第三節 夢のメモ、錬金術の厳しい現実
午後の柔らかな陽射しが差し込む中、特設講座の教室に人の気配はなかった。入り口には、「第三カフェテリアで開催します」と張り紙がされていた。
その頃、学園内でも限られた者しか使えないカフェテリアには、すでに生徒たちが集まっていた。夏季休暇明けとあって、久しぶりに顔を合わせた彼らは、待ち時間を利用して思い思いに雑談を交わしている。
クラウス侯爵子息がユリシーズ伯爵子息の肩を軽く叩き、何やら笑いを誘えば、リサリア子爵令嬢とノーラ男爵令嬢は机越しに小声で休暇中の話をしている。
そんな中、扉が開き、アルフォンスとリュミエールが姿を現した。
アルフォンスはカフェテラス内を見渡して「……全員、もう揃ってますね」と、顔をほころばせて呟く。
「今期から、場所を変更しましたので、少し心配でした。このカフェテリアは、お昼から利用許可が出てるので、軽食であれば食べられます。飲み物も自由に頼んで下さい。ただ、管理の都合上、入室は参加者のみとなります。そこだけ注意して利用して下さい」
「では、中期最初の特設講座を開始します。皆さんから夏季休暇のお話を聞きたいところですが、まずは、今期の方針を説明します」
アルフォンスの言葉に、談笑していた面々の視線がすっと前に集まる。リュミエールの手配で、各テーブルには茶器が配膳され、湯気と共に柔らかな香りが漂っていった。
「今期は、皆さんに〈夢メモ〉を作ってもらいます。変な名前ですが、端的に言えば――思いついた魔道具のメモです。メモには、機能、目的、そして思いついた動機を書いてください。既に実現したい魔道具が思いついている方は、それを書いても構いません」
言葉が落ちた瞬間、各所で小さな反応が起こる。
一年のリサリア子爵令嬢が「魔道具の……メモ?」と、呟いて首を傾げる。
「面白そうだな」
ヴェルナー侯爵子息は隣のノーラ男爵令嬢に囁き、二人でくすくす笑っていた。
リュミエールが横合いから声をかける。
「前期のブリーフィングで出た魔道具案も、文字にしてみるといいわよ」
リュミエールの言葉に、あちこちのテーブルで反応が返ってきた。
「そういえば……空飛ぶ書見台なんてものもあったな」
クラウス侯爵子息が腕を組みながら呟き、マリナが「それ、確か私が言い出したものでしたわね」と声を出し、微笑みを含ませる。
シグヴァルドが「ほらやっぱり」と笑いながら顔を向けると、マリナは肩に視線を落とす。その仕草に、ほんのりと優しさが滲んだ。周囲が、二人の軽いやり取りにくすくすと笑う。
「私は前期、結局まともな案を出せなかったから……今回は頑張らないと」
「いや、あれはあれで場が和んだ」
他のテーブルでも――
「そうだ、あの無限温茶ポット」
「あれは本気で欲しい」
そんな風に、懐かしい案が次々と飛び交った。笑いや軽口が自然と交わり、教室の空気がじわりと温まっていく。
「思ったことを文字にすることで、想いが少し現実に近寄ります。ブリーフィングを経て、また具体的になっていきます。――前期は会話中心でしたが、中期は文字にするやり方に変えるわけです」
ユリシーズ伯爵子息が「なるほど……形にするんですね」と腕を組んで応える。
「口で言うより文字にするほうが難しいかもな」
クラウス侯爵子息が真似をして腕を組み言葉を返す。
「でも、文字に残せば忘れないですし、次に話す時に便利ですよね」
セリア男爵令嬢が笑顔で補足し、周囲の一年生たちも小さく頷き用意された紙をそっと手に取っていた。
アルフォンスは見渡して口を開く。
「書式が整ったものは、グラのところに送ります」
テオ伯爵子息が思わず「……えっ、あのグラナート様に?」と、声を上げる。
「王国一の魔道具師でしょ? 普通は貴族でも簡単に会えないって……」
セリア男爵令嬢が息を呑む。テーブルごとにざわめきが広がり、緊張と期待の入り混じった空気が会場を包んでいった。
「別に、それらすべてを魔道具にするわけではありません」
その言葉に、ほっと息をつく者もいれば、「え、違うの?」と目を瞬かせる者もいる。
「ドワーフたち……グラや工房主は刺激を求めています。彼らの酒が美味しくなるような、空想的で、でも実用性が高そうな気がする魔道具案を、たくさん送れたらいいなと思っています」
「……酒が美味しくなる魔道具?」
ディルク子爵子息が首を傾げながら言葉を繋げる。
「いや、それは魔道具案としてありな気もするけど、そういう意味じゃなくて……」
ヴェルナー侯爵子息が笑いを堪える。
「でも確かに、宴の席で話の肴になるような案でしたら、きっと皆さまに受けますわね」
マリナが微笑む。
「というか、宴会でドワーフ相手に話すって、それもう勇者の領域では……」
ユリシーズ伯爵子息が真顔で呟き、隣のクラウス侯爵子息が肩を震わせた。
「もちろん、普通に彼らから見て実用的で面白そうな魔道具案なら、楽しそうに酒を飲みながら語り始めます。議論しているのか喧嘩しているのか判断が難しいですが」
「……酒を飲みながら語り始めるって、どういう光景なんだ?」
クラウス侯爵子息が小声で漏らす。
「想像したら……なんだかすごく絵になりますわ」
リサリア子爵令嬢が笑う。
「いや、でもグラって、あの赤鉄のグラナートさんだろ? そんな相手に気軽に話せるのか?」
テオ伯爵子息が半信半疑の声を上げる。
「勇気と、たぶん強い肝臓が必要だね」
シグヴァルドが真顔で応じ、場がどっと和んだ。
「だからこそ、イチオシだと思う案は、ちゃんと印を付けておくといい」
アルフォンスの補足に、マリナが「じゃあ本気で作りたい案はちゃんと目立たせないとね」と頷く。
「そういうのは向こうも丁寧に見てくれるはずだ。グラや工房主にとっても、いい肴になる」
その一言に、ユリシーズ伯爵子息が「肴って……」と苦笑し、周囲から小さな笑い声が上がった。
配られた用紙に、参加者たちは思い思いに〈夢メモ〉を書き込みはじめた。すでに案を決めていた者は機能や目的を整え、思いついたばかりの者は、口に出しながら筆を走らせていく。
「それ、面白いけど……もっと簡単な魔力制御にしたらどう?」
と、隣からさっと提案が飛ぶ。
「いや、それだと目的の動きが再現できないかも……」
テーブルをまたいで、「それ、別の案に分けたほうがよくない?」という助言が聞こえ、当の本人が「確かに!」と笑いながら紙をめくる。
中には、面白そうなやり取りを耳にして椅子を引き、他のテーブルへ移動する者もいた。「ちょっとそれ詳しく聞かせて」と覗き込む声に、机を囲む顔が増えていく。
あちらこちらで笑い声が上がり、メモの上には矢印や追記の文字が増えていく。誰もその賑やかさを煩わしいとは感じず、むしろ心地よい熱気として受け止めていた。小さな議論と笑い声が、終了の声がかかるまで途切れることはなかった。
アルフォンスが見回しながら声を掛ける。
「先ほど、夢メモをグラに送るとお話ししました。それに関連して……皆さんを魔道具都市に、冬季休暇中にご招待したいと考えています」
「えっ? あそこに行けるの?」
教室に驚きの気配が広がる。
「もちろん、公爵様から訪問の許可はすでに頂いています。ただ、せっかくの機会ですから――夢メモに関して直接お話を伺い、後期の学びに生かせればと思います」
「グラがいい具合に場を暖めてくれてるので、きっと有意義な時間になるはずです。三年の皆さんは、卒業に向けた社交など、お忙しいとは思いますが、ぜひご参加いただけたら嬉しいです」
「予定は、冬季休暇初日出発、移動十二日、滞在三日としています」
「絶対行くぞ!」
教室は騒がしくも、楽しげな熱気に包まれていった。喧騒がおさまるのを待ち、アルフォンスは続けた。
「以上で本日の特設講座は終了とします。盛り上がりすぎて、夏季休暇の思い出を聞くタイミングを完全に失いました」
締めの言葉を述べたところで、リュミエールが手を挙げた。
「アル、錬金術の話を忘れてます」
「あ……あぁ、そうだった。リュミィ、ありがとう」
思わず額を軽く押さえるアルフォンスに、周囲から小さな笑いが漏れる。姿勢を整え、改めて口を開く。
「錬金術についてお知らせがあります。錬金術は、この王国でもかなり特殊な学問です。現在、王宮所属の錬金術師は二名。人族全体でも、僕を含めてわずか三名しかいません」
参加者の間に、ざわりと小さな驚きの気配が走る。
「そこで、この特設講座の中に錬金術を学ぶ場を設けます。本の貸し出しはできません。中には、公爵様からいただいた品や、僕にとって思い入れの強い書籍もありますので、その点はご了承ください」
少し間を置いてから、視線を一巡させる。
「知っている書籍についてはリストをお渡ししますので、自分で探してみてください。ここでの閲覧は可能です」
「――今度こそ、本日はこれで終了です」
アルフォンスの言葉に、参加者たちはそれぞれ頷き、机の上のメモや茶器を片付け始めた。
夕暮れの王都を進む馬車の中――
アルフォンスは、隣に座るリュミエールに静かに「何人くらい、参加すると思う?」と、問いかける。
リュミエールは迷いなく「全員よ」と、微笑みながら答えた。
その一言に、アルフォンスも頬を緩める。
「だよね。――冬季休暇が、楽しみになってきた」
少し肩の力を抜き、ぽつりと続ける。
「ただ、後半にはレストール領の現地調査も入れてるから――落ち着いた休暇には、ならなさそうだけど」
その言葉に、リュミエールも小さく苦笑した。
「うちも社交シーズン真っ盛りで、王都に親戚がどっと押し寄せるわ。双子たちに会えないのは……やっぱり少し寂しいわね」
そんな会話を交わすうちに、馬車はゆるやかに速度を落とし、公爵家のタウンハウスに到着した。
特設講座参加者リスト
講師 アルフォンス
補助 リュミエール・マリーニュ男爵令嬢
三年生
シグヴァルド・マキシミリアン公爵子息(三男)
クラウス・アルデン侯爵子息(次男)
ユリシーズ・フェルマント伯爵子息(長男)
マリナ・レストール伯爵令嬢(長女)
セリア・ノアール男爵令嬢(三女)
二年生
テオ・ランザック伯爵子息(三男)
ディルク・ハウザー子爵子息(長男)
レーネ・ブリスティア男爵令嬢(長女)
一年生
ヴェルナー・アスグレイヴ侯爵子息(次男)
リサリア・ノルド子爵令嬢(長女)
セオドア・リンドロウ子爵子息(長男)
ノーラ・ティルベリ男爵令嬢(長女)




