第四節 冬を運ぶ双風機、想いの帰郷
冬の気配が、足早に領都を包み込みはじめたある日。アルフォンスは工房の一角で、新たな試作品と向き合っていた。
木製の外装を纏った筐体。前面には温度調節用のつまみと切り替え用のスライド。
静かに魔力を流し込むと、冷たい風が柔らかく吹き出し、レバーを切り替えれば、今度は心地よい温風が広がる。
背後で腕を組んだグラナートが、満足げに頷いた。
「領都の工房の連中、やりやがったな。冷暖切り替え、見事な仕上がりだ」
今回の〈魔導双風機〉は、アルフォンスたちが原案を練り、工房の職人たちが試行錯誤を重ねて完成させた合作だった。
「スイッチ式だと、魔法陣の切り替えに負担がかかるんでしたっけ?」
「おう。それじゃ寿命が縮む。結局、冷風用と暖風用の魔法陣を別にして、物理スライドで切り替える方式に落ち着いたわけだ」
魔力の流れを物理的に制御することで、陣の劣化も抑えられる。温度調整は三段階。ほとんどの用途は〈中〉で賄えるように設計されていた。
「外装も木製、領都の木工職人さんの仕上げですよね。見た目にも温かみがあります」
「基盤は俺らの仕事だが、外装は完全にあっちの腕だ。量産の時代には、こういう分担が肝心になる」
アルフォンスは基盤を丁寧に取り出し、魔法陣と端子の導線を指で追う。魔力導線は精緻で、揺らぎもほとんどない。
だが、グラナートは一箇所を指し示した。
「ここにもう一重、緩衝を入れると稼働が安定する。連続運転を考えると必要だ」
「そうですね。試験用の組み込み段階で、余裕を取っておいた方がいいかもしれません」
やりとりを交わすうち、アルフォンスの胸にひとつの思いが浮かぶ。
この〈魔導双風機〉を、あの人たちにも届けたい。
「グラナートさん、この双風機を四台、お願いできますか?」
「家族か?」
「はい。実家の両親と双子に一台ずつ、ミレイ婆さんに一台。それと、リュミエール様に個人用で一台です」
「わかった。ちょうど今日、量産品が数台上がった。調整済みのやつを回してやる」
さらに、アルフォンスの心にもうひとつの顔が浮かんだ。あの二人にも、届けておこう。
その夜、晩餐の席でゼルガード公爵に切り出す。
「公爵様。もし差し支えなければ、マリーニュ伯爵様と男爵様に、貴族向け仕様の魔導冷風機と魔導暖風機をそれぞれ一台ずつ贈りたいのですが」
公爵は手を止め、わずかに笑みを浮かべた。
「ほう、それは心のこもった贈り物だな。あの二人なら喜ぶだろう。問題ない」
「ありがとうございます。代金は、僕の方で――」
「その必要はない。どうやらギルドの収益にすら手をつけていないようだし、処理は済ませてある。そこから回せばいい」
「あ、そういえば」
以前、グラナートに口座の確認を求められたことを思い出す。あの時すでに、準備は整っていたのだ。
「アル坊、お前まさか今頃気づいたのか?」
お茶をすすっていたグラナートが呆れたように目を向ける。
「ええ、ちょっとだけ」
「ギルドの口座、俺に教えたやつだろ? あれ以来、魔道具の収益はそこに流してる。残高、ちゃんと見とけよ。まぁ、そのくらいの出費はポーションで稼げるけどな」
「……はい」
苦笑まじりの返事に、グラナートは「まったく世話の焼ける」と肩をすくめた。
その夜、納品されたばかりの〈魔導双風機〉四台を布で丁寧に包み、背負えるよう調整を加える。
貴族向け冷暖機も収納箱に入れ、別便で発送できるよう手配を整えた。
やがて、街の空気が凍てつきはじめたころ、冒険者ギルドからの納品依頼、風印ポーション五十本を仕上げ、一気に納める。
朝の街道は霜で白く染まり、踏みしめるたびにキュッと乾いた音がした。背に双風機を四つ抱え、アルフォンスは凛とした空気を切って走り出す。
「よし、行こう」
冬の領都を背に、伯爵領へ向かう足取りは軽く。胸の内には、贈り物がもたらす温もりが、確かに宿っていた。
領都から西へと延びる街道を、アルフォンスは風のように駆け抜けた。
二日間、途中の村で一泊はしたものの、距離のある伯爵領を走破できた事実は、この一年の鍛錬の成果を雄弁に物語っている。
『これなら、ミルド村まで一日で走り切れるかもしれない』
身体強化の馴染みは格段に増し、筋肉の反応も魔力の巡りも軽やかだった。速度だけでなく、持久力と回復の効率がまるで違う。
そんな確かな手応えを胸に、自宅の扉を押し開けたその瞬間――
「アルお兄ちゃん!」 「おかえりなさい!」
勢いよく飛び込んできたのは、懐かしい双子の笑顔。ミレーユとレグルスが、喜びを全身でぶつけてくる。倒れそうになりながらも二人を抱きとめ、笑い合った。
「ただいま。二人とも、また大きくなったな」
背後からは、ティアーヌとジルベールが姿を見せる。温かな眼差しに、ほんのりと誇らしさが滲んでいた。
「よう帰ったな、アル」
「おかえりなさい」
「ただいま、父さん、母さん!」
すぐさま双子に手を引かれ、部屋へと連れていかれる。久々の帰郷に、語りたいことが山ほどあるらしい。
並べられたお茶と菓子を前に、アルフォンスはふと目を見張った。
ミレーユは髪をふんわり整え、淡いクリーム色のワンピースに身を包んでいる。レグルスも品のあるベストとシャツを着こなし、所作に無駄がない。
「二人とも、ずいぶん貴族っぽくなったな」
「うんっ。リュミお姉様のおうち、すごくきれいで上品なんだもん!」
「マリーにも教わったんだ。歩き方とか、話し方とか」
伯爵邸や男爵邸に通ううち、両家の夫人からはすっかり孫のように可愛がられているらしい。
「もう村の子って感じじゃないな」
苦笑しながらも、その成長が誇らしかった。
「そういえば、リュミエール様の魔法、すごくなってるんでしょ?」
ティアーヌが微笑を含んで答える。
「ええ。三属性を自在に操れて、今は複属性の鍛錬に移っているわ。詳しくは本人に聞いてごらんなさい」
「……うん」
アルフォンスは荷紐を解き、丁寧に包んだ木製の筐体を二つ、机の上へ置いた。
「はい、お土産。〈魔導双風機〉だよ。冷たい風も暖かい風も出せる」
「わぁあ!」
双子の瞳が輝く。
「ここをスライドで切り替えて、つまみで温度を調整できるんだ」
実演すると、二人は正座で機械を前に操作手順を確認していた。
冷風が吹き出した瞬間――
「すごいです!ひんやりなのに、空気がやさしいです!」「こっちはあったかい風だ!」
しばらく歓声を上げていた二人だったが、やがて心地よい風に包まれ、うとうとと眠りに落ちていく。毛布を掛けてやると、ティアーヌが静かに微笑んだ。
「いい贈り物になったわね」
「うん、ずっと作りたかったんだ。こういう便利でやさしい魔道具」
その後、両親に現在の暮らしや、グラナートとの共同制作、工房の様子を語ると、二人は嬉しそうに何度も頷いた。
「明日はリュミエール様に、個人用の〈魔導双風機〉を渡すつもり。男爵家を訪ねるよ」
「ちょうど良いわね。あの子もきっと喜ぶわ」
「それと、公爵様の許可をいただいたから、伯爵家と男爵家に貴族向け魔導冷風機と魔導暖風機を一台ずつ贈ることにした」
ジルベールが静かに頷き、ティアーヌは「よく気が回るようになったわね」と笑んだ。
そして、もう一人。
「ミルド婆さんにも、一台届けよう。冬が深まる前に」
窓の外では、澄んだ空気に星々がまたたいている――帰郷は、温かな贈り物と共に始まり、また新しい一歩へと繋がっていくのだった。




