閑話 姫様の漫遊記、戦姫の爆誕
閑話「戦姫シリーズ」エピソード1
フェルノート王国 北東部――。
険しい山岳地帯と深い森が、フェルノート王国とグランツェン帝国の境界を隔てていた。双方はいくつかの通過可能な回廊に砦を築き、城塞町を防衛拠点として守っている。長きにわたり、両国の部隊は出陣を絶やさず、戦陣の喧騒は日夜途切れることがなかった。
歴史の歯車がカタリと動いた――
建国以来、拡張主義を貫き多くの国を併呑してきたグランツェン帝国が、突然その拡張を停止したのだ。フェルノート王国に、グランツェン帝国から皇帝の特使が訪れ、「現皇帝は拡張主義を破棄され、以後、フェルノート王国を攻めることはない」と告げられたのである。
フェルノート王国としても、この申し出は願ったり叶ったりであった。理由は〈魔の森〉の誕生と、そこから溢れ出す魔物たちの脅威である。
フェルノート王国の北方に〈魔の森〉が生まれると、かつて聖都として栄えていた地は滅び、王国も窮地に立たされた。当時の王弟が臣籍に降り創家したマクシミリアン公爵家は、北方の地に戦線を再構築し、戦士を募って魔物の氾濫から王国を守り抜いた。その結果、滅亡の危機は免れたのである。国民たちは親愛を込め、公爵家を〈王国の盾〉と呼び、当主マクシミリアン公爵を〈王国の守護者〉として慕った。
そして少し刻が進み現在の刻に近づく――
森の切れ目から湧き出る魔物たちが防衛戦に飛びかかる。前線の騎士たちは盾で壁を作り、槍や剣を手にした仲間が次々と魔物を屠っていく。魔導士たちは魔法を打ち込み、戦線は均衡を保っていた。魔物は無限に湧き出るわけではない。この均衡が続けば守りきれる――騎士たちはそう余裕を見せた。
森の木々がへし折れる音が近付き、小刻みな振動が前線に届いても、誰ひとりとしてその異変に気付く者はいなかった。
「じい、そろそろわたくしの出番ではありませんこと?」
歳のころは十歳と思われる少女が、口を尖らせて老齢の騎士に話しかけていた。銀白に近い薄い金髪を後ろで高く束ね、澄んだ灰青色の瞳をした彼女は、鮮やかな朱蓮の軍装をまとい、身の丈に合わない巨大な朱槍をクルクルと回している。
「姫様、今回は大人しく観戦するからと許しを得た出陣ですぞ。いつぞやの時のように手柄を総取りするのは、流石に苦情が出ますゆえ、本陣でお菓子を食べておなされ」
口を尖らせるほど不満顔の姫――マティルダ・ヴァルデン辺境伯令嬢、十二歳である。
両親はエドリック辺境伯とイザベラ辺境伯夫人。末子の次女として生まれ、皆に可愛がられて育った。しかし彼女は天賦の才を早くから発揮する少女で、初陣は驚くことに八歳と祝福の儀もまだであった。こっそりと戦場に紛れ込み、魔物の猛攻で崩れそうになった部隊の前にひょっこり現れ、朱槍で敵を殲滅した。勢いに乗ったマティルダは戦場を駆け回り、次々と魔物を討ち果たしたのである。
流石に両親にはしこたま叱られた。しかし、当主のローベルト辺境伯はたいそう褒め甘やかし、苦虫を噛みつぶしたような表情の両親もまた健在であった。いつの世も、孫には甘いおじいちゃんは健在である。
マティルダは愛らしい容姿と武辺から「辺境の銀姫」と称されていた。
両親の願い叶わず、マティルダの快進撃は止まらない。絶賛していた騎士団も、実戦から遠ざかるに従い「まずくね?」と戦力低下の危機を感じ辺境伯に泣きついた。ローベルト辺境伯も、少し不味いかもしれないと感じていた。そこで「マナー教育が遅れ気味」という理由を立て、戦場出禁を命じたのであった。
当時十歳のマティルダは、決してマナー教育が遅れていたわけではなかった。
困ったのは、マルガレーテ辺境伯夫人とイザベラ長男夫人、そしてマナー教師たちである。辺境伯家は侯爵家より家格が上のため、マティルダに施せる追加のマナーは必然的に王家同等となった。マルガレーテ辺境伯夫人は、親友である王妃に頼んで王宮からマナー教師を回してもらい、ようやく一息ついたのである。
そして一年後、マティルダは王宮のマナー教師から正式にお墨付きを頂くこととなった。
頭を抱えたローベルト辺境伯が取った行動は――家督を長男エドリックに譲る、いわば逃げの一手であった。後にこの家督相続の件で、エドリック辺境伯が大夜会で国王陛下に「親父が胸張って『マティに嫌われたくなかったんだもん』とほざきやがった」と愚痴っていたと――貴族の間で噂になった。
家督を継いだエドリック辺境伯は頭を抱えつつも、策を練った。苦肉の策としてマティルダに問いを投げかける。
「辺境伯家の初代は建国王と盟友だったことは習ったよな? もう一人の盟友は知っているか?」
マティルダは嬉しそうに頷き、目を輝かせて答える。
「もちろん知ってますの。初代レヴォーグ様です。そして、もう一人はリューウェン・ノルド様ですわ」
エドリック辺境伯は心の中で『乗ってきたな』と呟き、続けて問題のフリをした誘導を行う。
「さすがマティだ。そういえばリューウェン様ゆかりの地、ノルド子爵家の領都<リューウェン>に行ってみたかったりするのかな?」
マティルダは身を躍らせるように輝きながら言った。
「行きたいです!」
エドリック辺境伯は真面目な顔を保ちつつ続ける。
「そうだな。南西部まで行くなら、王国の名だたる武門である北部のマクシミリアン公爵家や北西部のマリーニュ伯爵家も訪れたりとかもよさそうだな」
マティルダは力強く頷き、声を弾ませる。
「行きたいです!」
エドリック辺境伯も頷き返し、微笑みながら言った。
「そうか、マティルダは王国を巡るのが楽しみなのか。よし、お母さんにお父さんから頼んでみよう」
マティルダは嬉しさのあまりエドリック辺境伯に飛びつき、抱きつく。
「ありがとうです! お父さま、大好き!」
そしてあちこちを旅行して辺境伯領に戻ってきたのが、半月ほど前である。本来ならば十二歳から王立学園にいるはずのマティルダだが、王宮のマナー教師から王家に情報が流れ、「行くだけ時間の無駄だろ」と、旅行中に王宮からマティルダの卒業証が送られてきた。
エドリック辺境伯とイザベラ辺境伯夫人は悩んだが、武力含め力を示せば授業が成り立たない。婚約も家格だけの問題で済まないため、王立学園の入学は断念した。
そして案の定、マティルダは暇を持て余し、「戦場に出たい」とゴネ始めた。エドリック辺境伯はマティルダと「観戦のみ」との約束を交わしたものの……やはり。
「じい、そろそろわたくしの出番ではありませんこと?」
彼女はそう言い出すに至った――。
約束を盾に、じいと姫様が問答しているころ、前線では異変に気づき始めていた。小刻みな振動が足裏で分かる振動として伝わり、森の木々が平原側に押し倒れる様子も見て取れるようになった。
――ドゴォン!
森が裂ける衝撃とともに、巨大な魔物が姿を現す。咆哮が平原に轟き、戦場の空気が震えた。
マティルダは咆哮に応え朱槍を握り直し、駆け出す。
「姫様!」
本陣から前線まで駆け抜ける間に身体強化を重ね掛けし、森を飛び出すと、吹き飛ばされる騎士たちの姿が視界に入った。
「周囲の残敵を掃討しろ! 魔導士も残敵掃討支援よ! 治療隊も動きなさい!」
まっすぐ巨大な魔物を見据え、口角をわずかに上げるマティルダ。咆哮を返すように朱槍を突き出し、突貫する。
――ガキィン
「硬いわね! 久しぶりに全力出せそう!」
朱槍に魔力を注ぎ込む。朱色が紅色に深みを増し、魔力を解放する。
――ゴォォォォ
凄絶な魔力の奔流が平原を駆け抜け、魔物たちの動きが止まる。咆哮を上げようとする魔物も、魔力の波に吹き飛ばされる。
マティルダは首を狙いたかったが、ジャンプで隙ができるため、まずは尻尾を切ることに決めた。魔力の塊を投げて注意を引きつけ、魔力の放出を一時止め、魔物が魔力塊に攻撃する隙を突く。
「はぁぁっ! その尻尾、置いていきなさいっ!」
魔力を再び解放し、朱槍を尻尾に叩きつける。
――グギャァァッ
尻尾を両断され、魔物は呻きながら鳴き叫ぶ。首はマティルダを追うが、彼女はすでに反対側に抜けていた。マティルダは首の動きを確認し、ニヤリと口角を上げ、魔力塊を魔物の尻に投げつけ、視線を誘導する。
「その首、頂きますわ!」
死角から朱槍が伸び、首を両断する。
――ドォォン
巨大な魔物は首と尻尾を同時に断たれ、ついに倒れる。戦場に「うぉぉぉー!」と騎士たちの雄叫びが響き渡った。
じいにしこたま叱られた。しかし、大満足のマティルダは始終ニコニコしているため、じいは諦めた。
辺境伯邸に戻れば、やはり両親にしこたま叱られた。しかし、マティルダが飛び出さなければ被害規模は計り知れないと理解できてしまう両親の勢いは弱かった。
辺境伯家の姫様が巨大な魔物を討伐した。
噂として辺境伯領を席巻し、マティルダは〈戦姫〉様と、〈銀姫〉様からランクアップした。
この戦闘の数年後、北方で魔物の大規模氾濫が発生。旅の途中、優しく接してくれたマクシミリアン公の訃報を知り――大泣きすることになる。
マティルダ公爵夫人の過去エピソードですが、「大泣きすることになる」と勢いで書いてしまったので閑話のシリーズとして扱おうと思います。マクシミリアン前公爵が戦死することで王弟のゼルガードが養子縁組を組みマクシミリアン公爵家を存続させます。銀姫が漫遊中に出会い仲良くなった前公爵の訃報と葬儀の参列がマティルダとゼルガードの歯車を回し始めるというストーリーです。




