閑話 冷やされる計画、泡立つ話
マクシミリアン公爵領の領都にある公爵邸の執務室は、夏の陽射しの強さを忘れさせるほど涼やかだった。魔道具〈魔導冷風機〉の恩恵を、最も享受している場所のひとつである。
「来たか、シグヴァルド」
机に視線を落としたまま、ゼルガード公爵が簡潔に言葉を投げる。机上には、試作中の魔道具に関する報告書や指示書が、几帳面に積み上げられていた。
「いくつかの魔道具を、量産体制に移すか検討することになってな」
ちらりと目を上げられ、シグヴァルドは小さく頷き、対面の椅子に腰を下ろす。
「冷やすものばかりだが、邸内では評判がいい。侍女も執事も、妙に生き生きしている。まあ、夏だからな」
わずかに口元を緩める父に、シグヴァルドは『それは魔道具の性能がいいだけでは』と思ったが、口には出さなかった。
「で、アルフォンスとグラナートに話を振るべきか迷っている。お前の考えは?」
唐突な問いに、シグヴァルドはため息まじりに即答する。
「無駄です」
「理由は?」
「二人は気まぐれで動きます。面白そうだから作る。飽きたら別の物へ行く。この前も〈浮遊演算珠〉の議論していたと思えば、こっちの方が涼しいと〈冷却保存箱〉の改造に全振りしてました」
「やはりな」
ゼルガード公爵は腕を組み、天井を仰ぐようにして息を吐く。
「仕方あるまい。〈魔導冷却機〉は王都へ送り、使用感を確かめさせろ。〈魔導冷風機〉は領都内で量産し、南方諸家へも送って購買の意思を探れ」
「それでは〈冷却保存箱〉も同じですか?」
「もちろんだ。領内で先行販売し、好評なら商人に任せて広げさせる」
ゼルガード公爵が手元のティーカップに目をやる。ティーカップの表面には、うっすらと結露が浮いていた。それが何より、この魔道具の価値を物語っている。
「ただし、お前一人では回らなくなる。学園が始まれば、なおさらだ」
「ですね」
「執事ルドワン、侍女セレナ、それから近習数名。順次巻き込む。初期調整はこちらで整える」
淡々とした指示が続く中、背後に控えていたルドワンが一歩前へ進み出た。
「ご報告いたします。魔道具の手配に加え、先日アルフォンス様より、石鹸の他に〈洗髪剤〉および〈乳液〉の用途と配合について伺いました」
「聞き取り、だと?」
「はい。奥様が主導され、これらも領内での量産体制を整え、王都方面へ提供を開始しております。――すでに両妃殿下にお届けし、ご興味を持たれ、王都の夫人方の間でも好評を博しているようです」
「……ほう」
ゼルガード公爵はわずかに顔をしかめたが、すぐ肩を竦め、お茶をひと口啜った。
「まったく、また妙な泡が立っているな。まあ、よいことだ。忘れるとしよう」
珍しく、自らの影響が及ばぬ領域に対して、苦笑いを滲ませたひと言だった。
「では、必要な記録と調整は任せる。方針が定まり次第、通達しろ」
「了解しました」
席を立ったシグヴァルドは静かに一礼する。
冷静に考えれば、この夏休み――。
『俺、ずいぶん働かされてるな』
その愚痴が喉元まで出かかったが、ひんやりと澄んだ執務室の空気が、そっと飲み込んでいった。
2025/10/29 加筆、再推敲をしました。




