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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第二章 風は西へ、水面へ至る
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第一節 森のざわめき、受け継ぐ力

 木々の葉がわずかに色づきはじめた森には、差し込む光にもどこかやわらかな色が染まりはじめていた。風が枝葉を揺らすたび、混じる音はかすかに乾いていて、季節が夏の背を見送りながら、静かに秋へと歩を進めていることを告げていた。


 そんな森を歩くアルフォンスの足取りには、いつの間にか確かな重みが宿りはじめていた。父ジルベールから単独での探索を許されて以来、彼は一人でミルド村の西側の森を巡るようになっていたのだ。


 薬草や魔石が〈そこにある〉と感じる瞬間は確かな証拠ではなく、どこか曖昧な直感に近いものだった。けれど、風の流れ、木々のざわめき、地面のわずかな匂い、些細な違和感を察したとき、不思議と高確率で何かを見つけ出すことができた。


「おやおや……また見慣れん薬草を拾うてきおったのぉ」


 調薬店の奥で、ミレイ婆さんが目を細めながら指先で茎を撫でた。その節には薄緑の若葉がついており、切り口には淡い紫の滲みが残っていた。


「ふむ……こりゃ〈キルムラ〉の若葉じゃないかのぉ。十年……いや、それ以上ぶりに目にするわい。ようまぁ見つけてきおったもんじゃ」


「なんとなく、あの辺にありそうな気がして」


 曖昧な言葉に、ミレイ婆さんは湯呑を持ち上げてふうっと息をつき、しばらく黙り込んだ。


「〈風〉属性を操る使い手いうもんにはのぉ、空気の流れやら匂いやら……それにな、人や獣の気配を察する術があるんじゃよ。ティアはのぉ、昔からそいつぁめっぽう得意でな」


「母さんが?」


「そうさのぉ……ティアは〈風〉属性と〈水〉属性の使い手じゃろう? 昔、冒険者をしとった頃はのぉ、たまに依頼でこっちまで足を運んで、この森でもずいぶん腕を振るっておったわい。」


 軽く息をつき、手元の薬草を撫でるようにして、さらに口を開く。


「薬草の見分けもな、葉にちぃと指先を触れた途端に、すぐ分かってしまうんじゃ。あれはのぉ、ちと真似できん才覚じゃったわい」


 その言葉に、アルフォンスの胸に淡い熱が灯った。母ティアーヌの感知。父ジルベールの勘。もしかすると自分は、その両方を継いでいるかもしれない。


 『なんだか、少し誇らしいな』


 風の中に潜む微細な気配を感じ取るように、アルフォンスは草を見つけ、魔石を探し出す。目に映る前に分かる。それはすでに、〈自分の力〉として根付き始めていた。


 その日も、彼は数種の珍しい薬草と小粒の魔石を持ち帰っていた。見つけた場所は簡単な地図に記し、群生地を記録しながら森の全体像を少しずつ塗り替えていく。村の周囲は、静かに、確かにアルフォンスの知識と記録によって姿を変えつつあった。


 ――そんなある日


 村の入り口から子供たちの歓声が上がった。


「行商人だー! 行商人が来たぞーっ!」


 広場は久々の賑わいに包まれた。屋台には衣類や香油、陶器、武具や道具が並び、子どもたちは木剣を振り回し、大人たちはその背を苦笑いで見送っていた。アルフォンスも人波を縫って広場へと向かい、見慣れた荷車の前に立つ。


「ガルドおじさん、久しぶり」


「お、アル坊じゃないかい。今日もまた、珍しいもんでも見つけたのかね?」


「うん。少しだけど、魔石を」


 包みを広げると、青銀に赤の芯を宿す小さな魔石が顔をのぞかせた。ガルドは目を細め、感心したように唸る。


「おお、こりゃ見事な発色だな。村じゃ滅多に見られん色じゃぞ。それに芯が赤だなんて……よぉ、ええとこ掘ったもんだわ」


「なんとなく、そこにあるような気がして」


「まったく、面白ぇ奴だなぁ、お前さんは」


 そう言いながら、ガルドは荷の中を探り始め、手に取った一冊の書を差し出す。


「そうそう、あの時渡した《錬金術基礎概論》の姉妹本らしいやつ、ちょうど手に入ったんだわ。ほれ、見てみなや」


 灰色の地味な装丁。金の小さな文字で〈魔法陣基礎概論〉と記されていた。


「買う!絶対買うよ!著者きっと同じ人だ!」


「そう来ると思って、ちゃんと取っといたんだわ」


 --その晩

 アルフォンスは机に本を広げ、見入っていた。

 精緻な魔法陣。導線、力の流れ、属性の交差点。幾何学のように整った図が、頭の中で《錬金術基礎概論》の記述と結びついていく。魔法陣を模写する手は、調薬で培った集中と感覚をなぞるように動いていた。


 『本物の錬成陣を、自分の手で描きたい』


 風に誘われるように薬草を見つけ、魔石を拾い、知識を積み重ねてきた日々。その延長線上に自ら描く術があると彼は信じはじめていた。母譲りの感知、父譲りの勘、そして自分の手。アルフォンスは気づかぬうちに、それらを自らの術へと変え始めていたのだった。


 父ジルベールの畑仕事を手伝い終えたアルフォンスは、昼食を早々に済ませ、採集袋を肩に掛けて森へと向かう。未踏の地は、まだ森の奥に幾つも残されている。一歩踏み出すたびに、新たな知識の扉を叩いているような感覚が胸に広がった。


 森は静かだった。けれど、それはただの沈黙ではない。湿った土の匂い。獣が残した樹皮の擦れ跡。風に揺れる葉の、かすかな音。それらすべてが、森という巨大な生き物の、静かな呼吸のようだった。


「……これは」


 苔むした根元に、小さく群生する薬草の葉が顔を覗かせていた。アルフォンスはしゃがみ込み、指先でそっと葉を撫でる。しっとりとした質感と、ふわりと漂う甘い香り。


「群生地、間違いないな」


 慎重に数枚の葉を摘み取り、採集袋に収める。その少し先。岩陰の窪みで、青みを帯びた輝きがひっそりと光を返していた。


 魔石――

 拾い上げると、ひやりと冷たい感触が指に伝わる。それはまるで、この森の力が凝縮されたような結晶だった。


「薬草だけじゃない、魔石もここにあったか」


 またしても、〈ありそうな気がする〉という感覚が的中していた。


『〈風〉属性を操る使い手いうもんにはのぉ、目に見えん気配を読むんじゃよ』


 ミレイ婆さんの言葉が蘇る。〈風〉属性の使い手は、空気の流れや気配の微細な変化を感じ取る感覚があるという。言葉にはしにくいが、肌が先に反応し、身体が動くような直感。それは、母ティアーヌがかつて駆使していた力のひとつでもあった。


「自分にも、あの力が芽生えている?」


 誇らしさと、少しの緊張が胸をよぎる。けど、幸運な発見ばかりが続くわけではない。ここ最近、森で出会う獣の気配が明らかに増えている。


「また、いるな」


 遠く、木立の影にちらりと動く大きな影。狩りを目的とするものではないが、にらみを利かせ、こちらの動きを見ている。威嚇で追い払うしかない場面も、日増しに増えてきていた。


 森の均衡が、どこかでわずかに揺らいでいるような違和感が、確かな警告のように背筋を撫でていった。


「このままじゃ、いつか破綻するかも」


 日が傾きはじめる頃、採集袋は薬草と魔石でずっしりと重たくなっていた。アルフォンスは村へと急ぎ戻り、井戸の水で身体を拭い、夕食までのひとときを、もう一つの修練にあてる。


 〈錬金術基礎概論〉

 〈魔法陣基礎概論〉


 まだ、自らの〈魔力〉を扱うことは叶わない。


 祝福の儀――

 創世の女神が定めた祝福の掟。創世の女神は、魔力暴走から子どもたちを守るため魔力を封じた。魔力は

十歳の春に受ける〈祝福の儀〉で解放される。


 けれど、アルフォンスは、魔法陣を知り、線の意味を読み解き、組み合わせの意図を探る。それが、今の自分にもできることだった。


「いつか、自分だけの錬成陣を描けるようになりたい。きっと役に立つ魔法陣があるはずだ」


 集中したまなざしで模写を続ける。導線、力の収束点、属性の相関。線の一つひとつに、確かな意味がある。それらを丹念に指先でなぞり、形として、心に焼きつけていく。


 ――薬草を探す感性

 ――魔石を見つける勘

 ――図形を読み描く目


 そのすべてが、少しずつ力となって、アルフォンスの中に根を下ろしはじめていた。彼の探求は、戦うためでも、名声を求めてでもない。知ること。創ること。そして、使えるようになること。


 その日々の歩みはまだ小さな光に過ぎない――


 けれど、それは確かに、彼の内側で灯り、小さくも確かな軌跡を描きはじめていた。

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