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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十一章 動き出す縁、芽吹く想い
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第六節 分かたれた道、それぞれの視点

 まだ空が柔らかな光に包まれる朝、アルフォンスたちは徒歩での移動を始めた。


 今回の調査に随行するのは、引き続き騎士五名と侍女二名。大規模遠征と比べれば小規模ではあるが、顔ぶれはいずれも信頼に足る者たちだった。


 三日目の昼過ぎ――森の切れ目を越えると、世界の様相がまるで境界を跨いだかのように変わった。


『やはり、ここは凄い』


 かつて訪れたことのあるアルフォンスでさえ、足を止めずにはいられなかった。


 眼前に広がるのは、果てのない水と緑の迷宮。霞む陽光が水面に反射し、柔らかな風が肌を撫でるたび、景色は淡く揺れる。大地は湿り、空気の匂いは森とも草原とも異なる。まるで異界の入り口だった。


 リュミエールもシグヴァルドもマリナ伯爵令嬢も、随行の者たちも、言葉を失ったままその光景に見入った。風が頬を撫でても気づかぬほどに、視線は湿地の奥へと引き込まれていく。


「ほんとに言葉が出ないな。隔絶した別世界って、こういうのを言うんだろう」


「ええ、アルフォンスに話を聞いていたのに、これほどとは。情景が言葉を超えるというのは、まさにこういうことなのですね」


 二人のやり取りを背に、リュミエールが軽く手を上げた。


「それでは、まずはお茶にしましょう。せっかくの景色ですから、落ち着いて眺めながらね」


 その一言で場の空気が和み、即席のお茶会が始まった。布を敷き、茶器を並べ、香り立つ湯気が湿地の空気に溶けていく。騎士たちも侍女たちも、驚きと感嘆の表情を浮かべながら、目の前の景色を肴に穏やかな時間を楽しんだ。


 宿泊拠点は、かつてアルフォンスたちが構築した第二拠点を基に拡張されていた。当初は簡易な施設に過ぎなかったが、今では宿泊棟を備え、物資や人員の補給も整った本格的な活動拠点として完成している。


 門をくぐると、懐かしい声が響いた。


「アルフォンス殿、来るとは聞いておりましたがお久しぶりです。ようこそ、大湿地帯へ」


 声の主は、公爵家の騎士グレン・ミルディン。かつて拠点設置の際に共に動き、弟のように可愛がってくれた人物だ。騎士としての心得や剣の扱いについて、夜遅くまで語ってくれた恩人でもある。


 今はこの拠点の守備隊長として、ミルド村との往来や防衛を担っていた。


 晩餐後、身支度を整えたアルフォンスたちは談話室に集まった。温かな灯りに照らされた円卓を囲み、初日のまとめと翌日の方針が話し合われる。


「明日からの動きだけど、僕とリュミィは土壌調査担当。マリナさんは薬草の調査を中心に、現地と地元の違いを実地で感じてほしい。夜には情報を整理しよう。シグはマリナさんの護衛を頼む」


 全員が異論なく頷いた。


 その後は今日の感想を口にしていく。最初は控えめだったマリナ伯爵令嬢も、ふとした拍子に口を開くと、抑えていた熱があふれるように言葉を紡ぎ始めた。


「風の匂いも、草の揺れ方も全く違って見えます。ほんの一瞬だけでも、薬草の育ち方まで違うように感じるのです!」


 頬を紅潮させ、手振りを交えて語るマリナ伯爵令嬢に、自然と笑みがこぼれる。その熱意は、この土地の空気に触れた者だけが持ち帰れるものだった。


 夜が更け、それぞれの寝所へと散っていく。静かな拠点の夜、胸に高鳴る期待を抱きながら、アルフォンスたちは明日からの調査に備え、静かにまぶたを閉じた。


 そして翌朝――。


 アルフォンスたちは予定どおり、二つの班に分かれて調査を開始した。


 マリナ伯爵令嬢は夜明けと同時に草むらへと駆け出す。採集袋を手に、影を揺らしながら葉を確かめ、土の匂いを嗅ぎ、風に耳を澄ませる。護衛のシグヴァルドは、その熱意に翻弄されつつも、思わず笑みをこぼすことが何度もあった。


 一方、アルフォンスとリュミエールは土壌調査に集中する。性質の異なる土を丁寧に採取し、質感や含水量、魔力の反応を一つずつ記録する。休憩の合間には侍女や騎士たちと意見を交わし、かつて感じた〈()()〉の気配を探る。耳を澄ませば、この湿地には穏やかで静かな(ことわり)が戻ってきていることを、アルフォンスは確かに感じていた。


 三日間はあっという間に過ぎ、今日からは全員で気になる地点を巡る日程が始まる。


 出発の支度を整えていると――。


「やっぱり本当に来ていたんだね、アルフォンスにリュミエール嬢」


 背後の声に二人は振り返った。そこに立っていたのは〈賢者〉セレスタン・ヴァリオール。かつての戦場以来の再会に、自然と笑みが浮かぶ。


 シグヴァルドとマリナ伯爵令嬢を紹介し、マリナ伯爵令嬢の領地で起きている問題を調べる遠征だと説明すると、セレスタンは興味深そうに目を細めた。


「なるほど、ミレイさんが()()の件に気づいていたのか。巡り合わせというやつだな」


 場所を共用談話室に移すと、温かな茶の香りに包まれながら話が始まった。


 セレスタンは瘴気の存在と、その未知なる性質について語る。


「名前はあっても、瘴気が何なのか、どう生じるのかは、分かっていることが驚くほど少ない。ただ、確かに()()()()()のは事実だ」


 そして真剣な眼差しでアルフォンスを見据える。


「マリナ嬢の領地が瘴気の影響を受けているかは断言できない。でも、ミレイさんに尋ねられたとき、アルフォンスは答えを曖昧にしたね。あえてその可能性に縛られたくなかったからだろう?」


 アルフォンスは静かに頷く。


「瘴気犯人説は、どうしても納得しやすいんです。正体が分からないものは、否定も肯定も難しいから」


「まったく、ミレイ先生らしい指導ですわね」


 マリナ伯爵令嬢がぽつりと呟き、場に柔らかな笑いが広がる。


 その後、マリナ伯爵令嬢はこれまでの観察や違和感を丁寧に共有し、皆で情報を整理する。セレスタンは耳を傾けつつ助言を挟み、最後に告げた。


「これから国王陛下との打ち合わせで王都に戻る。土壌調査に関する資料は、王都で受け取れるよう手配しておくよ」


 その言葉に、アルフォンスたちの胸に小さな安堵と、次の一手を見据える決意が灯った。


 午前中は自由行動となり、アルフォンスとシグヴァルドは鍛錬場で模擬戦に汗を流していた。鍛錬場には剣戟の音が響き、互いの呼吸と足さばきが鋭く交錯する。


 傍らでは騎士たちが声を掛け合い、武器を構える音や笑い声が絶えなかった。


 一方、リュミエールとマリナ伯爵令嬢は工房にこもり、現地の調薬師たちと共に薬草を刻み、煮出し、調合に励む。湯気と共に漂う薬草の香りが、工房いっぱいに広がっていた。


 午後になると再び全員が合流し、湿地帯の中でも気になる地点を巡る。土の匂いを嗅ぎ、葉の色を確かめ、風の流れを感じながら記録を重ねていく。


 夜は談話室に集まり、この数日間の視察を整理しながら総まとめのブリーフィングが続けられた。


 そんな日々が、あっという間に過ぎていった。


 最終日の夜――。


 部屋の扉が控えめに叩かれ、アルフォンスが応じると、そこにはいつものようにリュミエールが立っていた。彼女は当然のように入室し、慣れた手つきで茶器を並べ、お湯を注ぐ。湯気が立ちのぼる香りに包まれながら、二人は静かに向かい合った。


「アル、あなたから見てシグって、マリナのことをどう感じていると思う?」


 問いかけに、アルフォンスは少し笑みを浮かべる。


「面倒だとか、邪魔だとかそういう風にはまったく思ってないね。むしろ『今日は水たまりでコケそうになって、ほんと手がかかるよ〜』なんて、女の子の話題を自然に口にしてるのは、新鮮で面白かったよ」


「ふふ、私たちは何も干渉しないただの()()()。だからこそ、こうして見守るのが楽しいのかもしれないわね」


「そうだね。最初はよく分からなかったけどシグが『弟が気管支が弱くてさ、効きそうな薬草を見つけたら、文字通り飛び上がって喜んで採ってた』って話してくれたときは、笑ったけど、内心すごく嬉しかった」


 リュミエールは、そんな彼を静かに見つめ、やわらかな笑みを浮かべる。


「あなたとこうして、親友のことを語り合える時間、本当に、心が落ち着くわ」


 外では夜風が窓を撫で、木々の葉をわずかに揺らしている。


 誰にも邪魔されない、穏やかな語らい――。

 そのひとときは、風のように静かで、あたたかくゆっくりと夜を包んでいった。


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