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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第一章 風の記憶、錬金術の扉
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閑話 悔みの過去、噂の決意

 冷え切った空気が街を包み込む季節、フェルノート王国の王都(リヴェルナ)は、冬の社交シーズンを迎えていた。

 空は澄み渡り、陽射しは柔らかく街路の石畳を照らしている。だが、馬車に乗る少女には、その光景もどこか煩わしく映った。窓辺を彩る霜や、街角に立つ召使いたちの忙しない足取りまでもが、彼女にとっては余計なお節介のように感じられる。


 一人の少女が小さく頬をふくらませていた。

 年の頃は五つほど。

 白金の髪は、差し込む冬陽を受けてきらきらと輝き、深い水色の瞳は、幼さの奥に静けさを宿していた。


「セラリア伯母様、なぜお茶会に向かわなければならないのですか? 午後は乗馬の予定でしたのに。可愛いリトルが、わたくしを待っておりますわ」


 セラリアは、いつものことと軽く受け流しながら答える。


「エリシアが体調良くないのよ。リュミエールが名代で行くしかないでしょ」


 少女の頬が、ふしゅ〜と萎んだ。


「そうでした、お母様の名代を務めないといけませんでした。お母様、このところお加減良くて嬉しかったのに……大丈夫でしょうか」


 セラリアは萎れた姪の頭を優しく撫でた。


「エリシアは身体は弱いけど、ただそれだけよ。大丈夫、王都が急に冷え込んだから、体がびっくりしているだけ」


 そんなやり取りのうちに、馬車は貴族街をゆるやかに抜け、やがてコルヴァン子爵家の門をくぐった。冬枯れの庭を横切り、玄関前の石畳に停まる。


 馬車が止まるや、従者が足早に回り込み、優雅な所作で扉を押し開く。


 恭しく差し伸べられた掌に、セラリアは軽く指先を触れさせ、ゆるやかに立ち上がるように降り立った。裾さばきも乱さず、静かに石畳を踏む。


 彼女は振り向き、馬車の中へ手を差し入れる。


「お手をお借りしますわ」


 指先が触れた瞬間、手袋越しに伝わる確かな温もり、リュミエールは自然と身を委ねた。軽やかな足取りで外の光の中へと歩み出る。


 リヴィアーナ・コルヴァン子爵夫人が、柔らかな微笑みを浮かべて近づいてきた。


「マリーニュ伯爵夫人、本日はお越しいただき誠にありがとうございます」


 セラリアも微笑み返し、礼儀正しく答える。


「コルヴァン子爵夫人、お招きいただき光栄です。申し訳ありませんが、本日はエリシアが体調を崩し、やむなく欠席いたします。代わりに姪のリュミエールが出席させていただきます」


 リュミエールは、柔らかなシルクの裾を軽く摘み、小さく控えめなカーテシをした。


「マリーニュ男爵家三女、リュミエールと申します。初めてお目にかかりますが、このようにご挨拶できますこと、大変嬉しく存じます」


 リュミエールは小さく控えめにお辞儀をし、その声にはまだ幼さが残っていた。


 リヴィアーナは柔らかな笑みを浮かべて優しく応えた。


「ご丁寧なご挨拶をありがとう。私はコルヴァン子爵家のリヴィアーナと申しますわ。とても可愛らしく、聡明なご様子でいらっしゃいますね。これからもどうぞよろしくお願いいたします」


 リヴィアーナは裾を翻し先導する。


「さあ、ご一緒にどうぞ。会場までご案内いたしますわ」


 セラリアが軽く礼をし、リュミエールの手をそっと取って歩き出す。リヴィアーナは優雅な歩調でその先を歩きながら、柔らかな声で話しかけた。


「リュミエールさんは、お母様のご代理でいらっしゃるのですね。初めてお目にかかれて光栄ですわ」


 リュミエールは少し緊張しながらも、丁寧に答えた。


「はい、母が体調を崩しておりまして。本日は名代として参加させていただきます」


 リヴィアーナはにこりと微笑み、ふたりに目を向けた。


「さすがに、マリーニュ男爵夫人のお嬢様、お顔立ちも品がございますわ。お母様もお元気になられることでしょう」


 三人は優雅な邸宅の廊下を進み、華やかな会場の扉の前にたどり着いた。リヴィアーナは扉を開けながら、丁寧に声をかける。


「皆様、こちらがマリーニュ伯爵家のセラリア伯爵夫人、そしてその姪であり名代のリュミエール様でございます。どうぞ、よろしくお願いいたしますわ」


 セラリアが軽く頭を下げ、続いてリュミエールも静かに一礼した。


 お茶会は和やかに進む――

 いくつかの話題が過ぎ去った後、エリザベートが少し声のトーンを落として話し始めた。


「最近、王都でポーションの品薄が続いていると聞きましたわ。何だか、五年前のあの悪夢が再び訪れるのではと、不安になりますの」


 クリスが少し顔を曇らせて答える。


「ええ、あの流行り病の時期は、本当に辛かったわ。多くのお年寄りや妊婦、子供たちが命を落とし、街の空気までもが重く沈んでいたわ」


 オデットが慎重に言葉を選びながら、静かに付け加えた。


「今のところは、まだその兆候は見えませんけれど、備えは怠れませんわね。ポーションの供給が滞るのは、確かに気がかりです」


 その時、マリーニュ伯爵夫人が口を開いた。


「五年前、伯爵領もかなり混乱しました。ポーションの供給地としても心苦しい状況でした」


 彼女はそっとリュミエールを見やり、続ける。


「エリシア、リュミエールは難を逃れました。それでも、やはり伯爵領で多くの方が亡くなりました」


 リヴィアーナは落ち着いた声で皆の顔を見渡しながら言った。


「王宮も状況を注視しています。予算編成は整い、医療陣も準備を進めていると聞きます。しかし、噂は早く広まりますから、我々も気を引き締めねばなりません」


 エリザベートが少し身を乗り出して。


「もしまたあのような事態が起これば、誰もが助かりたいと願うでしょう。今のうちに情報を集めて、できる限りの手を打たねば」


 クリスが力強く頷き。


「そうね。私たち夫人たちも、社交界で耳にしたことを見極め、必要なら警鐘を鳴らす役目があるわ」


 オデットも静かに頷いた。


「決して過剰に恐れるのではなく、冷静な判断と協力が何より大切。私たちの情報網が役に立つ時かもしれません」


 リヴィアーナが優しく微笑み、締めくくった。


「そうですね。日常を守りつつ、互いに支え合いましょう。噂が過ぎて不安が広がらぬよう、我々が冷静な声で導いていかねばなりません」


 静かに考えていたリュミエールは、ふとセラリアに向き直り、静かな声で尋ねた。


「伯母様、そのような事がありましたの?」


 セラリアは少し遠い目をしながら答えた。


「ええ、皆の傷が深くて、あの頃の話はなかなか口にできなかったの。だからリュミエールは知らなかったのね」


 リュミエールは言葉を受け止め、考え込むように目を伏せた。


 『街では多くの調薬師が日々ポーションを作っているわ。それでも足りないほどだったの? わたしに何かできることはあるのかしら……』


 お茶会は進み、夫人たちはマリーニュ伯爵領の話しや、隣接するマクシミリアン公爵領の話しに耳を傾ける。


 和やかな空気のまま、お茶会は閉会を迎えた。


 帰路の馬車の中、セラリアはリュミエールに語りかける。


「あの時、多くの調薬師たちが自分の力不足を嘆いていたの。でも、そんなことはなかったのよ。皆、持てる力を精一杯尽くしたの。だからこそ、誰も調薬師たちを責めることはなかったの」


 少し寂しげな表情を浮かべ、続ける。


「マリーニュ領にはまだまだポーションを生み出せる土壌があるの。でも調薬師の犠牲を強いて増産してはいけないの。分かるかしら?」


 リュミエールは力強く頷いた。


「犠牲を強いるのは間違っていますわ」


 セラリアは優しくリュミエールの頭を撫で、微笑みを浮かべていた。

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