第一節 王家の呪い、老騎士の眼
久方ぶりに王都の門をくぐると、秋の色を帯びた風が頬を撫でていった。石畳を進む馬の蹄音に重なるように、通りのあちこちから賑やかな声が響く。露店の呼び込み、行き交う人々の談笑、遠く広場から聞こえる笛や太鼓の音。それらが溶け合い、まるで街そのものが一つの歌を奏でているかのようだった。
アルフォンス、リュミエール、シグヴァルド、マリナの四人に、護衛の騎士五名と侍女二名を加えた総勢十一名は、騎乗のまま、郊外から王都の中心部へと流れるように進んでいく。
やがて視界の先、王宮に隣接する一角に、マクシミリアン公爵家のタウンハウスが姿を現した。城塞の出丸を思わせる堅牢な防衛設備と、重厚な造り。王宮の外郭と溶け合うかのような佇まいは、上位貴族の邸宅群の中でもひときわ存在感を放っていた。
邸内に入り、一同はまず旅装を解き、それぞれの部屋で身支度を整える。再びラウンジに集まったときには、陽は西に傾き、窓辺を淡い橙色が包んでいた。
「ねえ、シグ。……これ、本当に形になるのかしら」
ノートを抱え、マリナがためらうように問いかける。隣で覗き込んだシグヴァルドが、真剣な面持ちで眉を寄せた。話題は魔道具の構想。といっても、まだ設計や製作の段階ではない。輪郭の曖昧な、機能面の方向性を探る議論だ。
「用途を小規模農地に絞れば、コストは抑えられる。あとは――その範囲で、どこまで出来るかだな」
シグヴァルドの声音には迷いがなく、その瞳はひたむきな光を帯びていた。アルフォンスはソファの背にもたれ、二人のやり取りを静かに見守る。
『選択肢は、削ぐより残すべき』
アルフォンスが口を挟めば、言葉が先に立ち、芽吹くはずの発想を摘んでしまうかもしれない。だからこそ、今はただ聴く。それが、アルフォンスの立つべき位置だった。
そのとき、ラウンジの扉が静かに開き、ゆったりとした足音が近づいてくる。現れたのは、公爵家長男のジークハルト・マクシミリアン。
「シグ、婚約おめでとう。――マリナ嬢、弟をよろしく頼む」
穏やかな笑みを添えた言葉は、柔らかく、それでいて確かな重みを帯びていた。その一言に、シグヴァルドとマリナの頬がそろって赤く染まる。アルフォンスは、どこか微笑ましい気持ちでその様子を眺めていた。
「アルフォンス、明日の午後、王宮へ来てくれ。調査書類を渡す。それと――陛下がお前と話したいと仰っている」
「――はい」
返事をしながらも、アルフォンスの内心では苦笑が浮かんでいた。『やっぱり、こうなるか』陛下が「ついで」で呼ぶなどありえない。きっとすでに、会談の段取りまで整えてあるに違いなかった。
そして翌日、昼食を終えたアルフォンスは、公爵邸から王宮へと続く専用回廊を進み、案内役の到着を待つ。やがて足音が響き、姿を現したのは――。
『この人、ただ者じゃない』
白髪が混じる短髪、鋭い眼光。全身にみなぎる無駄のない所作は、歴戦の騎士そのもの。とても単なる案内役とは思えなかった。アルフォンスは背筋を正し、深く礼をとる。
「ご案内、よろしくお願いします」
老騎士は無言のまま軽く頷くと、踵を返し、静かに歩き出した。
通された先の部屋は、広すぎず、それでいて格式を感じさせる設え。派手さを排した落ち着きの中に、王宮という場の品格が漂っていた。差し出された茶を一口ふくみ、温かな香りを喉へと流し込む。王宮に足を踏み入れる日が来るなんて、夢にも思わなかった。そんな思いが、ふと胸の奥に湧いた。
ノックの音が響き、扉が静かに開く。入ってきたのはジークハルトだった。
「これが、セレスタン氏の調査資料だ」
差し出された書類を受け取りながら、アルフォンスは小さく頷く。その瞬間、ジークハルトの表情がわずかに引き締まった。
「君は……レストール領の問題を、どう見ている?」
アルフォンスは言葉を選びながら口を開く。
「現時点では、断定はできません。作れていたものが作れなくなる。その原因が内部の妨害か、外的要因か。マリナが内部の可能性を否定しているなら――外的要因の線が強いと考えます」
「瘴気との関わりは?」
「セレスタンさんは『瘴気は犯人に仕立てやすい』と仰っていました。僕も同意します――」
アルフォンスは一呼吸の間をおいて懸念事項を口にする。
「もし瘴気の存在がある程度知られているならば、瘴気に関する調査をまったく行っていないとすれば不自然です。調査を実際に行ったかについては、気になります」
ジークハルトはしばし沈黙し、やがて静かに頷いた。
「わかった、レストール家に過去の調査記録がないか照会してみる。問題がなければ資料として提出を求めよう」
短く視線を交わしたあと、再び案内役が付けられる。現れたのは先ほどアルフォンスを王宮へ導いた老騎士。その名を告げられ、アルフォンスは心中で息をのむ――。グラナドール・ジルベルト卿。王宮騎士団長であり、その名を知らぬ者などこの王国にはいなかった。
無言のまま先導され、廻廊を抜け、やがて陽光が差し込む庭に面したテラスへと至る。
「これは――」
微かに顔色の悪いヴァルディス・フェルノート国王がいるのは当然だったが、その周囲に三名の女性が着席し、アルフォンスを見ていた。
『まずい、これはまずい気がする……陛下、顔色悪いし』
直感が警鐘を鳴らす中、アルフォンスは慌てて礼を取る。
「グラナドール、ご苦労。アルフォンスは楽にして座ってくれ」
ヴァルディス国王のその言葉に、アルフォンスはますます警戒を強めながら、三名の女性に丁寧な礼をしてから着席した。
「妃たちも軽くいこう、軽〜く」
「まあ、そうですね。私はクラリス、正妃よ。こっちがリーズ、側妃で妹みたいなもの。あとは――あなたは自分で」
振られた少女は、涼しげな微笑を浮かべて言った。
「わたくしは、第二王女のソフィア・フェルノートですわ。お目にかかれて光栄です、アルフォンス様」
二人の女性からの視線にさらされながらも、ソフィア王女は一切ひるまない。
「ソフィア、後で引かれてもフォローしませんよ?」
「最初くらい、お姫様風で行きたかったのに。ちなみに、十五歳で婚約者なし――お父様、なぜ?」
「いい感じのやつがいないからだよ」
ヴァルディス国王が扇子で頭を叩かれた音が響いた。
その後は、西方大河を発見した際のこと、大湿地帯での異変、セレスタンやマティルダ公爵夫人との共闘の話――アルフォンスが語ると、両妃たちは興味津々に聞き入っていた。
「アルって、リュミエールと婚約するんでしょ?」
ソフィア王女が突然問いかけ、アルフォンスは吹き出しそうになる。
「いいな、いいな。シグもマリナちゃんだっけ? 婚約するみたいだし――お父様?」
「いっそ、夢だった冒険者にでもなるか?」
――またも飛ぶ扇子。
「アルフォンスもソフィアを引き取っていいか考えておいてくれ。こんなんだが……いい子だぞ?」
騒がしくも不思議と心地よい空気の中、お茶会は和やかに幕を閉じた。帰り際、グラナドール卿がヴァルディス国王の耳元へ身を寄せ、「陛下、入館証を」と低く告げる。
「おお、そうだったな。両妃たちに全部持っていかれたせいで――すっかり忘れていた」
慌ただしく差し出されたのは、〈王宮図書館〉の入館証だった。アルフォンスは丁寧にそれを受け取り、再びグラナドール卿に先導されて、公爵邸へ戻るため歩き出す。
王宮のアーチ状の廻廊を抜けると、秋の光が長く差し込む。老騎士の背は、老齢とは思えぬほど真っすぐだった。その一歩ごとに、武人として積み重ねた年月が、言葉を介さず語られているように思えた。
やがて、しばしの沈黙を破るように、その歩みがわずかに緩む。そして――視線だけがアルフォンスに向けられた。
「アルフォンス殿」
呼ばれた瞬間、自然と背筋が伸びる。呼吸がわずかに浅くなったのを、アルフォンスは自覚した。しかし、その声は咎める響きではなく、むしろどこか柔らかさを帯びていた。
「マティルダ殿と共に異変と対したとき――何を考え、何を思った?」
その問いは静かで、けれど重みを含んでいた。まるで心の奥底を覗き込み、試すような眼差し。だが、答えは迷いなく、自然と口をついて出た。
「守られてばかりで、悔しかったです。役に立てた――そう思ってはいます」
「あの戦場に立ち、生き残ったことは誇りです。ですが、それでも守られていた。――嬉しくもあり、悔しくもありました」
飾りも誇張もない。あの時、確かに胸の奥から湧き上がっていた感情を、そのまま言葉にした。グラナドール卿の瞳がわずかに細まる。老いた獣が、目の前の若者を測るように。だが、それも一瞬だった。
「――そうか」
短く、ひとこと。だが、どこか納得を含んだ声音に、アルフォンスの胸の奥がほんのり熱を帯びる。
再び歩を進めながら、老騎士はぽつりと呟いた。
「悔しさを覚えられる者は、伸びる。過ちを怖れず、己を省みる者こそ、真に強くなる。ならば、この先どこまで歩むのか――見届けるのも、悪くはないな」
グラナドール卿は前を向き、公爵邸に続く専用回廊を静かに歩んでいく。




