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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十一章 動き出す縁、芽吹く想い
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第一節 夏の風と、ひとつの申し出

 王立学園に入学して、初めて迎える夏がやって来た。王都(リヴェルナ)の王宮に隣接した一角あるマクシミリアン公爵邸(タウンハウス)は、いつもより少し浮き足立った空気を帯びている。


 執事や侍女たちの足取りも心なしか軽く、廊下を行き交う姿に、帰省前特有の慌ただしさが混ざっていた。


 それもそのはず、マクシミリアン公爵家の三男であるシグヴァルドと、アルフォンス、リュミエールの三人は、間もなく故郷へ向けて出発する予定だった。


 荷造りを終えた午後、アルフォンスとリュミエールは、最後の買い物を兼ねて街中の市場へと足を延ばしていた。


 夏の陽光が白い石畳を照り返し、光の粒が目にやさしく瞬く。通り沿いに並ぶ露店には、鮮やかな果実や冷菓、涼しげなガラス細工、そして色とりどりの髪飾りが整然と並べられている。


 リュミエールは、棚の上で輝く小物に足を止め、小さく声を上げた。


「まあ、ご覧になって。ほら、この色合い、とても涼やかでしょう?」


「……トンボ玉だな。薄緑色がベースという感じで、ところどころ濃い緑が溶け込んでる。どうやって色をつけてるんだろう……鉱石の粉を混ぜてるのかな」


「ふふ、アルったら。私が『涼やかね』と思うところを、すぐに作り方に結びつけてしまうのね」


「気になってしまうんだよ。もし薬草の抽出液で色を出せるなら、もっと柔らかい色合いもできるかもしれない」


「……本当に、どこまでも素材と作り方に目を向けるのですわね。でも、そういうところ、嫌いではありませんわ」


 二人は微笑み合いながら、店先をひとつひとつ眺めて回った。香辛料の香りや、果実を割った甘い匂いが風に乗って流れ、通りの喧騒と混ざり合っていた。


 そうして歩くうちに、二人の足は自然と、以前〈焔隼の翼(えんじゅんのつばさ)〉の仲間たちと訪れたあの小さな食堂へと向かっていた。


 白い漆喰の壁と木製の看板は、当時と変わらぬ温かさを感じさせる。懐かしい思い出に背を押されるように扉を開け、二人は並んで席についた。


 窓辺から差し込む陽射しの中、気取らない昼食をゆったりと味わう時間は、過ぎゆく季節を慈しむひと時だった。


 出発までの残り数日も、二人でポーションの調合に没頭したり、近郊の平原で騎乗訓練を重ねたりした。夕暮れには公爵邸(タウンハウス)の庭で紅茶を飲み、夜更けには穏やかな会話を交わす。


 そんな、静かで充実した日々が流れていった――。


 だが、旅立ちの朝は、やはり平穏なだけではいられない。まだ涼しさの残る早朝、公爵邸(タウンハウス)の馬車止めには馬車が置かれ、御者が積み荷を点検していた。


 馬車止めの前に集まったのは、アルフォンス、リュミエール、シグヴァルド。そしてもう一人、薄桃色のドレスに身を包んだマリナ・レストール伯爵令嬢の姿もあった。


 ──特設講座最終日に刻を巻き戻す


 夏季休暇を目前に控えた午後、特設講座の最終日を終えたばかりの学園は、名残惜しさと解放感が入り混じる空気に包まれていた。


 アルフォンスとリュミエールは、学園内の校舎近くにあるカフェテラスで一息ついていた。午後の陽が柔らかく差し込み、磨き込まれた木製テーブルに金色の光が揺れている。


 ティーカップの縁から立ちのぼる香りは、学びの緊張を解きほぐすように穏やかだった。


 ――女生徒が、躊躇いがちに二人に歩み寄ってきた。


「アルフォンスさん、リュミエールさん。少しお話があるのですが、ご一緒してもよろしいでしょうか?」


 立ち止まったその声音には、かすかな緊張が滲んでいた。二人は自然と視線を交わす。リュミエールが口元に柔らかな笑みを浮かべ、すぐに応じた。


「お時間はございますわ。マリナ先輩とは、このような場でお話しする機会もございませんでしたもの、ぜひ」


 手を軽く上げ、給仕に新たな席を整えるよう指示を出す。


 このカフェテラスは、学園生にとって社交や礼儀作法を実地で試す場でもある。個室でない限り、周囲の目を常に意識し、洗練された振る舞いが求められる。


 間もなく席についたのは、三年生で特設講座の参加者でもあるマリナ・レストール伯爵令嬢。背筋をまっすぐに伸ばし、落ち着いた仕草でティーカップを手に取ると、切り出した。


「実は、ひとつお願いがございまして、お時間を頂戴いたしました」


 その後の言葉は、領地におけるポーション生産の現状を静かに、しかし誠実に語るものだった。マリナ伯爵令嬢は、調薬の工程や薬草管理に試行錯誤を重ねるうち、それらの作業そのものを愛するようになったという。


 けれども現実は厳しく、思うようにポーションの作成は上手くいっていない。


「今のマリーニュ伯爵領は、調薬師にとりまして誠に訪れる価値のある地でございます。以前にアルフォンスさんのお話を伺い、興味を抱いて調べてみましたところ――あれほど流通と研究が行き届いた場所は、他にございませんでした」


 語られるのは、乾燥薬草の流通経路や魔力封入の工程。その一つひとつが、見慣れた光景であるリュミエールたちには、まるで記憶をなぞるような話題だった。


「理由を知りたいのです。なぜ我が家では上手く参りませんのか、何が異なるのか。――もし対策が叶うのであれば、ぜひ知りたいと存じます」


 その真摯な眼差しに、二人は自然と姿勢を正していた。リュミエールはひと呼吸置き、やわらかな声音で答える。


「マリーニュ伯爵家に連なる者として、マリナ先輩のお言葉とご提案、誠に嬉しく存じます。ぜひ、私どもの領地へお越しくださいませ」


 続けてアルフォンスが、実務的な提案を添える。


「公爵様の判断次第ではありますが、もし許可が頂ければ公爵家の馬車で、公爵領都まで同行していただくことも可能です。そこから伯爵領へは騎乗での移動を考えています」


 アルフォンスは「リュミィ、どう思う?」と、リュミエールに確認する。


 リュミエールが顎に手を添え、少し思案した後に頷いた。


「妥当ですね。おそらく許可は下りるでしょう。伯爵領への移動は馬を使いましょう。マリナ先輩、騎乗での移動に問題はございませんでしたよね?」


「はい、騎乗での移動に関しましては、問題ございません」


 マリナ伯爵令嬢は落ち着いた笑みを浮かべながら答えた。


 その後の段取りは、驚くほど順調に進んだ。リュミエールの見立て通り、ゼルガード公爵からの許可はすぐに下りたのだ。


 それは、マリナ・レストール伯爵令嬢の訪問が、マクシミリアン公爵家にとっても大きな(えにし)と価値をもたらすと判断された結果だった。


 そしてもう一つ、思いがけない巡り合わせが待っていた。


 シグヴァルドの同行――「え、行っていいの? やった!」


 拍子抜けするほどあっさりと許可が下りた瞬間、本人が一番驚いたらしい。目を丸くしたあと、子どものように笑顔をはじけさせる。


 親友であるアルフォンスと共に休暇を過ごせることが、心の底から嬉しいのだろう。


 一方で、許可の場に同席していたリュミエールは、ほんの一瞬だけ垣間見えた公爵の表情に目を細めた。


『いま、少しだけ真面目な顔をなさった……。ふふ、あのお顔は絶対、何か悪戯を思い付いたときの表情だわ』


 その確信を胸に秘めつつ、リュミエールはさりげなくアルフォンスの傍へ歩み寄った。そっと耳元で囁く。


「公爵様、何か悪戯を思いついたようですわ。念のため、様子を見ておきましょう――」


 軽やかな声の端に、わずかな警戒と、ほんの少しの好奇心が混じる。アルフォンスは短く眉を上げ、穏やかに目を細めて頷いた。


 言葉を交わさずとも、その仕草だけで互いの意図は通じる。目の動きや微かな呼吸のリズムだけで、理解が自然に伝わるのだ。


 ふたりは戦場を共に駆け抜けた日々の中で、言葉より先に心を察する術を覚えた。まだ声に出さなくても、互いの間には確かな信頼と、ほんのりと遊び心が息づいている。


 こうして、アルフォンスたちにマリナ伯爵令嬢を加え、マクシミリアン公爵領の領都〈バストリア〉へ向かうこととなる。


 四人を乗せた馬車は、夏の陽射しを浴びた王都(リヴェルナ)の石畳を離れ、北へと伸びる街道を静かに走り出す。


トンボ玉のところでこの時期の王国では作れていない透明という記載があったので修正しました。色も緑色がベースとなり、緑色の出方で評価される世界観です。ちなみに、薄い緑色というのは色合いの中に入る分にはアクセントになりますが、それがベースだと発展性が低いとみなされて評価が低くなります。故に、トンボ玉として売られているという感じの背景です。


あと、アルフォンスの「鉱石を混ぜてるのかな」という発想はガラス工房にはないものです。。

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