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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第九章 森の異変、隣に立つ二人
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第三節 理を守るもの、戦姫の到着

 魔の森から溢れた異変は、マリーニュ伯爵領北東部へと波紋のように広がっていた。瘴気を孕んだ風が草木を枯らし、時折、魔獣の群れが避難路を脅かす。


 ここ数日、アルフォンスとリュミエールは前線支援の一翼として、いくつもの戦場に赴いてきた。


 補助魔道具や魔法陣による援護、回復ポーションの供給。時には、剣戟と咆哮が交差する戦場の只中に立ち会うこともあった。


 戦場は苛烈だった。それでも、二人の意思は揺らがない。今の自分たちにできることをやる。それが、彼らの答えだった。


 いくつもの戦陣を潜り抜け最奥に辿り着く――。


「ここが、最後の封印対象地だそうです」


 リュミエールが深く沈んだ森の奥を見つめて呟く。


「ここを封じれば、伯爵領の異変騒ぎもひとまず落ち着く。だからこそ、ここが核心なんだ」


 アルフォンスは、指先に漂う魔力のざわめきを感じ取りながら周囲を見渡した。


 枯れかけた木々。ぬかるんだ土壌。地を這うように漂う瘴気。そして、こちらを見据えるような確かな視線の感覚。


「よく来たな、アルフォンス、リュミエール嬢」


 風に溶けるような声が届く。柔らかく、それでいて深く響く声音。視線を向ければ、そこには一人のエルフ族の男性が静かに佇んでいた。


 深緑の外套を纏い、銀の髪を肩に流し、瞳には森と同じ深みを宿している。

 〈賢者〉セレスタン・ヴァリオール。

 セレスタンは、二人の到着を待っていた。


「この地に眠るのは、ただの魔獣ではない。魔力の逆流、〈理の歪み〉そのものだ」


「見えるんですか?」


 セレスタンは静かに頷く。


「うむ。封印陣の基礎はすでに整っている。だが、完全には起動していない。私ひとりでは抑えきれぬ」


「ならば、手伝います」

 アルフォンスが一歩、前へ出る。


「私も、全力を尽くしますわ」

 リュミエールも、構えを取っていた。


 セレスタンは微かに微笑み、二人を見据える。


「頼もしい。ならば共に、ここを封じよう」


 大地に刻まれた幾何学の紋が淡く光を帯び、やがて脈動を始める。セレスタンが中心に立ち、封印の理(ふういんのことわり)を紡いだ。


 リュミエールは〈水〉と〈風〉の調和で陣を安定させ、アルフォンスは簡易魔法陣を組み、魔力の流れを均衡に保つ。


 空気が変わる。地が呻き、森がざわめく。土の奥から何かが、深く目を覚ます気配がした。


『……見えるか?』


 意識が引き寄せられる。視界が歪み、世界の理(せかいのことわり)が軋む音が響く。それは、腐敗でも暴走でもなかった。


 静かに、確かに、この地に在る守りの意志。創世の頃より魔の流れに抗い続け、この地を護ってきた存在〈理を定めし者〉。湿地を覆う気配の正体が、ようやく輪郭を結んでいく。


『……精霊、だ』


 アルフォンスの唇から、震える声が漏れた。


「この地を守っていた古い精霊。今もまだ、残っている」


「発信源ではなく防壁だったのですね」


 リュミエールの声が、わずかに揺れる。


「よくぞ見抜いた」


 セレスタンは微笑みを浮かべ低く頷いた。


「この地を汚していたのは、外から流れ込んだ異物だ。それに抗っていた精霊こそが、異変の誤認の源であり、同時に防壁でもあった」


 やがて封印結界の魔法陣は輝きを増し、異常個体の魔力が霧のように溶けていく。戦いは静かに幕を下ろした。


 伯爵領の異変が静かに終息した日の夜――。


 濃紺の空の下、高台に三つの影が並ぶ。眼下の森は深く沈黙し、湿地のざわめきも遠く消えていた。


「今回の件、すぐに事態が動くことはない」


 セレスタンがゆるやかに語る。


「だが、残滓は必ず再び氾濫を誘発する。理を乱す異物は、すでに世界に入り込んでいる。だから備えねばならぬ」


 二人は黙って、その言葉を受け止める。


「だがな、アルフォンス、リュミエール嬢」


 セレスタンは目を細め、柔らかく微笑む。


「君たちは理に触れ、理解し、そして歩んだ。それが私は何より嬉しい」


 セレスタンは星空を仰ぎ、静かに息を吐いた。


「理を崩す者がいるなら、それに立ち向かう者も生まれる。君たちのように」


「世界は、若き命に希望を託す、もしかすると、創世の女神がこの時を見越して、君たちをこの地に生まれさせたのかもしれぬな」


 答えはない。けれど――。


「希望はある。だからこそ、大人が為すべきことは一つだ」


 セレスタンはふたりを見た。静かに、しかし確かに力を込めて。


「胸を張り、毅然とこの世界に立ち向かう姿を見せること。それが、君たちの背中を支える〈理〉になると信じている」


 夜風が三人の外套を揺らす。


 ――伯爵領の異変が終息して幾ばくかの日が過ぎ去る


 マクシミリアン公爵領城塞町〈レンベルク〉――

 フェルノート王国北端に造られた砦を中心に築かれた防衛線が、いま崩壊の時を迎えていた。


 瘴気を纏った魔物の咆哮が地を震わせ、黒く異形の群れが朽ちた森から雪崩れ込む。幾重にも張り巡らされた前線は、容赦なく押し潰されていく。


 騎士団も冒険者たちも限界は目前だった。補給路は断たれ、負傷者の応急処置すら追いつかない。


「くそっ、南がまた抜かれたのか! 回り込みか? いや、陽動か!? 手が回らん」


 戦況図の上で赤い線が乱れ、黒点がじわじわと戦線を侵食していく。それを睨みつけるのは、防衛線の臨時指揮官シグヴァルド・マクシミリアン。


 本来は調査隊の名代に過ぎなかったはずの彼が、今や防衛線の命運を一身に背負っていた。


 唇を噛み、必死に次の一手を探る。


「名代だったはずなのに結局こうなるか」


 独りごちるような呟きに、控えていた老執事ルドワンが咳払いをひとつし、静かに言葉を返す。


「坊ちゃま。崩れてはおりませぬ。まだ踏みとどまっております。貴方様の采配あればこそ」


「それ、慰めてるつもりか?」


 投げやりな声色とは裏腹に、彼の手は止まらなかった。焦燥の中で、崩壊の糸をつなぎとめ続けている。


 だが、それでも戦況は限界だった。兵たちの視線には諦めの色が浮かび、震える膝がそれを隠せない。崩壊の予兆は、目前に迫っていた。


 そのとき――

 朽ちた森の方角から、一陣の風が吹き抜けた。瘴気を裂き、東の空を駆ける清冽な風。


「……風?」見張りの兵が息を呑み、目を見開く。


 続いて、空を切り裂く閃光と轟音。風に乗った石が異形の頭部を撃ち抜き、次々と装甲を穿つ。


「感知範囲、異常なし! 行ける!」


 アルフォンスの魔力を帯びた投擲石が、群れの急所を寸断していく。その軌跡に合わせるように、炎と風の魔法が交差した。


「アル、左に!」「合わせる、リュミィ!」


 風が導き、火が爆ぜる。炎は螺旋を描きながら敵を呑み、黒煙が立ち上る。ふたりの連携は、すでに戦場の技として研ぎ澄まされていた。


 ――けれど、そこに至るまでには幾つもの試練があった。


「もう一度聞くけど、最前線に行く気?」


「当然だ。シグがそこにいる」


 アルフォンスの声は静かで、揺らぎがなかった。道中、彼らは幾つもの戦場を駆け抜けた。


 救援、避難、支援。全てを最短でやり遂げた。だが、最前線は常に一歩先を行き、手が届かなかった。


「最前線なんて、あなたみたいな無鉄砲が行く場所じゃないのよ」


「……それでも行く」


 火花を散らすようなやり取りに、リュミエールは小さく息を吐き、微笑んだ。


「仕方ないわね。どうせ止められないなら、私が支える」


 怖くなかったわけではない。けれど、彼の想いを知っていたから支えたかった。


「全力で行くわよ。私が火力を出す、アルは道を切り拓いて」


「了解、リュミィ……ありがとう」


 幾度も戦場を突破し、敵の包囲を掻い潜り、互いの魔法で傷を庇い合い、ついに最奥へ辿り着いた。


「シグ、支援部隊にこのポーションを! 砦内にも回して!」


「お、お前ら……来てくれたのか!」


 戦場の只中で交わされた言葉に、シグヴァルドの表情がわずかに緩む。だが感傷に浸る暇はなかった。


 ふたりはすぐさま防衛戦線に加わり、進行を始めた魔物の群れを寸断する。戦力の再配置、指揮系統の整理、全てを即座に組み直していく。


「リュミィ、あの部隊に援護! 風を送る!」

「わかってるわ。炎爆よ、風を抱きなさい!」


 風と炎が交差し、砦の守りが再び形を成す。崩れかけていた前線は、ぎりぎりのところで踏みとどまった。


 その瞬間だった――

 戦場全体を震わせる、凄絶な魔力の奔流。


 南門の彼方、真紅の旗が翻る。


「マティルダ・マクシミリアン、ただ今着陣! 敵の陣を突き破るぞ!」


 紅蓮の軍装(ぐれんのぐんそう)紅槍(べにやり)を携えた〈戦姫(いくさひめ)〉が戦場を駆ける。その姿は、美しく、そして圧倒的だった。


「第三部隊、私と共に突撃! 第四部隊は左翼から押し返せ!」


 紅の槍が閃き、三体の魔物が一閃で吹き飛ぶ。その勢いに合わせ、アルフォンスの風刃が空を切り裂き、リュミエールの炎が敵を焼き尽くす。


「シグ、押し返せる! 中央が整った!」


「よし、右翼展開! 後衛は魔導砲支援、前進だ!」


 崩壊寸前だった戦線が、暴風のように反転していく。


 希望の紅槍(きぼうのべにやり)が突き立ち、全軍の戦意が蘇る。


 紅蓮の戦姫(ぐれんのいくさひめ)が咆哮した――

「〈王国の盾〉の名にかけて! 敵本隊の頭を潰すぞ!」


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