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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十二章 繋がる想い、広がる未来
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第一節 王家の呪い、老騎士の眼

 久方ぶりに王都(リヴェルナ)の門をくぐると、秋の色を帯びた風が頬を撫でていった。石畳を進む馬の蹄音に重なるように、通りのあちこちから賑やかな声が響く。露店の呼び込み、行き交う人々の談笑、遠く広場から聞こえる笛や太鼓の音。それらが溶け合い、まるで街そのものが一つの歌を奏でているかのようだった。


 アルフォンス、リュミエール、シグヴァルド、マリナの四人に、護衛の騎士五名と侍女二名を加えた総勢十一名は、騎乗のまま、郊外から王都の中心部へと流れるように進んでいく。


 やがて視界の先、王宮に隣接する一角に、マクシミリアン公爵家のタウンハウスが姿を現した。城塞の出丸を思わせる堅牢な防衛設備と、重厚な造り。王宮の外郭と溶け合うかのような佇まいは、上位貴族の邸宅群の中でもひときわ存在感を放っていた。


 邸内に入り、一同はまず旅装を解き、それぞれの部屋で身支度を整える。再びラウンジに集まったときには、陽は西に傾き、窓辺を淡い橙色が包んでいた。


「ねえ、シグ。……これ、本当に形になるのかしら」


 ノートを抱え、マリナがためらうように問いかける。隣で覗き込んだシグヴァルドが、真剣な面持ちで眉を寄せた。話題は魔道具の構想。といっても、まだ設計や製作の段階ではない。輪郭の曖昧な、機能面の方向性を探る議論だ。


「用途を小規模農地に絞れば、コストは抑えられる。あとは――その範囲で、どこまで出来るかだな」


 シグヴァルドの声音には迷いがなく、その瞳はひたむきな光を帯びていた。アルフォンスはソファの背にもたれ、二人のやり取りを静かに見守る。


『選択肢は、削ぐより残すべき』


 アルフォンスが口を挟めば、言葉が先に立ち、芽吹くはずの発想を摘んでしまうかもしれない。だからこそ、今はただ聴く。それが、アルフォンスの立つべき位置だった。


 そのとき、ラウンジの扉が静かに開き、ゆったりとした足音が近づいてくる。現れたのは、公爵家長男のジークハルト・マクシミリアン。


「シグ、婚約おめでとう。――マリナ嬢、弟をよろしく頼む」


 穏やかな笑みを添えた言葉は、柔らかく、それでいて確かな重みを帯びていた。その一言に、シグヴァルドとマリナの頬がそろって赤く染まる。アルフォンスは、どこか微笑ましい気持ちでその様子を眺めていた。


「アルフォンス、明日の午後、王宮へ来てくれ。調査書類を渡す。それと――陛下がお前と話したいと仰っている」


「――はい」


 返事をしながらも、アルフォンスの内心では苦笑が浮かんでいた。『やっぱり、こうなるか』陛下が「ついで」で呼ぶなどありえない。きっとすでに、会談の段取りまで整えてあるに違いなかった。


 そして翌日、昼食を終えたアルフォンスは、公爵邸から王宮へと続く専用回廊を進み、案内役の到着を待つ。やがて足音が響き、姿を現したのは――。


『この人、ただ者じゃない』


 白髪が混じる短髪、鋭い眼光。全身にみなぎる無駄のない所作は、歴戦の騎士そのもの。とても単なる案内役とは思えなかった。アルフォンスは背筋を正し、深く礼をとる。


「ご案内、よろしくお願いします」


 老騎士は無言のまま軽く頷くと、踵を返し、静かに歩き出した。


 通された先の部屋は、広すぎず、それでいて格式を感じさせる設え。派手さを排した落ち着きの中に、王宮という場の品格が漂っていた。差し出された茶を一口ふくみ、温かな香りを喉へと流し込む。王宮に足を踏み入れる日が来るなんて、夢にも思わなかった。そんな思いが、ふと胸の奥に湧いた。


 ノックの音が響き、扉が静かに開く。入ってきたのはジークハルトだった。


「これが、セレスタン氏の調査資料だ」


 差し出された書類を受け取りながら、アルフォンスは小さく頷く。その瞬間、ジークハルトの表情がわずかに引き締まった。


「君は……レストール領の問題を、どう見ている?」


 アルフォンスは言葉を選びながら口を開く。


「現時点では、断定はできません。作れていたものが作れなくなる。その原因が内部の妨害か、外的要因か。マリナが内部の可能性を否定しているなら――外的要因の線が強いと考えます」


「瘴気との関わりは?」


「セレスタンさんは『瘴気は犯人に仕立てやすい』と仰っていました。僕も同意します――」


 アルフォンスは一呼吸の間をおいて懸念事項を口にする。


「もし瘴気の存在がある程度知られているならば、瘴気に関する調査をまったく行っていないとすれば不自然です。調査を実際に行ったかについては、気になります」


 ジークハルトはしばし沈黙し、やがて静かに頷いた。


「わかった、レストール家に過去の調査記録がないか照会してみる。問題がなければ資料として提出を求めよう」


 短く視線を交わしたあと、再び案内役が付けられる。現れたのは先ほどアルフォンスを王宮へ導いた老騎士。その名を告げられ、アルフォンスは心中で息をのむ――。グラナドール・ジルベルト卿。王宮騎士団長であり、その名を知らぬ者などこの王国にはいなかった。


 無言のまま先導され、廻廊を抜け、やがて陽光が差し込む庭に面したテラスへと至る。


「これは――」


 微かに顔色の悪いヴァルディス・フェルノート国王がいるのは当然だったが、その周囲に三名の女性が着席し、アルフォンスを見ていた。


『まずい、これはまずい気がする……陛下、顔色悪いし』


 直感が警鐘を鳴らす中、アルフォンスは慌てて礼を取る。


「グラナドール、ご苦労。アルフォンスは楽にして座ってくれ」


 ヴァルディス国王のその言葉に、アルフォンスはますます警戒を強めながら、三名の女性に丁寧な礼をしてから着席した。


「妃たちも軽くいこう、軽〜く」


「まあ、そうですね。私はクラリス、正妃よ。こっちがリーズ、側妃で妹みたいなもの。あとは――あなたは自分で」


 振られた少女は、涼しげな微笑を浮かべて言った。


「わたくしは、第二王女のソフィア・フェルノートですわ。お目にかかれて光栄です、アルフォンス様」


 二人の女性からの視線にさらされながらも、ソフィア王女は一切ひるまない。


「ソフィア、後で引かれてもフォローしませんよ?」


「最初くらい、お姫様風で行きたかったのに。ちなみに、十五歳で婚約者なし――お父様、なぜ?」


「いい感じのやつがいないからだよ」


 ヴァルディス国王が扇子で頭を叩かれた音が響いた。


 その後は、西方大河を発見した際のこと、大湿地帯での異変、セレスタンやマティルダ公爵夫人との共闘の話――アルフォンスが語ると、両妃たちは興味津々に聞き入っていた。


「アルって、リュミエールと婚約するんでしょ?」


 ソフィア王女が突然問いかけ、アルフォンスは吹き出しそうになる。


「いいな、いいな。シグもマリナちゃんだっけ? 婚約するみたいだし――お父様?」


「いっそ、夢だった冒険者にでもなるか?」


 ――またも飛ぶ扇子。


「アルフォンスもソフィアを引き取っていいか考えておいてくれ。こんなんだが……いい子だぞ?」


 騒がしくも不思議と心地よい空気の中、お茶会は和やかに幕を閉じた。帰り際、グラナドール卿がヴァルディス国王の耳元へ身を寄せ、「陛下、入館証を」と低く告げる。


「おお、そうだったな。両妃たちに全部持っていかれたせいで――すっかり忘れていた」


 慌ただしく差し出されたのは、〈王宮図書館〉の入館証だった。アルフォンスは丁寧にそれを受け取り、再びグラナドール卿に先導されて、公爵邸へ戻るため歩き出す。


 王宮のアーチ状の廻廊を抜けると、秋の光が長く差し込む。老騎士の背は、老齢とは思えぬほど真っすぐだった。その一歩ごとに、武人として積み重ねた年月が、言葉を介さず語られているように思えた。


 やがて、しばしの沈黙を破るように、その歩みがわずかに緩む。そして――視線だけがアルフォンスに向けられた。


「アルフォンス殿」


 呼ばれた瞬間、自然と背筋が伸びる。呼吸がわずかに浅くなったのを、アルフォンスは自覚した。しかし、その声は咎める響きではなく、むしろどこか柔らかさを帯びていた。


「マティルダ殿と共に異変と対したとき――何を考え、何を思った?」


 その問いは静かで、けれど重みを含んでいた。まるで心の奥底を覗き込み、試すような眼差し。だが、答えは迷いなく、自然と口をついて出た。


「守られてばかりで、悔しかったです。役に立てた――そう思ってはいます」


「あの戦場に立ち、生き残ったことは誇りです。ですが、それでも守られていた。――嬉しくもあり、悔しくもありました」


 飾りも誇張もない。あの時、確かに胸の奥から湧き上がっていた感情を、そのまま言葉にした。グラナドール卿の瞳がわずかに細まる。老いた獣が、目の前の若者を測るように。だが、それも一瞬だった。


「――そうか」


 短く、ひとこと。だが、どこか納得を含んだ声音に、アルフォンスの胸の奥がほんのり熱を帯びる。


 再び歩を進めながら、老騎士はぽつりと呟いた。


「悔しさを覚えられる者は、伸びる。過ちを怖れず、己を省みる者こそ、真に強くなる。ならば、この先どこまで歩むのか――見届けるのも、悪くはないな」


 グラナドール卿は前を向き、公爵邸に続く専用回廊を静かに歩んでいく。


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