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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第八章 風が巡りて、灯がともるとき
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第一節 風と火と、始まりの設計図

 王都リヴェルナ焔隼の翼(えんじゅんのつばさ)の送別会を開いてから数日後、アルフォンスは公爵領都(バストリア)公爵邸(マナーハウス)に戻っていた――。


 春の風が庭を抜け、敷石の上に柔らかな影を落としていく。芽吹き始めた草木が、わずかに色を帯びてきた枝先を揺らし、玄関前の淡い石造りの壁と木製の扉が、以前と変わらぬ佇まいで彼を迎えた。


 グラナート・ストーンハルトが戻ってきたのは、その翌日のことだった。重たい荷を肩に掛けながらも、快活な足取りで工房へ現れる。


「アル坊、帰ってたか。お土産持ってきたぞ」


 肩から降ろした荷には、王都リヴェルナの製本所の印が押された小箱がある。


 開けられた箱から現れたのは、分厚い本だった。

 〈魔道具基礎概論〉

 〈魔道具応用概論〉

 〈付与術基礎概論〉


「話してたやつと、なんか最近は付与に凝ってるからか最新のがあったのでそれも。あと、俺がまとめたメモもある。読み応えはあるぞ」


 目を輝かせてページを繰るアルフォンスを見やり、グラナートは満足げに頷く。


「これだけあれば、あの乾燥魔道具の先にも進めるはずだ。だがその前に、整理から始めよう」


 工房の机には、手書きの魔道具設計図や製作済みの器具がずらりと並んだ。


 乾燥魔道具、水薬封入用の留め具、試作の温度制御板、半端な魔力抽出装置。ひとつひとつを手に取り、二人は改めて精査していく。


 傍らの小机には、香り立つお茶と、乾燥果実を盛った小皿が置かれていた。


「ふむ、この封入具はもう少し軽くできそうだな」


「うん。でも耐久性が下がると破裂するかもしれないよね。水薬って魔力が入ると一時的に圧がかかるでしょ」


 お茶をひと口含み、グラナートは鼻を鳴らす。


「まったく、ガキのくせに理屈をこねやがる」

「えへへ」


 アルフォンスは照れながらも、ノートのページにびっしりと構想を走らせる。


 やがて議論は、次々と新しい夢へ広がっていった。魔力で動く小さな台車、天候を測る簡易観測機、圧縮保存容器、気配感知のお守り。


「いつか、風を編む道具が作れたらな」


 不意にこぼれた言葉に、グラナートが片眉を上げる。


「風を編む?」


「うん。風の流れを、魔法じゃなくて道具で捕まえて。たとえば森で迷わないように、そっと背中を押してくれる『風の矢印』みたいな――」


「見えなくても、『こっちだよ』って風が教えてくれる道具。変かな?」


 短く鼻を鳴らし、グラナートは口の端を上げた。


「夢想だな。だが、魔道具ってのは大抵そういう夢みたいな話から始まる」


 軽く放たれたその言葉は、不思議と真っ直ぐで重みがあった。


 アルフォンスはふと手を止め、瞬きをする。


「グラって、俺の言葉否定しないよね」


 本人も意識しなかった本音に、グラナートは即座に応じる。


「否定すりゃ、止まるからな」


 椅子の背にもたれ、空になった茶器を指でくるりと回しながら続ける。


「発想ってのは、まだ形にならねぇ()みたいなもんだ。誰かが『そんなの無理だ』と言った瞬間、土の上で折れることがある。だから俺は、まず芽が伸びるのを待つ。形になるかは、そのあとだ」


 ゆっくり紡がれる言葉に、アルフォンスは黙って頷く。胸の奥に、温かなものが広がっていった。


『否定されないということが、こんなにも静かに沁みてくるなんて』


 表情が、その思いを雄弁に語っていた。グラナートは鞄を漁りながら、わざと軽い調子で言う。


「ま、その代わり甘い理屈や設計は、鬼みてぇに叩き直すけどな」


「うん。ありがと、グラ」


 照れくさそうに笑い、再びペンを取りノートへ向かう。春の光が窓辺から差し込み、描きかけの設計図をやわらかく照らしていた。


 昼下がりの工房には、春の陽が窓辺から柔らかく差し込み、木の床に温かな光を落としていた。


 長机の上には、乾燥果物の皿と湯気の立たない茶器。数冊の魔道具関連書と、アルフォンスのノートが几帳面に並んでいる。


 グラナートとアルフォンスは、午前から続けて魔道具案の洗い出しに没頭していた。


「野営用の火起こし装置は、もう少し改良できそうだね。風属性石の火花だけじゃ、やっぱり弱いみたい」


「んじゃ、火属性の触媒鉱石を小型にして、指先から魔力を流せば着火する仕様にすりゃいい。ただし安全設計は必須だ。暴発じゃ意味ねぇ」


「そこは付与術で制限条件をかけてみるよ」


 アルフォンスは、果物の甘酸っぱい香りを胸いっぱいに吸いながら、さらさらとペンを走らせる。


 ノック音と共に、ドアが静かに開いた。


 金茶色の髪を揺らし、軽装姿のシグヴァルドが姿を見せる。王立学園から戻ったばかりらしく、涼しげな表情の奥にわずかな疲れをにじませていた。


「……戻った」


「おかえり、シグ。思ったより早かったね」


 アルフォンスが声を掛けると、彼は軽く頷き、躊躇いなく椅子へ腰を下ろした。


「ここでの話を聞いても構わないか?」


「もちろん。ちょうど()()()()()()の整理中だよ」


 机上の資料を眺めたシグヴァルドは、ほんのわずか眉をひそめた。


「それより、冷たい飲み物はないのか?」


 グラナートが肩をすくめ、苦笑混じりに答える。


「贅沢言いやがって。だが、ちょうど来るぞ」


 その言葉どおり、侍女が銀盆を携えて静かに入室する。水差しの表面には薄い霜がきらめき、果実を沈めた透明な水が冷えた光を湛えていた。


「おかえりなさいませ、シグヴァルド様。どうぞお身体をお冷やしくださいませ」


「ありがとう」


 侍女から受け取ったグラスを傾け、冷たい感触を喉に流し込んだシグヴァルドの表情がわずかに緩む。


「こういう冷えた飲み物を、いつでも飲めるようにしておきたいな。できれば、もっとキンキンに」


「ふむ、それなら――これかな」


 アルフォンスがノートを繰り、あるページを指で叩く。そこには〈冷却保存箱〉の設計案が描かれていた。


「なぜ、まだ作らなかった?」


 真っ直ぐな問いに、アルフォンスが肩を竦めて応える。


「必要性を感じなかったんだ。あれば便利だけど、なくても困らないし」


「わしも同感だな。案はあったけど、簡単に作れるから逆に後回しだったな」


 グラナートは立ち上がり、棚から陣図用の基板や外装材を取り出した。


「まあ、せっかくだし試作してみるか。材料はある」


「冷却石と水晶、それに風属性石、前に錬成したのが残ってたはず」


「外装と基板は俺が組む。アル坊は陣図な。さくっと頼む」


 二人は黙々と作業に取りかかった。アルフォンスは魔法陣の構成を微調整し、転写用に細部を整えていく。グラナートは手早く基板を整形し、刻印枠をはめ込んでいった。


 やがて、二枚の基板が完成する。まずはグラナートの基板を装着し、試験用に果実水を入れて起動。


「冷えてるな。これは確かにいい」


 シグヴァルドの声に、わずかな満足が滲む。


 続いてアルフォンスの基板を試すが、沈黙。


「あれ?」


 グラナートが基板を手に取り、魔力導線を指でなぞった。


「ここ。角度が甘い。魔力が流れきらねぇ」


「ほんとだ。初歩的ミスだな」


「気にすんな。実地ってのは、そういうもんだ」


 半ば慰めるように笑ったグラナートは、自分の基板を戻して装置を完成させ、侍女に差し出した。


「悪いが、このまま試験を続けたい。中に飲み物を入れておいてくれ」


「かしこまりました」


 深く礼をして工房を去る侍女の背を見送り、室内は再び静けさを取り戻す。


 ふと、冷えたグラスを傾けながら黙して二人を眺めていたシグヴァルドは、心の奥で小さく息を吐いた。


 この二人、放っておくと案ばかりが積もっていく。父上をうまく巻き込み、実用化と整理の仕組みを作らせるべき――いや、作ってもらう、か。


 静かに新たな策を胸に描きながら、シグヴァルドは再び冷えた水を口に運んだ。


2025/10/29 加筆、再推敲をしました。

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