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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十一章 動き出す縁、芽吹く想い
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第五節 境界の向こう、ささやかな後押し

 乾燥工房を後にした一行は、アルフォンスの提案で一度宿へ戻った。


 日が傾き始め、窓から射し込む橙の光がラウンジをやわらかく照らす。リュミエールがお茶の支度をしようと立ち上がったところで、マリナ伯爵令嬢がそっと手を伸ばして制した。


「リュミエール、実は最近お気に入りで持ってきたものがあるの」


 そう言って、マリナ伯爵令嬢は荷物のひとつから小ぶりな箱を取り出した。涼やかな気配を放つそれに、リュミエールは目を留める。


「あら……冷却保管箱ですね」


 マリナ伯爵令嬢は微笑み、箱の蓋を開けながら小さく笑みを含んだ声を漏らす。


「ふふふ、お気に入りはこの中にありますの」


 やがて彼女が両手で大切そうに取り出したのは、透き通るようなガラスの器だった。淡い水色の差し色が施され、見慣れた器とは一線を画す、洒落た趣を放っている。


 リュミエールはその器をじっと見つめ、「とても素敵だわ……」と呟いた。


「王都で見たことがありませんが、どちらで購入されたのです?」


 マリナ伯爵令嬢は嬉しそうに微笑み、手の中の器を軽く揺らした。


「元々は帝国から流れてきた品で、『カラフェ』という水指の一種なの。辺境伯領に入って、それを我が家が取り寄せて送ってくれたのよ」


 リュミエールとマリナ伯爵令嬢が仲良く紅茶を淹れ、冷却保管箱で冷やしている姿を、アルフォンスは少し考え込むような表情で見つめていた。その視線は、やがてカラフェへと移り、じっと凝らされる。


 やがて配膳されたティーカップを手に、それぞれが腰を落ち着けたところで、アルフォンスが口を開いた。


「少し予定を見直そう。大湿地帯での滞在を三日から五日に延ばす。明日から向かい、十一日目にミルド村へ戻る。そこから二日滞在して、伯爵領都、公爵領都、そして王都へ。そんな流れで考えてる」


 言葉と同時に、卓上の紙へ簡潔な日程を書き込んでいく。その筆先の確かさに、仲間たちの視線が集まった。


「大湿地帯の土壌を直接確認できる機会は、そう多くない。もし土壌の異変が原因なら、今のうちに比較材料を集めておきたいんだ」


「大湿地帯は薬草に良すぎる環境。ミルド村は良い環境、伯爵領都はごく普通。この差を見極めたい」


 リュミエールの補足に、シグヴァルドが腕を組んで頷き、マリナ伯爵令嬢も真剣な眼差しで耳を傾ける。


「マリナには薬草の分布や気候、土地の気配を感じることに集中して欲しい。土壌調査には同行させない。調薬師としての視点をぶらさずに済むようにしたいから」


「ええ、わかりましたわ」


 マリナ伯爵令嬢が小さく頷く。その仕草のあと、ふと疑問をこらえきれず口にした。


「ところで、以前から名前の出ているセレスタンさんって、どんな方なんですか?」


 唐突な問いに、三人がそろって瞬きをする。短い沈黙ののち、リュミエールが少しばつの悪そうな笑みを浮かべた。


「完全に説明を忘れてたわね。マリナ、ここで言うセレスタンさんって〈賢者〉セレスタン・ヴァリオールその人よ」


「け、賢者様……!?」


 息を呑むマリナ伯爵令嬢。驚きで背筋が伸びる――。

 その反応を横目に、リュミエールは簡潔に経緯を添え、シグヴァルドへ視線を送った。


「シグ、セレスタンさんと会ったことは?」


「ない。名は聞いているが、直接は一度も会ったことないな」


 ぶっきらぼうに答えるシグヴァルド。彼が首を振ると、アルフォンスが引き取るように語り始める。


「セレスタンさんは、かつて王宮の要請で大湿地帯の土壌調査を行っていたことがある。だから、関係する資料があるとすれば本人の私蔵書庫か、王宮の保管庫。おそらく公爵家にある可能性は低い。正直、分の悪い賭けになる」


「妥当な判断だな。俺の親父ならニコニコしながら伯父さんに押し付けるだろう」


 苦笑を浮かべながら、シグヴァルドが軽口を叩く。場が少し和む。


「王宮に顔を出して資料を探すのも手だけど、セレスタンさん本人に会えれば、それが一番早いんだよね」


 アルフォンスが軽く笑いながら言うと、リュミエールが即座に眉を上げた。


「それ、楽できるかどうかの話じゃないと思うけど?」


 声の端に呆れを滲ませる。


「ま、国王陛下から『今度、王宮に遊びにおいで』ってお誘いはもらってるし。入れないってことはないと思うよ?」


「……えっ?」


 シグヴァルドが目を瞬き、まるで『初耳だが?』と言いたげに顔を向ける。


 リュミエールは「あれ、言ってなかったっけ?」と小首を傾げ、マリナ伯爵令嬢は話の流れに追いつけず戸惑いを隠せない。胸の内では「国王陛下と直接――?」と驚きが渦巻いていた。


「シグ、ジークハルトさんやユリウスさんから何も聞いてないの?〈焔隼の翼(えんじゅんのつばさ)〉の送別会をタウンハウスでやってるとき、お忍びで陛下が突撃してきた。だから挨拶はしてる」


「そんな面白そうな場面、俺もいたかった」


 シグヴァルドがぼそりと呟くと、その場の空気がやわらぎ、全員が思わず笑いを漏らした。


「話が逸れたけど、資料があっても、現地で自分の目で確かめたい」


 アルフォンスは肩を竦める。情報も経験も、結局は自分の手で掴まなければ意味がない。それは彼が調薬師としてずっと持ち続けてきた信条だった。


 その夜、アルフォンスたちは翌日からの大湿地帯探索に備え、静かに支度を始めた。各自が装備や荷を点検し、部屋には小さな物音だけが響く。そんな折、控えめに扉がノックされた。


「……誰?」


 アルフォンスが声をかけると、扉の向こうから「わたし」と明るい声が返ってくる。


 扉を開けて招き入れると、リュミエールは当然のように部屋へ入り、手慣れた動きで茶を淹れはじめた。湯気の立つティーカップをアルフォンスの前に置き、自分も腰を下ろすと、ふぅと息をつく。


「このあと、落ち着いて話す時間があるか分からないから今のうちにね」


 普段より低い声色は、軽快さの奥に思慮を滲ませていた。


「恐らく、公爵様はマリナをシグの()()()()()として見ているんじゃないかしら」


 その一言に、アルフォンスの手がぴたりと止まる。胸の奥で思わずざわめきが広がった。


「根拠は、公爵家の馬車にマリナを乗せて移動することを許可したこと。そしてシグの同行を即座に認めたこと。この二つだけでも十分だけど」


 リュミエールは指を組み、柔らかな声音で続ける。


「マリナに婚約者がいる様子はないし、いたら単身同行なんてまず許されないわ。公爵様がそれを知らないはずもない。つまり――」


 少し間を置き、静かに結論を告げた。


「マリナを、シグの婚約者に据えるつもりなんだと思う」


 アルフォンスは黙って相槌を打つ。推測は大胆だが、根拠は確かだった。


「私はマリナ、好きよ。控えめだけど芯があって、シグとはたぶん相性がいい。だから私は()()()


 彼女は目を細め、柔らかく笑う。


「で、もしアルも()()()なら最初の三日は別行動ってどうかしら?」


 アルフォンスは「別行動?」と、少し首を傾げてリュミエールを見つめる。


「ええ。私たちは〈土壌調査〉に集中する。マリナとシグには〈薬草の調査〉を任せる。名目はシグがマリナの護衛。自然でしょう? もちろん騎士や侍女は付くけれどね」


 さらりとした提案に見えて、その言葉には確かな配慮が込められていた。


「きっとね、あの二人と私たちは長い付き合いになると思うの。楽しみだわ」


 湯が冷めぬうちに茶を飲み干し、――リュミエールは静かに立ち上がり「前向きに考えてね」と微笑み、音もなく部屋を後にした。


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