閑話 ヴェルナーの動揺、家族の信頼
ヴェルナー・アスグレイヴ侯爵子息は、深く息を吐いた。
十二歳。アスグレイヴ侯爵家の次男として育ち、今年、王立学園に入学した。爵位も家柄も申し分なく、代表生徒として壇上に立つことも当然の流れだと信じて疑わなかった。
だが、入学式は、当初思い描いていたものとはまるで違っていた。
マリーニュ男爵家の令嬢は、魔法の才が高く育成学校へ進むと聞いていた。だから、王立学園の場に彼女の姿を見つけた瞬間、思わず息を呑んだ。
しかも、その姿は聞き及んでいた噂どおり。いや、噂ですら過小評価しているほど可愛く、美しかった。王都のお茶会でも滅多に姿を見せないが、出席すれば話題をさらう。上品で、明るく、礼儀正しいそんな少女だ。近づきたいと願う子息は、決して少なくないはずだ。
にも関わらず、マリーニュ男爵令嬢に婚約者ができたという話は聞いたことがない。釣り書きに名を挙げる者が多くいるとは聞いている。ただ、婚約を申し込んだという話は聞こえてくるが、婚約が成立したという話は流れてこない。
本来であれば家格は男爵家だ、上位貴族から釣り書きが届けば普通は断れない。おそらく、本家のマリーニュ伯爵家が関わって潰しているのだろう。マリーニュ伯爵家は伯爵家筆頭というのもあるが、王国を守護する武門で発言力は侯爵家ですら凌駕する。
だが、マリューヌ男爵令嬢の隣には、見知らぬ少年が立っていた。何者なのか分からない。だが、あまりに自然な距離感で立ち、親しげに会話を交わしている。マリューヌ男爵令嬢の笑顔はとても自然で、互いに信頼しあっているのが見て取れる。
『呼び名は愛称だろうか――』
愛称を許す相手にもかかわらず、同い年の見知らぬ少年というのは心をざわつかせる。周囲のざわめきが、耳をくすぐる。いや、正しくは誰もが聞き耳を立てていた。自分も、その一人だ。
自己紹介の場で、その少年は「平民のアルフォンスです」と名乗った。
平民? 王立学園に、平民が?
混乱が頭を駆け巡った。だが、父の穏やかな顔を思い浮かべ、どうにか平静を保つことができた。
それだけでは終わらなかった。
二人はマクシミリアン公爵家のタウンハウスから通っているという。マクシミリアン公爵家との繋がり? いや、それ以前に――学園長がさらりと告げた。
「国王陛下の裁可を受けた、特設講座です」
意味が、まるで掴めない。
隣でマリーニュ令嬢が微笑を含んで「さすが公爵様、遊び心にそつがない」と呟く。
『遊び心? これが? あれをそう受け止められるのが、貴族の器量なのか? 分からない』
思い返すたびに、胃の奥がきりきりと痛む。
侯爵家の一員として、人並み以上に努力してきた自負はある。それなのにあの日、平民の彼とマリーニュ男爵令嬢はずっと落ち着いていて、堂々としていた。事前に何も知らされていなかったというのに。
大舞台を、あのように受け止められる。何かが根本的に違うのだと感じた。
――悩んだ末、父に相談することを決めた。
忙しいはずなのに、父はすぐ時間を作ってくれた。おまけに、母まで同席してくれて胸の奥が温かくなる。自分は、両親のことが本当に大好きだ。
思っていることを、すべて話した。嘘も、隠しごともなく。思う真実のみを語った。
父は少し沈黙し、それから微笑んだ――。
「ヴェルナーが、きちんと成長していると確認できて、嬉しいよ」
母はそっと抱きしめてくれた。
「あなたの言葉には、彼に対する蔑みも妬みもありませんでした。これは、とても誇れることですよ」
胸が詰まり、涙がこぼれた。あとで振り返れば、恥ずかしいほどに――。
父は、アルフォンスという少年のことは以前から知っていたと話す。立場上、多くの情報に触れ真偽を確かめている経験も含め、現在分かっている話を語ってくれた。
「一言で言えば、理解不能な存在としか言いようがない」
アルフォンスという少年は、八歳で西方の大河を発見し〈西方探索〉を最初に動かした。九歳で〈大湿地帯〉を発見した。まだ祝福の儀も終えていない年齢で、歴史に残る偉業を二つも成し遂げた。
十歳でマクシミリアン公爵家の門を叩き、魔道具開発に関わる。〈赤鉄のグラナート〉と呼ばれる伝説級の魔道具師と並び立ち、乾燥魔道具、魔導冷風機、魔導暖風機、魔導双風機を次々と生み出した。
その実用性と功績は王都でも広まりつつあり、王家が南方貴族に魔道冷却機を貸与する計画まで囁かれている。
さらに最近の〈魔の森〉の異変でも初期対応から関わり、乾燥薬草の増産とポーション生産で北方守備隊を支えた。決戦の場にも姿があり、マリーニュ伯爵領でもマクシミリアン公爵領でも最前線に立ち、多大な戦果を挙げたという。
噂は聞いたことがある。――〈王国の盾〉と並び立って戦った少年と少女。その噂が事実だと?
極めつけは、マリーニュ伯爵領の決戦で〈賢者〉セレスタン様とともに封印魔術を施したという噂があると。戦場で、三人が親しげに話している目撃情報は多々あるそうだ。
父は真剣な眼差しで告げた。
「絶対に敵対するな。いや、アルフォンス君は温厚で、頼れる人柄のようだ。蔑みも妬みも抱かなかったヴェルナーなら、大丈夫だ――」
母もまた、「自分を信じて、自分の目を信じなさい。あなたなら、大丈夫」と優しく微笑む。
信じて、いいのだろうか。自分の目を、まっすぐな、この気持ちを。
『そうだ。自分は嫉妬していない』
『悔しさはある。だが、嫌いではない』
『ただ……彼のことが気になる。だが、怖くはない』
『なら、きっと大丈夫だ』
ヴェルナーは、アルフォンスたちと自分を比較し嫉妬する道は本能的に危険と理解した。大事なことは、自分がやってきた努力、研鑽を信じ前に進むこと。
そして、もしアルフォンスたちの力になれることがあれば力になる――そう決心した。




