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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第九章 森の異変、隣に立つ二人
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第五節 訪れた転機、再び王都へ

マリーニュ伯爵領都(ヴァレオル)――


 雪解けの水が石畳を濡らし、街路樹の枝先には新芽がわずかに色を帯びはじめている。


 異変で荒廃した北部の村々から、復興のために訪れた人々が行き交い、街道には荷馬車の列が途切れることなく続いていた。


 広場には木材や麻袋を積んだ荷車が並び、鍛冶屋の槌音と商人の呼び声が交じり合う。


 朝の澄んだ空気に、焼き立てのパンや温かなスープの香りが漂い、吐く息はまだ白い。


 だが人々の足取りは、冬の重さを脱ぎ捨てたように軽く、どこか希望の色を帯びていた。


 アルフォンスとリュミエールは、公爵領(マクシミリアン)での慌ただしい日々を終え、再びマリーニュ伯爵邸(マナーハウス)に戻っていた。


 育成学校の入学を控えてはいたが、その前に与えられたのは、しばしの静穏。澄み切った冬の空気が領都(ヴァレオル)を包み、ふたりは落ち着いた日常の中に身を置いていた。


 午前は調薬室での作業が日課になっていた。


 アルフォンスが錬金術で水薬を精製し、リュミエールがそこに魔力を封入する。


 封入は繊細な集中を要するが、ふたりは試行錯誤を重ねながら、それを楽しんでいた。


「アル、これ……ちょっと入れすぎたかも。魔力、偏ってる?」


 瓶を差し出すリュミエールの額には、わずかに汗が滲んでいる。


「うん、少し強すぎたね。でもすぐ直せるよ。濾過して上澄みを別の瓶に移して、それから三層構造で密度を安定させてみようか」


「うん、やってみる!」


 小さなやりとりのなかにも、互いを信頼している空気が漂う。リュミエールが疑問を口にする。


「すべて、錬金術で作れないの?」


 錬金術で全工程を賄うことも可能ではあったが、アルフォンスは首を振った。


「できなくはないけど、品質を上げるのは難しい。魔力って本当に繊細だから、最後の封入は手でやった方がいい」


「そっか。でも、だからこそ意味があるのかもね」


 ふたりの作業は、小さな研究室のような温かさを帯びていた。


 昼下がりになれば、庭園のベンチでハーブティーを飲むのが習慣だ。


 リュミエールが持ってくる焼き菓子は、料理長が彼女の好みに合わせて特別に用意したもの。


 香ばしい甘さと、冬の日差しの温もり。それが、ふたりにとって穏やかな午後の合図だった。


 そんなある日、騎乗訓練から戻ったアラン伯爵が、庭先のふたりのもとへと姿を現した。


「リュミエール、最近は乗馬を怠っておると聞いたぞ。鍛錬は続けねばならん」


「ごめんなさい、伯父様」


 アラン伯爵の視線がアルフォンスに移る。


「アルフォンスはどうだ。公爵領への移動で多少は慣れただろう?」


「はい。あくまで移動程度ですが、一応は」


 アラン伯爵は顎に手を当て、ゆっくりと言葉を選んだ。


「それなら、これを機に本格的に鍛錬を始めよ。実はな、育成学校の件でマクシミリアン公に相談したのだが――育成学校では明らかにお前たちの力を伸ばすには足りぬと」


 アルフォンスとリュミエールは、互いに小さく視線を交わす。アラン伯爵の口調には、穏やかさの奥に確かな危機感があった。


「返答は曖昧だったが、いつでも騎乗移動できるよう、馬上での感覚は鍛えておくべきだ」


 こうして、ふたりの騎乗訓練が再び始まった。


 雪の降る日も馬場は整えられ、リュミエールはすぐに感覚を取り戻す。アルフォンスも彼女を追い、日に日に手綱さばきが板についた。


「寒いけど、風を切るとやっぱり気持ちいいわね」


「うん。寒さ対策、ちょっと考えてみるよ」


 数日後、アルフォンスは掌に収まる小さな魔導具を差し出した。


「防寒用に作ってみた。少し魔力を通せば、温風が出るんだ」


「……あったかい! ありがとう、アル!」


 リュミエールは馬上で身を寄せ、その温もりを確かめる。そんな穏やかな日々が、当然のように続くと思っていた。


 その日までは――。


 急ぎの呼び出しが、ふたりを応接間へ導いた。アラン伯爵はすでに腰掛け、眉間に刻まれた皺が深い影を落としている。


「二人に伝えねばならんことがある。やはりというべきか、育成学校への入学は中止となった」


「どういうことですか?」


「マクシミリアン公より連絡があった。お前たちは王立学園へ入学することとなった」


 リュミエールが息を呑む。


「王立……でも、それって」


「アルフォンスの入学はマクシミリアン公が後ろ盾となり、形式上問題ない形に整えられた。国王陛下も裁可されたそうだ。準備はすでに整い、迎えの騎士が急ぎ向かっている」


 事態の急展開に、ふたりは言葉を失う。


「育成学校の教材や制服は――」


「すべて不要だ。今は時間が惜しい。荷をまとめ、明日、早朝に出立せよ。移動は騎乗となる」


 アラン伯爵は深く息を吸い、ゆっくりと告げた。


「これは運命ではない。選ばれた結果だ。覚悟を持て。良き未来を切り拓くための覚悟だ」


 その言葉を胸に刻み、アルフォンスとリュミエールは互いを見つめ、静かに頷いた。新たな扉が、音を立てて開かれようとしていた。


 伯爵領を発って二日――。


 雪解けの匂いを含んだ風が、馬の鬣を揺らしていた。長旅の疲れが足取りににじみ始めた頃、遠くに石造りの高い門と、その背後にそびえる城郭が姿を現す。


 マクシミリアン公爵領都(バストリア)。春の陽射しは穏やかでも、吹き抜ける風はまだ冬の名残を含んでいる。


 馬を並べて進むアルフォンスとリュミエールは、時折顔を見合わせ、微笑みを交わしていた。


「アル、見て。山の稜線が白くて綺麗」


「本当だ。伯爵領と違って、空気が澄んでる。春なのに、冬がまだ少し残ってるみたいだ」


 冷たい風がリュミエールの頬をかすめ、彼女は小さく肩をすくめる。


「防寒用の魔道具で寒くないのは助かるわ」


「作っておいて良かった。ただ、耐久性の確認ができてないから、少しでも寒くなったら言ってね。予備も作ってあるから」


 そんな何気ないやり取りも、長旅の疲れを和らげる。


 やがて公爵邸(マナーハウス)の門をくぐると、整列した数名の騎士が出迎え、その奥にはゼルガード公爵と、マティルダ公爵夫人が並んで立っていた。


「待っていたぞ、アルフォンス、リュミエール嬢」


 鎧こそ纏っていないが、ゼルガード公爵の立ち姿には騎士を思わせる威厳があった。


 マティルダ公爵夫人は落ち着いた微笑みを浮かべ、柔らかな声をかける。


「長旅でお疲れでしょう。今夜はゆっくりお休みなさい」


 ゼルガード公爵は続けて、明日の予定を告げた。


「王都へは明日、馬で向かう。護衛は騎士五名、騎乗できる侍女が三名だ。少々目立つだろうが……」


 言葉をそこで切り、声を低くする。


「本来、こういう移動の方が性に合っているのだが、なかなか機会がなくてね。今回は――まあ、都合がよかったということにしておこうか」


 わざとらしく目を伏せた笑みに、リュミエールは小首をかしげ、アルフォンスはその裏を読み取ろうとした。


 しかしゼルガード公爵はそれ以上語らず、肩をすくめるだけだった。


 夕刻、侍女が湯浴みの支度を整え、リュミエールが先に案内されていく。残されたアルフォンスに、ゼルガード公爵が声をかけた。


「必要な手配はすべて王都のシグヴァルドに任せてある。安心して休め」


 その一言に、旅の緊張がふっと解けた。


 晩餐は豪奢でありながらも家庭的な温かさを帯び、公爵夫妻とともに、二人は伯爵領で過ごした冬の出来事を語った。


「アラン伯爵様が、雪の中で鹿を見つけたとき、本当に目を輝かせていて――」


「ええ、ふふ……そのまま追いかけようとするので、みなで止めたんですわ」


 夫人は楽しげに目を細め、公爵も喉を鳴らして笑う。


「アラン伯爵は、雪と獣には目がないからな」


 その夜は、久しぶりの団欒の空気に包まれ、静かに更けていった。


 ――翌日。


 マクシミリアン公爵夫妻一行が街道を進むと、人々の視線が一斉に注がれた。


 貴族が馬で移動する光景は珍しくないが、〈王国の盾〉と呼ばれる公爵夫妻が騎士五名を従え、堂々と進む姿は、まるで軍の巡察のような威容を放っていた。


 道行く商人は足を止め、街の人たちは顔を見合わせ、その意味を探ろうとする。


 王都(リヴェルナ)に着くと一行はまっすぐ公爵邸(タウンハウス)へ向い馬を進める。


 邸内の敷地に入ると玄関先に立つ青年が、いち早くアルフォンスを見つけ、手を振った。


「アル、久しぶりだな!」「シグ!」


 二人は駆け寄り、自然に肩を叩き合う。


「旅はどうだった? マリーニュ伯爵領、冬は相変わらず厳しかったか?」


「うん。でも、その分、静かで落ち着くよ。シグは変わらず元気そうだね」


「まあな。アルとリュミエール嬢がいないと用意できない物がいくつかある。明日、一緒に店を回ろうぜ」


「助かるよ。頼りにしてる」


 夕刻、公爵家の食卓には長男ジークハルトと次男ユリウスも揃った。最初こそ格式ばった挨拶だったが、すぐに賑やかな笑い声が飛び交う。


「聞いたぞ、アル! 防衛戦で活躍したって話し、王都でも噂になってるぞ。俺たち、パーティ仲間で勝手に祝杯あげたくらいだ」


 軽やかな口調のユリウスが、杯を傾けながら笑みを向ける。


「恐縮です。でも、判断を誤ってリュミィを危険に晒したんです。それが、悔しくて」


 一瞬、食卓が静まる。だが隣のリュミエールが柔らかく笑い、まっすぐアルフォンスを見る。


「アル。私は自分の意志で、あなたと並んでいたの。それを忘れないでね」


 その言葉に、アルフォンスは驚き、そして深く頷いた。


「うん、ありがとう」


「ははっ、いいねぇ青春だ」


 ユリウスが笑いながら兄に視線を送る。


「兄さん、近いうちにまた酒の肴が増えそうだぞ」


「あまりからかうな、ユリウス」


 ジークハルトが眉をひそめつつも微笑み、和やかな笑いが広がる。


 その食卓には、戦いや責務から一歩離れた、確かな家族の温もりが満ちていた。


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