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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十一章 動き出す縁、芽吹く想い
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第二節 歓声の帰宅、新たな仲間

 マクシミリアン公爵家の馬車が、夏の陽光に照らされた領都(バストリア)の門をくぐった瞬間、思いがけない光景が三人を迎えた。


 門前から続く広い大通りの両脇には、人々がぎっしりと集まり、色とりどりの衣服が風に揺れる。子どもたちは肩車され、小さな手を懸命に振って声を張り上げる。年配の婦人は胸に花束を抱き、若者たちは馬車に向かって名前を呼び続けた。太陽に照らされた石畳の上を、歓声と足音の波が押し寄せる。


「おかえりなさいませ! シグヴァルド様! リュミエール様も! アルフォンス様!」


 その声の洪水が馬車を包み込み、窓越しの三人は思わず息を呑む。シグヴァルドは目を見開き、アルフォンスは言葉を失い、リュミエールは小さく息を飲んだ。


 歓迎されている――。


 胸の奥がじわりと熱くなる。子どもたちの笑顔、花束の色、揺れる衣服の波、すべてが記憶と結びつき、心を満たす。じわじわと温かい感情が体中に広がり、あの日、自分たちが守った場所に、今こうして確かに帰ってきたのだという実感が、ひとつひとつの声と笑顔を通して押し寄せてくる。


 馬車の車輪が石畳をゆっくりと進むたび、人々の期待と喜びが息づき、三人の胸にもまた、新たな誇りと温もりが積もっていった。


 少し離れた席で、マリナ・レストール伯爵令嬢は窓の外を静かに見つめていた。王都(リヴェルナ)で耳にした数々の噂――誇張や作り話ではないかと半信半疑だった話の数々を、自分の目で確かめる時が、今まさに訪れている。


 防衛戦を指揮し、最後まで守り切った若き公爵家の三男、シグヴァルド。

 戦火の中、親友を救うため、最前線まで駆けつけた少年と少女。


 〈王国の盾〉の戦姫(いくさひめ)と肩を並べ、共に最終決戦を戦ったという話――。


 そのひとつひとつが確かに事実であることを、領民たちの歓声と笑顔が雄弁に物語っていた。作り物ではない、心からの喜びと誇り――それはどんな言葉よりも真実味を帯びている。


 馬車の中で微笑み、時折身を乗り出して手を振る三人。ひとつひとつの動作を、マリナ伯爵令嬢は注意深く目に焼き付ける。仕草、間合い、声の届き方――すべてが、彼らの人となりを示す手がかりだ。


 心の中でそっと呟く。『本当に、素敵な人たち』――唇は動かさず、感情は胸の奥で静かに膨らむ。まだ言葉にするには早すぎる。彼女は、噂ではなく、この目で確かめた事実を、胸に留めておきたかったのだ。


 その後、アルフォンスたちは公爵邸(マナーハウス)に入り、長旅で硬くなった身体を解きほぐすため、湯浴みの支度が整えられた。


 シグヴァルドが「アル、湯殿に行こうぜ」と、軽やかに誘う声が、石造りの廊下に軽く反響する。


 リュミエールも自然な笑みで「マリナ先輩、ご一緒しませんか?」と、声をかける。


 男女に分かれて入った湯殿は、磨き込まれた大理石の床と香草の香りを漂わせる蒸気に包まれていた。湯面が揺れるたび、灯りの反射が壁にきらめきを投げかける。


 リュミエールとマリナ伯爵令嬢は、肩まで湯に浸かり、ほっと息をつく。湯気が二人の頬を薄紅に染め、表情をやわらげていた。


「……本当に、あの話、嘘じゃなかったんですね」


 ぽつりと漏れたマリナ伯爵令嬢の声に、リュミエールは小さく頷く。


 指先で湯をすくい「シグが必死だったの。それで、アルと私は戦場へ向かったのよ」と、水面に小さな波紋を描く。


「間に合うか分からないくらいギリギリだったけれど、できることは全部やったわ」


 マリナ伯爵令嬢は静かに息を吐き、湯の向こうをぼんやりと見つめる。


「馬車の中でのあなたたちの表情、誇らしげで――その誇りを内に秘めていたことが、私には自然に思えたの」


 微かに笑みを浮かべながら、湯の温もりを感じて頷く。


「それが、私たちらしいってことかもしれないわね」


 マリナ伯爵令嬢の目が細まり、少しだけ笑む。静かな湯殿の空気に、その笑みは穏やかに溶け込む。


「今、こうして一緒に行動している時間――とても大切に思えるの。こんな感情、久しぶりなの」


 リュミエールはそっと目を細め、心の中で感じ取ったものを言葉にする。


「マリナ……あなたとは長い付き合いになりそうな気がする。親友になってくれる?」


 一瞬、驚きで目を瞬かせたマリナ伯爵令嬢だったが、すぐに柔らかな微笑を浮かべ、静かに頷く。


「ええ、喜んで」


 静かな約束が二人の間にゆっくりと刻まれた。


 同じころ男湯では――。


 湯の縁に背を預け、湯気の向こうに立ちのぼる光を眺めながら、シグヴァルドが口を開く。


「どうしてそんなことを聞くんだ?」


「マリナさんって、領地のために調薬師を目指してるじゃないか。知らない土地に一人で赴いて。あれって、貴族として当然なのかなって」


 アルフォンスは真面目な眼差しで問い返す。シグヴァルドは少し考え込み、湯面に映る灯りを見つめながら答えた。


「今回に関して言えばたぶん貴族とか関係ないな。単純に、家族のためにって気持ちが強いんだと思うぞ。貴族は使者を送って、報告書を待つもんだよ」


「ならなおさら、マリナさんが来てよかったって思ってもらえるように手を尽くしたい。母さんにも、ミレイ婆さんにも紹介しなきゃ。セレスタンさんがいれば、きっと力になってくれるし」


 まっすぐな視線を向けるアルフォンスを、シグヴァルドは横目で見やり、口元をわずかに緩める。


『ほんと、あのときの姿と変わらないな。迷いなく駆けつけた、あの瞬間のままだ』


 打算のない行動は、人を惹きつける――。

 その言葉が、湯気の向こうからふと心に浮かんでいた。


 夜も更け、宿のラウンジには柔らかな明かりと湯気の立つ茶の香りが満ちていた。丸卓を囲んだ四人は、伯爵領マリーニュでの予定をあれこれと語り合っている。


 リュミエールが「マリナ、双子に絶対会わせるからね」と、弾む声で宣言する。


 アルフォンスが、肩の力を抜いたまま穏やかに言葉を重ねた。


「僕としては、乾燥薬草の出荷地になったミルド村も見てほしいな」


 マリナ伯爵令嬢は頷きながら、手元の小さなメモ帳に静かに書き留めていく。その様子を、シグヴァルドはやや引いた位置から眺めていた。


 灯りの下楽しげに語り合う三人――。

 笑顔の間に交わされる言葉は、単なる旅の計画以上の温かさを帯びている。


 視察や帰省という枠には収まらない何かが、この旅にはある――そんな予感が、彼の胸の奥でそっと芽吹いていた。


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