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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十一章 動き出す縁、芽吹く想い
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第四節 支える力、つなぐ想い

 朝の光が、街並みを淡く包んでいた。白く磨かれた石畳の上を渡る風はまだ冷たく、吐く息がわずかに白を帯びる。


 アルフォンスたちは伯爵家騎士団の出張所へ向かい、門前で名乗りを上げた。


 すぐに応対に出た若い騎士は、簡潔な敬礼をして中へ案内する。鍔の手入れや装束の整い方から、任務への誇りと緊張感が伝わってくる。


「大湿地帯の現況について、報告をお願いしたい」


 先頭のシグヴァルドが簡潔に要件を告げると、案内役の騎士は頷き、淡々と状況を語り出した。


「現在も調査団と採集団が交互に入り、活動を続けています。片道三日かかりますが、日々、数名ずつ交代を行っており、情報の遅延は致命的なものではありません。入れ替えの際に報告を持ち帰っていますが、この三週間、大きな異変は確認されておりません」


 ミルド村で受け取れる情報は、どうしても三〜四日前の様子に限られる。その時差を念頭に置き、判断を下す必要がある。


「現場からは、天候や魔力濃度に顕著な変化はなし。動物の動きにも異常は見られません」


「採集団には調薬師も同行しているのか?」


「はい。日程ごとに交代で派遣しており、薬草の状態や土壌の変化を重点的に確認しています。調薬師からも、素材品質に急激な変化はないとの報告です」


 報告を重ねる騎士の声色には、内容への確信と現場への信頼がにじんでいた。


 アルフォンスは小さく頷き、問いを重ねる。


「セレスタンさんについて、今の動向は分かりますか?」


「数日前、さらに大湿地帯の奥部へ調査に入ったとのことです。セレスタン様の行動は特例扱いで、移動予定も必要最低限の報告に限られています。戻る時期は読めません。予定変更も自由に許可されている方です」


「なるほど――相変わらずですわね」


 リュミエールが肩をすくめ、柔らかな苦笑をこぼす。場の空気に、わずかな笑みが広がった。


「ご協力、感謝します」


 最後にアルフォンスが丁寧に礼を述べ、四人は静かに出張所を後にした。ひとまず得られる情報を確認したアルフォンスは、足を延ばしてミレイ婆さんの店へ向かう。


 チリン――

 懐かしいドアベルの音が、からりと澄んだ空気を震わせる。


 幼い頃、母ティアーヌに手を引かれて訪れた日々。まだ背の届かぬ棚を見上げながら、調薬の手ほどきを受けた午後の記憶が胸の奥をあたためる。


 ミレイ婆さんが「おやおや、アル坊にリュミエール様よく来たねぇ」と、変わらぬ笑顔で声を掛けてくる。


「後ろの二人さんは、紹介しておくれ」


 アルフォンスが丁寧に紹介すると、シグヴァルドは明るく名乗り、マリナ伯爵令嬢は少し緊張の面持ちで深くお辞儀をした。


「ありゃまあ、こんな田舎までご足労なことだよ」


 ミレイ婆さんはひと呼吸置き、看板を裏返してからお茶の支度を始めた。


「立ってちゃ落ち着かんだろうさ。さ、こっちへおいで」


 奥の座敷へ通され、湯気の立つ茶が置かれる。


 リュミエールがマリナ伯爵令嬢に軽く目配せし、今回の来訪の目的を静かに語り出す。言葉を探すような間もあったが、マリナ伯爵令嬢は自分の立場をしっかり伝える。


 それを受け、アルフォンスが自然に話を継いだ。ティアーヌにも加わってもらい、これまでの検証結果を共有する。マリナ伯爵令嬢の調薬を実際に見てもらい、技術的な問題はなかったこと。そして、原因は土壌や水源といった環境要因にある可能性が高いと結論づけた経緯を説明する。


 ミレイ婆さんは黙って耳を傾け、やがて深く頷く。


「昔は、ポーションの供給に困るなんてなかったのならねぇ。それが変わるとなりゃ土地に何かあるんじゃと思うのも、そりゃ自然なことさ」


 ふと視線を遠くへやり、少し昔話めいた口調になる。


「そういえば、王宮に駆け込んできた貴族がいたねぇ。畑が瘴気にやられて、何も育たなくなったって。本当に酷い有様でさ。近くの村の調薬師が言ってたよ。ポーションの品質にも悪影響が出てたってね」


 その言葉に、アルフォンスたちは思わず顔を見合わせる。〈()()〉という言葉が再び耳に届き、ミレイ婆さんが王宮の案件に関わっていたことにも驚く。


「瘴気が、ポーション生成に悪さをするってことか?」


 シグヴァルドの問いに、ミレイ婆さんはゆっくりアルフォンスを見た。


『瘴気は魔力の流れを乱す。それが調薬に影響する可能性はある。けれど、この時点でその前提に縛られれば、視野を狭めるだけだ』


 胸の奥で思考を巡らせ、アルフォンスは微笑みながら話題をそらす。


「そういえば、ちょっとした手土産を持ってきたんです」


 袋から取り出したのは乾燥果物の詰め合わせ。途端に場の空気が和らぎ、ミレイ婆さんは懐かしそうに目を細める。


「こりゃ美味そうだねぇ。お昼も、うちで食べていきな」


 湯気と果物の甘い香りに包まれた昼食を共にし、腹を満たしたアルフォンスたちは午後になると森へ向かって歩き出した。


 薬草の採取を兼ねた散策――だが、今回は単なる観察ではない。


「シグ、森の動物は脅かす程度で。マリナさんには、見た目だけじゃなく違和感も拾って欲しい。地元の森と何か違うと感じたら、それも伝えて」


「わかったわ。森の空気を、全力で感じてみますね」


 踏み入れた森は、瑞々しい緑と命の気配に満ちていた。足元には薬草の群生が広がり、マリナ伯爵令嬢は素直な驚きを見せ、シグヴァルドも感嘆の吐息を漏らす。


「子どもの頃から、ずっとこんな森だったよ」


 アルフォンスは肩をすくめながらも、あらためてミルド村の特異さを実感する。


「防衛線が崩れそうだったあの時、大量のポーションが届いて助かった。まさか、この森の薬草だったとは」


 シグヴァルドの低い呟きに、アルフォンスは目を細め笑みを浮かべる。


「なら、今からお礼を言いに行こう」


 森の小道を外れ、アルフォンスたちは古びた工房へと向かう。扉を叩くと、木の軋む音とともに開き、ふわりと薬草の香りが鼻をくすぐった。


「当時、稼働していたのはこの工房だけだったんだ」


 責任者に事情を告げると、作業中の手を止めた職人たちが集まってきた。


「少し顔ぶれは変わったけれど、あの異変の時に共に動いてくれたのは、彼らだよ」


 アルフォンスがそう言い、シグヴァルドを促す。


「マクシミリアン公爵家三男、シグヴァルド。当時、公爵領の前線で指揮を執っていた。ポーションで癒やされたのは、俺たちの身体だけじゃない。支えてくれる者がいる。その実感が背中を押してくれた。騎士も、魔導士も、冒険者も。みなが、感謝している。ありがとう――」


 目を潤ませる者、誇らしげに頷く者。その反応を見て、アルフォンスが話を引き取る。


「この工房に乾燥魔道具を並べ、使い方を覚え、薬草を乾燥させ、袋詰めして領都まで届けてくれた。その結果が、今へと繋がっている」


 そっとシグヴァルドの肩に手を置き、穏やかな笑みを向ける。


「僕も、シグも、リュミィもここにいるみなも。あの異変を共に戦ったかけがえのない戦友だ」


 その言葉は飾り気なく、真っ直ぐに場の空気へ沁み渡っていった。少し離れた場所で、マリナ伯爵令嬢はその光景を見つめていた。


『この光景を包み隠さず、お父様、お母様、――そして弟に伝えよう』


 今日、この場所で何を感じ、どんな人々に出会い、どんな想いを抱いたのか。私の言葉で、きちんと話そう。……支援は、レストール家に課せられた義務であり、遂行すべき責務。そう信じて調薬を学んできた。


 けれど、それだけじゃなかった――。

 調薬というのは、人を支え、人と繋がり、未来をつなぐ誇るべき力なのだ。


 そして、もう一つ。少しだけ、自分でも驚いている。


 ありがとう――。

 あの真っ直ぐな言葉が、胸の奥に残っている――胸が、わずかに熱くなったのは気のせいではなかった。


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