閑話 学び舎の決断、王宮の思惑
午後の教師控室は、外の熱気から切り離されたようにひんやりと静まり返っていた。厚いカーテン越しの陽光が柔らかく差し込み、円卓を囲む実技担当の教師たちの影を長く落としている。
机上には記録簿や報告用の紙束が積まれ、ペン先のかすかな音と低い声だけが室内を満たしていた。
「実技授業免除、という扱いにしていいのか少し迷いますね」
年配の教師が紙面から顔を上げ、穏やかに口を開く。王立学園は武術、魔法の実技授業に力を入れている自負もあるため苦渋の顔をしている。
議題は、もちろんアルフォンスとリュミエールの扱いについてだった。実技担当の教師から、通常の実技授業で考えているカリキュラムでは、まったく役に立たないと報告が上がった。
「オリエンテーション前に申し出があった時点で、ある程度の自信と見識は感じましたが想像以上でしたね」
「それも、型破りなわけじゃない。体系的な修練と実戦を経た上での完成度。下手をしなくとも、教師陣でも敵わん者がほとんどだ」
誰かが小さく苦笑し、別の者が頷く。
「教えることがない、というより、教え方が違ってくるという方が正しいでしょう。少なくとも通常の実技授業の枠には入りません」
「変な話ですが、公爵家騎士団の騎士団長が生徒としてきた場合、私たちは指導できるか? それに近いと感じます」
「いっそ助教として参加してもらってはどうか、という意見もありましたね」
「ですが学生である以上、その線引きは慎重にすべきです。また、学園長よりやんわりとですが拒否の意見が来ています。理由は、『二人は学園に縛り付けるべきでない』とのことです」
年配の教師が静かに付け加える。
「ただ、彼らが自分の能力を正しく把握し、必要に応じて教師と連携しようとする姿勢は、他の生徒たちにも良い影響を与えると思います」
「慢心せず、他者を見下すでもない。あの精神性は、教育の観点から見ても貴重です」
しばし沈黙が落ちた。誰も異論を挟もうとせず、むしろその意見を胸の中で反芻している。
「では、まとめましょう。アルフォンスの武術実技授業、リュミエール男爵令嬢は魔法実技授業を免除とします。本人の希望のみで授業補助に参加可能を認めます。実技教師全体で連絡系統を整えておく」
「異論なし」
合意は穏やかに、しかし確かに成立した――学園の中で最も秩序だった混乱が、静かに形を持った瞬間だった。
マクシミリアン公爵邸 執務室――
教師たちが行った職員会議の報告が、一通の書簡となってゼルガード公爵に届く。
深く腰掛けたゼルガード公爵は、封を切ると添えられた補佐官の裏メモに目を通し、口の端をわずかに吊り上げた。
「事前に接触してきた、か。そう来るとはな」
机上のティーカップから立ち上る香りに目もくれず、ゼルガード公爵は書簡の端を指で軽く弾く。
「成長したな。いや、気づいたのか。自分たちがどう見られるかを――」
二人の判断により、本来であれば発生したであろう軋轢が避けられ、王立学園は一枚岩のまま変革の兆しを受け入れる準備を整えた。
本来、王立学園は変化を嫌う古い体質の教師たちの牙城であるはずだった。
「牙城に風穴が開いた。いや、風そのものが入ってきたというべきか」
目を細め、書簡を机の上に置きしばし思考の流れに任せる。
「さて、平穏に澄んだように見えることで、不満分子の反応が楽しみになったな。沈黙する者ほど、深く燃える。煽るなら、今か」
その呟きは、誰に向けるでもなく空気に溶けた。
王宮 国王政務室 付属談話室――
談話室の中で四人の男性が密談をしていた。
宰相補佐官であるジークハルト・マクシミリアンが報告の最後の案件を口にする。
「西方大河の遡上について、噂が先行している節があります」
報告を終えた宰相補佐官に、ヴァルディス・フェルノート国王が頷いた。
「担当する在地貴族が定まらぬうちに話が進めば、後で尾を引く。無理に進めさせる理由はない。今は情報の統制を優先するべきだな」
ゼルガード・マクシミリアン公爵が手を組んで首を振る。
「噂は止めようがない。ノルド子爵家に動きが出ているが止めるか進めるか」
グラディウス・アストレイン宰相が眉をピクリと動かしゼルガード公爵に問いかける。
「ノルド家の娘か?」
ゼルガード公爵はグラディウス宰相に同意の頷きをし説明する。
「学園に通っているリサリア子爵令嬢だな。まだ、相談という接触のようだが動き始めたのは確かだ。彼女は特設講座に参加しているからアルフォンスと接点は持っている。最近は、リュミエール嬢と懇意にしているという情報もある」
ヴァルディス国王が「なるほど」と低く応じ、グラディウス宰相が顎に手を当て「ふむ」としばし考えゼルガード公爵に応える。
「アルフォンスの安全圏か。そこならば、情報の流れも制御しやすいと考えれば特設講座の設置は結果的に良い方向に向いているわけか。ゼルガードの悪戯を手伝わされてると心苦しかったのだがな」
ゼルガード公爵は呆れた顔をして辛口に指摘する。
「よく言う。グラディウスの口角は確実に上がってたぞ。王立学園に風を入れることも含めて打算していた癖に逃げを打つなよ」
ヴァルディス国王が話の流れを聞き流しながら告げる。
「現時点で動くのは早計だな。だが、せっかく整い始めている繋がりは残すべきだな。仮に、遡上がどうであろうと、ノルドの娘もまた規格外だからな。アルフォンスたちと接点は太くしとくべきと思うがゼルはどう考えてる?」
ゼルガード公爵は頷きながら応える。
「確かに、兄上の言うように接点は太くしておいた方が良い。特設講座の参加者は、ダメな連中を弾いたから、結果的にあの世代では中核に入れそうな連中ばかりだ。あそこの顔ぶれで王国運営もできそうな気がするぐらいだ」
ヴァルディス国王は「マジ? めちゃ楽になるから欲しいんだけど」と、本音が漏れた。慌てて取り繕い真面目に話始める。
「先んじて動かれれば、王家としての立場が揺らぐ。だが、特設講座が選別された情報の場になっているなら利用できる。まぁ、こちらからアプローチしなくても動くだろうがな」
ゼルガード公爵はわずかに口元を緩めた。
「兄上の仰る通り。色々と動きを見せてくると思うから〈風〉の通り道は、今のうちに整えておくのが得策。ただちょっと気になることがある」
グラディウス宰相が「何かあったのか?」と軽く問いかけてくる。
「特設講座なんだが、アルフォンスがグラナートと連絡を取り始めてる。あの二人が混ざると暴走していくから気になる感じだな。どうやら、特設講座で魔道具案を積み上げようとしてるようで、バストリアも巻き込まれそうな気配を感じてる」
「今日の議題はこれぐらいだな。では、解散ということで」
グラディウス宰相はバッサリ切り捨て会議終了を告げる。




