第三節 授業の選択、共鳴の風
アルフォンスは、受ける授業の選択表を前に、しばし眉間に深い皺を寄せていた。王立学園に通うことなど、当初はまったく視野に入れていなかったため、基本的な情報すら持っていない。
「座学はとりあえず全部受けよう。自分の足りない部分も見えるだろうし」
武術は剣術・槍術・弓術・格闘術から選ぶ形式で、アルフォンスは迷わず剣術に印をつける。魔法は属性ごとの選択となるため、自身の主軸である〈風〉属性を選んだ。
「リュミィ、馬術ってどうする?」
問いかけながらも、答えはおおよそ見えていた。リュミエールは小首を傾げ、問い返してきた。
「本格的に騎乗戦をするなら必要だけど……いります?」
「……他を優先する」
そこで話は終わるかと思えば、リュミエールがさらりと付け加える。
「タウンハウスの馬場で乗るくらいかしら。私は、連れてきた相棒に乗るわ」
「あの子、リュミィのこと大好きだよね。馬体も大きいし体力あるし脚も強い。そして何よりとても賢い」
アルフォンスは「俺にも、ああいう相棒みたいな馬が来てくれたらいいな」と、呟きながら自然と笑みがこぼれる。
アルフォンスは引き続きリュミエールに「武術は?」と、尋ねる。
「剣術にするわ。短剣あたりがいいかなと思ってるの。アルは小剣よね?」
「うん。使い慣れてる長さだし、しっくりくる」
大まかな授業に目星がついたところで、リュミエールがお茶を淹れて一息つく。
「実技授業は、担当の教師たちに相談した方がいいと思ってる」
アルフォンスの言葉に、リュミエールが首を傾げ、「実力的な意味で?」と確認をしてくる。
「増長するつもりはないけど、あの実戦を抜けてきた身だ。普通の学生と同じ扱いは、ちょっと違う気がする。全力出せば授業にならないと思わない?」
「確かに。私も魔法をかなり自由に使ってきたし。授業を邪魔しかねないわね」
翌日、二人は実技担当の教師のもとへ向かった。
「そうは言っても、君たち十二歳だろう?」
半ば呆れ顔の教師に、アルフォンスは静かに返す。
「まぁ、そう思うのも当然です。でも運動場で、お手合わせをお願いできますか」
しぶしぶ応じた剣術教師とともに運動場へ出ると、三年で自主鍛錬していた生徒たちが、物珍しげに視線を向けてくる。
「まずは武術を。剣術でお願いします」
そうして始まった模擬戦だったが、開始早々、様子がおかしい。剣術教師は、顔を引き攣らせながらも反撃の糸口をつかめず、防戦一方だ。
生徒であるアルフォンスが、明らかに手加減している。それすら見抜けずに追い詰められているのだから無理もない。
「先生、どう思います?」
剣術教師は額に汗をにじませ、息を整えようとしながら木剣を下げた。
「十二歳でこれか。錬金術師なんだろ? 戦闘職でもないのに、基礎ができている上に実戦で鍛えられ過ぎている。通常授業のカリキュラムは何の役にも立たないな」
武術の模擬戦は終了となった。魔法担当の教師はすでに青ざめていた。
「リュミィ、魔法は見せるだけにしようか」
「そうね」
周囲に声をかけ、安全な場所まで離れるよう促す。風魔法による支援を加えた、リュミエールの炎爆魔法を展開することにした。
「使い勝手が良くて多用してた、あの炎爆に僕の風を乗せる形でいいと思うけど」
「いいけど……あれ、けっこう派手よ?」
リュミエールが魔力を集中し、炎爆魔法を発動。そこにアルフォンスの風が流れ込む。炎は爆発的な勢いで膨張し、広範囲に熱気と光をもたらす。炎爆魔法は制御されたまま、見事に着地した。
教師たちも、生徒たちも、言葉を失っていた。
魔法教師が「王都に、以前こんな噂が流れた時期がある」と、低く呟く。
「公爵領の異変では〈王国の盾〉と共に戦った少年と少女がいたと。まさかと思っていたが、目の前で見せられると信じざるを得ない」
そして魔法教師は静かに頭を下げた。
「十二歳でこれだけの力、授業じゃその先を教えられない。君たちを、心から尊敬する」
生徒たちは息を呑み、二人をただ見つめた。それは『新入生』ではなく、何かを背負って帰ってきた者への視線だった。
『やっぱり、戦場で連発してたあれ、周りの騎士たちも呆れてたんだな』
アルフォンスが少しだけ苦笑しながら考え込んでいると、魔法教師が声をかけてきた。
リュミエールが丁寧に説明し、ついでに双子に見せた三属性混合のお遊び魔法も披露する。
「これは授業では無理ですね。学園長に相談してきます」
そう言い残し、魔法教師は足早に教員室へ戻っていった。
残った生徒たちがワイワイと集まり、興味津々で二人に話しかけてくる。
自然と鍛錬が始まり、アルフォンスは再び剣で模擬戦に応じ、リュミエールは魔法の制御や応用を実演した。
そのうち、剣の構えについて語り合っていた男子生徒同士が、軽口混じりに言い合いを始める。
「踏み込み浅すぎるって、それじゃ打ち負ける」
「お前のは硬いだけで、動けなくなるだろ!」
言葉は強めだが、口元には笑み。喧嘩ではない。
「どっちも間違ってるわけじゃないよ」と、アルフォンスが割って入る。
「お互いに試してみて、――新しい形を作ってみたら?」
「新しい形……!」「うわ、それ超やってみたい!」
男子たちは目を輝かせ、集まってきて構えを見せ合ったり工夫を語り合ったりし始める。
「いっそ背中合わせで戦うとか?」
「盾持ちが前に出て後衛が刺す?」
次々と出る案に、場が盛り上がっていく。
「男の子って、ほんと『新しい』って言葉好きよね」
女子生徒たちは少し引きながらも、どこか楽しそうに見守っていた。
一人がぽつりと呟く。
「でも、ちょっと楽しそうかも。魔法の方でも何か試してみようかな」
気づけば、運動場のあちこちに小さな学びの場ができていた。
剣も、魔法も、言葉も。新しい交流と可能性が、そこには確かにあった。アルフォンスとリュミエールも、その輪の中で肩の力を抜きながら自然に笑っていた。
これまでになかった、誰かと一緒に試し、誰かと一緒に楽しむという時間。賑やかさが少し落ち着いたころ、ふと空を見上げる。
風が吹いている。力強く、けれど柔らかく――。
『誰かとともに何かをやるって、こんなに楽しいことなんだな』
グラナートと魔導具を作っていた時のことが思い出される。細かい仕様で意見がぶつかって、互いに譲らなくて、けれどそのやり取りがどこか心地よかった。
『あの時と同じだ。いや、もっと広がっている』
『同じ方向を目指す人たちがいて、考え方が少し違っていて、それでも否定することなく、声を交わして、何かを形にしていく』
『それが、絶対に楽しいって今、心から思える』
風は誰かの声を運び、思いを繋げる。
否定のない風が交わるとき、そこに生まれるのは、きっと共鳴だ。
その道の先に、何があるのかはまだ分からない――けれど今なら、信じられる気がする。
この風が、きっと遠くまで届くのだと。




