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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第八章 風が巡りて、灯がともるとき
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第二節 魔導の風は涼しく、温もりの設計図

 盛夏の陽が、石造りの工房の屋根を容赦なく炙り上げていた。扉は開け放たれ、風通しは確保されているものの、立っているだけでじっとりと汗が背を伝う。


 工房の一角では、アルフォンスが黙々と投擲の鍛錬に励み、グラナートは工具の整備と魔力調整の反復作業を続けていた。


 いや、真面目なのはいいけどさ……。


 入口近くの椅子に腰を下ろしていたシグヴァルドは、胡乱な視線を二人へ向ける。


「暑くないのか?」


「暑いけど、まあ、夏だし」


「こんなもんじゃろ? 鍛錬ってのはそういうもんだ」


 揃って当然のように答えるその表情に、シグヴァルドは小さく吐息を漏らした。


 『駄目だ、この二人の空間は暑さに対する反省がない』


「涼しい風が出る魔道具があったら欲しい。というか、作ってくれ」


 言葉半分、諦め半分の声に、グラナートが顔を上げ、目を細める。


「わがまま坊ちゃん、今日は甘えモードか?」


「なんか、シグ、幼児化してるようにしか見えないんだけど」


 『うるさい』


 額の汗が滴り落ちるなか、尊厳と快適さ、どちらを取るべきか? 迷うまでもない。アルフォンスがノートをめくりながら、あっさりと言った。


「あるよ、そういう案。えっと、ほらこれ」


 差し出された紙面には、見慣れた筆致で〈魔導冷風機〉と記され、簡単な構造図が添えられていた。


「やっぱりあるんだな」


「せっかくだし、作ってみるか。どうせなら涼しいほうがいい」


 グラナートが腰を上げ、アルフォンスも続く。二人は手際よく材料を集め、陣図を描きはじめた。


「風属性石の出力が強すぎると凍えるから、制御陣は必須だな」


「属性制御と出力制御、両方入れる。これ、簡単そうで案外複雑かも」


 基板に刻まれていく精緻な魔法陣。工具や部材が交わされ、短いやり取りが飛び交う。


 年齢とか立場とか、そういうのは関係ないんだよな。汗をぬぐいながら、シグヴァルドは思った。王立学園での交友とは異なる、肩肘張らない距離感。


 少し、羨ましい。


 子どもの頃から、常にどちらかの顔を選ばなければならなかった自分。けれど彼らは、素のまま、まっすぐに言葉を交わしている。


 やがて〈魔導冷風機〉が完成する。まずはグラナートの基板で試運転。続いて、アルフォンスも自作の基板で起動を試みた。


「動いた!」


 布がふわりと揺れ、冷たい風が確かに吹き出す。


「めちゃくちゃ寒くなってきたんだけど。温度上げて!」


 シグヴァルドの訴えに、二人は無言で顔を見合わせた……そして同時にぽつり。


「「その発想はなかった」」


 呆れ顔のシグヴァルドをよそに、二人は早くも修正案の相談に入り、温度調節用の陣図を描きはじめる。


 追加された操作盤と調整スライダー。


 完成後、改めて風を浴びたシグヴァルドは、満足げに頷いた。


「おお、これはちょうどいい」


「じゃあ、使用感テストは坊ちゃんに任せた」


「うん、やるよ」


 頷きながら、ふと胸の奥で思う。いや、今さらだけど、魔道具ってこんな簡単に作れるものなのか?


 紙の上の図案が、わずかの作業で現実となり、冷風を吹き出している。驚きと同時に、感覚の基準が揺らぐような不思議さがあった。


「こっちの方は、冷えすぎた試作品だな。料理長に渡しておくか」


「じゃあ名前は〈魔導冷却機〉にしておこう」


 二機の魔道具はあっさりと振り分けられ、ひとつはシグヴァルドの手元へ。もうひとつは厨房に引き取られていく。


 手元の機体に指を触れながら、シグヴァルドは静かに思った。ここでは、〈欲しい〉と言っても、笑われないんだな。


 頬を撫でる涼やかな風が、胸の奥にもひそやかに吹き渡っていた。


 夏の盛りも過ぎ、朝夕には涼やかな風が窓の隙間から忍び込むようになった。蝉の声はどこか力を失い、代わって庭先からは秋虫の囁きが控えめに届いてくる。


「王都に戻るって聞いたけど、ずいぶん暇そうだね」


 アルフォンスの声に、部屋の片隅で果物を並べていたシグヴァルドが片眉を上げた。


「暇というか、荷造りは執事や侍女に任せてるんだ。俺が部屋にいると、正直邪魔になる」


 肩をすくめながら、手元の乾燥魔道具に視線を落とす。


 果物、花、ハーブ、生地の端切れ。彼の「乾燥実験」は、いまや遊びと実益を兼ねる日課となっていた。乾き始めた果実を摘みながら、ぽつりと呟く。


「にしても、やっぱりこれすごいよな」


 この乾燥魔道具こそ、アルフォンスが初めて作り上げた完成品のひとつ。使えば使うほど、その魔力効率や制御の絶妙さに感心させられる。


 まもなくシグヴァルドが領都(バストリア)を離れ、これまで日常のように続いてきたブリーフィングも、形を変えていく。


 やがて彼の代わりに顔を出すのは、執事ルドワンや侍女セレナ、時折訪れる騎士たち。


 新たな試作品の話を聞いたり、困りごとを呟いたり、素朴な疑問を投げかけては、二人の議論に興味津々で耳を傾けていった。


 そんな日々の中、アルフォンスがふと空を仰ぐように呟く。


「そういえば、夏もそろそろ終わりだよね」


 意味のない感想に、グラナートが半眼で返す。


「それ、今必要だったか?」


 アルフォンスは笑いながら、机に陣図案の紙束を置いた。


「冷やす方は色々やったけど、温めるのって、まだ何もやってないよね」


「ああ、確かに。まあ、冷風機を作れたんなら、温風もいけるかもしれんな」


「だよねっ! 陣図を少し調整すれば切り替えもできるかなって思うんだ」


 アルフォンスの目がきらりと光る。


「じゃあ、冷風と温風の両方使えて、おまけに簡易で安く仕上げられるやつ。便利だと思わない?」


「確かに。あの冷風機を作ってる工房に渡せば、量産もすぐだろうな」


 即興のアイディアを紙にまとめ、陣図を描き、基板を組み上げる。二人の手は迷いなく動く。


 やがて完成したそれは、〈双機温調盤〉とでも呼びたくなる、シンプルかつ柔軟な魔道具の核だった。


「ルドワンさん、これ……例の工房に持って行ってもらえませんか?」


 頼みに、執事は深くうなずき基板を受け取る。


「承知しました。動作確認も含め、すぐに手配いたします」


 夏の熱気が遠ざかり、静かに始まる次の季節への支度。


 冷たい風の次は、温もりを届ける魔道具へ――季節とともに、魔道具の世界もまた、新しい色を帯びはじめていた。

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