


 ミルド村に戻った後は、父と共に実地の野営訓練に入った。二人で森に入り、焚き火を囲んで眠る。木の上に寝床を作り、風除けを張り、夜の気配に耳を澄ます。

 ジルベールは何も言わずに見守っていたが、ある晩ぽつりと漏らした。


 「アルは器用だな。木の上の〈テラス〉も、竈の組み方も。手早いのにどこかちゃんと本物なんだよな。あれは、すげぇよ。本当に」


 その声には、誇りと、そしてほんのわずかな寂しさが滲んでいた。アルフォンスもまた、父との訓練の日々に、終わりが近づいていることを、感じていた。


 今回の探索は、往復で三日を要する森の奥地。ルート、拠点、装備、すべてを自分で決めなければならない。軽ければ動きやすいが、備えがなければ夜を越せない。何を持ち、何を置くのか。その選択のすべてに、命がかかっている。


 その緊張感すら、いまは心地よかった。何度も荷を詰めては解き、何度も地図を描き直した。その先にある〈まだ見ぬ場所〉を思うたび、胸が高鳴った。


 少しずつ。けれど確かに。

 少年の背に、責任と希望が、重なっていく。

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