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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第八章 風が巡りて、灯がともるとき
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第三節 賢者来訪、魔力の想い

 夏の終わりがすぐそこに迫る、穏やかな昼下がり――。


 午前中の鍛錬と製作作業を終え、冷たいお茶で喉を潤していたアルフォンスは、工房の扉が勢いよく開かれる音に思わず目を瞬かせた。


 現れたのは、グラナートだが、その顔には珍しいほどの高揚が浮かんでいる。


「アル坊、ちょっと来い!」


 グラナートは、大人げないほど浮き足立ちながら手招きした。


「どうかしたんですか?」

「いいから来いって。珍しいやつが来たんだよ」


 問う間もなく腕をぐいと引かれ、アルフォンスは慌てて工具を片づけ、引きずられるように中庭へと連れ出される。


 木漏れ日の下に立っていたのは、一人の人物。白銀の髪が柔らかな陽光を受けて淡く光り、年齢を感じさせぬ整った顔立ちと、深く澄んだ瞳が印象的だった。


 その場の空気まで、その存在に合わせて調律されたかのように感じられる。


「紹介する。俺の古い友人でな。〈賢者〉の称号を持つ男、セレスタン・ヴァリオールだ」


 その名を聞いた瞬間、アルフォンスの背筋がぴんと伸びた――。

 《錬金術基礎概論》

 《錬金術応用概論》

 《魔法陣基礎概論》

 《魔法陣応用概論》

 《魔道具基礎概論》

 《魔道具応用概論》

 《付与術基礎概論》


 何度も読み返し、擦り切れるほどになった分厚い概論書の数々。著者欄に刻まれていた名が、今、自分の目の前に立っている。


「はじめまして。私はセレスタン。君が、あの七冊を読んでくれた少年だね?」


「……あ、あの!」


 頭が真っ白になるとは、まさにこのことだった。言葉がもつれながらも、なんとか礼を取り、声を振り絞る。


「初めまして! アルフォンスと申します。先生の概論シリーズは、僕の学びのすべての始まりでした!」


 セレスタンは微笑み、やや皮肉を込めて隣のグラナートを見やった。


「ふふ、それは嬉しいね。でも実は、その概論シリーズ、この男が拠点の書棚から、勝手に持ち出したものなんだよ」


「……えっ!」


 驚くアルフォンスの横で、グラナートはふんぞり返るように胸を張る。


「いいもんは、埋もれさせたら宝の持ち腐れだろ?お前、整理中って置きっぱなしにしてただろうが」


「貸し出し表もつけずに、ね――まったく。まぁ、結果的には正解だったけれど」


 長年の信頼がにじむ、軽口の応酬だった。


「最初に手に入れたのは五歳のときです。錬金術基礎概論から始まって、次に魔法陣基礎概論を読み込みました――」


「大湿地帯の発見報告のあと、公爵様から錬金術と魔法陣の応用概論を頂いて、それから、グラが持ってきた魔道具と付与術に繋がって、いまに至ります」


「五歳で?」


 セレスタンの目が細まり、わずかに唇が開く。


「驚いた。それを理解できる素養も稀だが、それだけの縁が巡り巡って君に結ばれたことも、偶然ではないのかもしれない」


 穏やかな声音に、確かな興味と期待が込められていた。


「今日は少し、君の成果を見せてもらってもいいかな?」


「はい! お見せします!」


 アルフォンスは力強く頷き、工房の扉を開く。中には、乾燥、冷却、保存。多様な魔道具と装置が整然と並び、中央には最近完成した温風機の基盤が据えられていた。


 試作品や試薬も整えられ、制御用の魔法陣が緻密に展開されている。


 セレスタンは一つひとつに丁寧に目を通し、時折立ち止まっては指先で示しながら、細やかな観察を重ねた。


「この制御陣の繋ぎは逆にした方が、力の立ち上がりが柔らかくなる。反応までの間を調整できる」


「なるほど!」


「この導線の引き回し、少し変わっているな。グラナートの癖か?」


「いえ、素材と向き合っているうちに、自然とそうなりました」


「素材と対話。ほう、面白い感覚だ」


 セレスタンの瞳に、より深い光が宿る。


「僕は、魔力にも()()があると感じています。僕の想いを、魔力や素材が受け取ってくれているような、そんな感覚です」


 そう言って、アルフォンスは調薬の工程を実演する。


 同じ薬草、同じ水薬、同じ手順。それでも魔力の込め方ひとつで、即効性が増したり、魔力回復が加わったり、時に毒消しの効果すら現れる。


「……これは」


 セレスタンはしばし無言で、その色と揺らぎを見つめ続けた。


「魔力を使うとき、思念が結果に影響している? あり得ない、とこれまでは思っていたが」


 沈思ののち、口元に笑みを浮かべる。


「面白い。探求のしがいがある命題だ。私の勘がそう告げている」


 そして、静かに頭を下げた。


「アルフォンスくん。興味深い視点を、ありがとう」


「いえ、こちらこそ!」


 憧れた人に、自分の歩みが届いたという実感が胸に満ちる。


 見学を終えたセレスタンは、中庭へ出ながら微笑んだ。


「今、大湿地帯の調査を進めていてね。王都への報告の帰りに、少し寄らせてもらった」


「大湿地帯。あの地で、〈理〉が存在すると強く感じました。とても不思議な場所です」


「あぁ、やられたな。君が発見者なのか。帰り際に国王陛下から聞いたのだよ。『グラナートと遊んでいる面白い子がいる』と――」


「……陛下まで」


 驚きつつも、不思議と胸が軽くなる。肯定される感覚が、静かに自信へ変わっていく。


「見事に、発見者である君を隠されたまま、ここに誘導されてしまった」


 セレスタンはため息をつきながら言葉を継ぐ。


「ところで、君の師は?」


「調薬師の母ティアーヌと、ミルド村の調薬師ミレイ婆さんです」


 その名に、セレスタンの瞳が柔らかく揺れた。


「ああ、なるほど。君は『()()()()()』の人間だ」


「……!」


 その一言が、胸の奥深くに刻まれる。もっと知りたい。もっと作りたい。そして、探し、繋ぎ、伝えていきたい。きっとミレイ婆さんも、セレスタンも、同じ道を歩いてきたのだ。


「今日は、本当にありがとうございました!」


 深く頭を下げ、もう一つの願いを口にする。


「次にマリーニュ伯爵領を通られる機会があれば、リュミエール・マリーニュ男爵令嬢もまた、魔力と対話しながら鍛錬を重ねています。少しでも、お話をしていただければ嬉しいです」


 セレスタンは頷き、穏やかに微笑んだ。


「いいね。寄り道先が一つ増えたよ。ありがとう、アルフォンスくん」


 そう言い残し、〈賢者〉は木漏れ日の中へと静かに歩み去っていった。


2025/10/29 加筆、再推敲をしました。

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