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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第九章 森の異変、隣に立つ二人
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閑話 抗う土地、賢者の願い

 異変が本格化する少し前、大湿地帯――


 この国の北西端、険しい森を越えた先に広がる、果てしなき湿地の迷宮。水と土が混じり合い、霧が日差しを遮る、旅人すら足を向けない地。


 その只中で、一人の旅人が立ち止まり、耳を澄ませていた。


 〈賢者〉セレスタン・ヴァリオール。


 千年を生きると噂されるエルフの賢者は、苔むした岩に腰を下ろし、湿った空気と土の香を深く吸い込む。


 この地は生きている――そう確信できるほどの、強い意志があった。魔力の流れは確かに乱れている。


 が、それはこの地が生み出したものではない。外から侵入した〈異質な力〉に抗い、押し返そうとする。まるで命ある砦のような、必死の抵抗だった。


「……防壁か」


 湿地の水面に、原初の植物がたゆたう。その根は、土中に入り込んだ異質な魔力を絡め取り、穢れを引き受けながらも沈めていく。


 土はそれを濾し、留め、封じ込める。生態系全体が、拒絶と封印の機能を備え始めていた。


 長く観測されてきた森の異変――それは発信源ではなく、食い止めるための反応だったのだ。


「ここではない、真なる震源は他にある。確認に赴きたいが、この残滓は放置できるものでもないか――」


 セレスタンは静かに立ち上がる。この結論を持ち帰り、次代を担う者たちに託さねばならない。


 王都〈リヴェルナ〉 政庁の奥 第一政務室――


 静寂に包まれた室内に、二人の重鎮とセレスタンが会議卓を挟み向かい合って座っている。


 グラディウス・アストレイン宰相とゼルガード・マクシミリアン公爵は、セレスタンが提出した資料を読み進めながら話し合っていた。


 グラディウス宰相は、目元を揉みながらセレスタンに疑問を投げかける。


「調査資料を読む限り、やはり大湿地帯に何らかの元凶があるように受け取れるが、違うのかね?」


 セレスタンは深く息を吐き、口を開いた。


「大湿地帯は、発信源ではありません。むしろ、外から来た異常を押し留めるために、命ある土地そのものが抗っているのです」


 グラディウス宰相は納得し難いが、セレスタンの調査能力は隔絶して高いことも理解している。先を聞くべきと判断し先に進める。


「では、大湿地帯に来る異常というものはどこから来るか判明しているのかね?」


 セレスタンは小さく首を左右に振る。


「確定した情報はありません。ただ、かつて探索隊の記録に記された〈理を定めし者〉あれに近い意志の残滓を感じました」


「自然の理に変化を強いるような――しかし、不完全、もしくは残滓のようなものです。それが過剰反応を起こし溢れ出ていると考えています」


 ゼルガード公爵が顎に手を添え、「溢れ出るか」と呟きながら考え口を開く。


「その残滓が動けば、再び乱れが生じるのか?」


「そう考えています。溢れ出た結果が魔力濃度の上昇と瘴気であると」


 ゼルガード公爵は苦悩な表情になり言葉を絞り出す。


「義父上が戦死した溢れと同等のものが近いとなると警戒レベルを上げるしかない。マリーニュ伯爵領にも情報を上げないと不味いことになる」


 セレスタンは落ち着いた静かな声で応える。


「マリーニュ伯爵領は私が向うつもりです。彼の地で、会わなければならない者たちがいます」


 セレスタンはゼルガード公爵の目を見据え続ける。


「この状況ではありますが希望も感じています」


 その声音には、柔らかな温もりがあった。


「私は見ました。新たな理を、自らの内に芽吹かせようとする若者たちを。未熟で、手探りで、それでも自然と対話しようとしている子らを」


 セレスタンは思い出すように目を瞑り、伝承を語るように告げる。


「彼らは、魔力を制御するだけでなく、共鳴を求め、調和を学ぼうとしている。異質でありながら、破壊ではなく創造へ向かおうとする存在です」


 リュミエールの、震えるほど優しい魔力。

 アルフォンスの、意志と素材を繋ぐ精緻な術式。


 その歩みは従来の理からは外れている。だが、それを〈異端〉だとはセレスタンには思えなかった。


「もしかすると、――創世の女神が整えた計らいなのかもしれません」


 独り言のように零された言葉に、誰も口を挟まない。


「私たちは確信を持って導くことはできません。けれど、信じて支えることはできます。――未来に託された芽が育つように毅然と、恥じぬ背中を見せること」


 セレスタンは目を開き毅然と宣言する。


「それが、大人たる者の責務だと、思っています」


 長い沈黙ののち、グラディウス宰相が口を開いた。


「その言葉、しかと受け止めた」


 グラディウス宰相はゼルガード公爵に向き直る。


「王宮から二人の活動を陰ながら支援する用意があることをマリーニュ伯爵に伝えよう。窓口を公爵にお願いしたいがよいかな?」


 ゼルガード公爵はゆっくり頷く。


「アルフォンスは身内みたいなものだ。リュミエール嬢はよく知らないが、アルフォンスが懇意にしている令嬢だからな、そちらも問題ない」


 少し間を置き、ゼルガード公爵は二人の進学先に触れる。


「ただ、アルフォンスは育成学校に行く予定だが、兄上と相談して王立学園に変更させようと思う。ちょっと仕掛けもしたいから丁度よい」


 グラディウス宰相が結論をまとめる。


「大湿地帯に見られる異常は看過できないため対応を開始する。北方の指揮はマティルダ公爵夫人とアラン伯爵に一任とし、王宮から指示書を出す」


 同時に、後方支援体制も準備を進め、王都近隣の上位貴族家に支援要請が出されることになる。


 王宮から出される支援要請は、拒否はできるが査問により正当性が認められない場合は処罰対象となる。


 こうして王宮は体勢を整えるべく動き出した。


 この時、三人の胸にあったのは同じ確信――この時代の荒波を越えるには、若き命と老いた智慧が、共に歩むほかないと。


 しかし、歯車は既に動き出していた。シグヴァルドは調査隊の名代として城塞町〈レンベルク〉に向かい、マリーニュ伯爵領では避難計画発動まで幾ばくもないところまで事態は進んでいた。


 そして――彼らの知らぬところで、一つの決意が二人の間で芽吹き始めていたことも。


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