閑話 光と花、風の午後
春の穏やかな風が、伯爵家の広大な庭園をそっと撫でていく。木々の葉擦れが奏でるやわらかなざわめきに、遠くの鳥のさえずりが重なり、咲き誇る花々はまるで風と語らうように静かに揺れていた。
その日、リュミエールはマリーニュ伯爵邸の私設練兵場で、いつものように魔法の鍛錬を続けていた。
〈火〉と〈風〉の魔力を細やかに織り合わせ、その制御を確かめながら、わずかに〈水〉の感触を捉えようと集中する。
魔力の波が指先から広がっていく感覚を味わいながら、静かに息を吐いた。
「……うん、今日も悪くないわ」
誰に促されるでもなく続けてきた鍛錬は、もはや日課となっている。だが今日は、少し特別な日だ。汗を拭い、庭園へと向かう足取りは自然と軽くなる。
隣には、並んで歩く小さな二つの影。アルフォンスの妹ミレーユと弟レグルスの姿があった。
「二人とも、準備はいい? ちゃんと挨拶できるかしら」
問いかけると、ミレーユはわずかに口元を引き締め、小さくうなずく。
「うん。恥ずかしくないように、リュミお姉様みたいにできるから」
その声音には、幼いながらも静かな決意があった。普段は控えめで大人しいミレーユだが、芯の強さをリュミエールはよく知っている。
憧れの姉の振る舞いを意識し、緊張を隠しながらも真似しようとしているのだ。
一方、レグルスは軽く肩をすくめ、にやりと笑った。
「俺はアル兄の真似はバッチリさ。明るく楽しく。これが家の空気を良くする秘訣だろ?」
兄の真面目な性格をよく観察しながらも、場を和ませることに長けた彼らしい言葉だった。
「じゃあ、行きましょうか」
リュミエールはやわらかく微笑み、二人の小さな手を包み込む。
庭園の一角、陽の光がやさしく差し込む東屋には、すでにセラリアとエリシアが待っていた。漂う紅茶の香りに迎えられ、二人は揃って視線を向ける。
「お待たせいたしました、お母さま。そしてセラリア伯母様。今日は双子をお連れしました」
リュミエールが丁寧に頭を下げると、双子もぺこりと礼をした。
「はじめまして、よろしくお願いいたします」
ミレーユは緊張を押し隠し、真っすぐな瞳で挨拶する。その姿に、努力と憧れがにじんでいた。
レグルスは笑みを浮かべ、「よろしくだぜ」と軽やかに続け、東屋の空気に明るさを添える。
セラリアは目を細め、慈しむように頷いた。
「まあ、なんて愛らしいのでしょう。アルフォンス君の面影が、はっきりと感じられるわ」
エリシアも微笑みながら言葉を添える。
「ええ、リュミエールの大切なお友達の弟妹ですもの。まっすぐなところはお父様譲りかもしれませんね」
ふと、セラリアがミレーユに問いかけた。
「ミレーユちゃん、リュミエールのことはどう思っているの?」
ミレーユは少しはにかみつつも、しっかりとした口調で答える。
「リュミお姉様を見本に、マナーを教えてもらっています。まだまだですけど、恥ずかしくならないように頑張ってます」
幼さを超えた言葉に、セラリアは感心したように微笑んだ。
続いて、エリシアがレグルスへと視線を向ける。
「レグルスくんはどうかしら? お兄様のこと、よく見ているようね」
レグルスは胸を張って答える。
「アル兄の鍛錬を真似して、体を動かしています。家の空気を明るくしたいんです」
その軽やかな答えに、エリシアは柔らかく笑みを深めた。
「ふふ、頼もしいわね。お兄様もきっと喜ぶでしょう」
庭の花々が風に揺れ、ミレーユがふと足を止める。
「この赤い花きれい」
花びらに触れそうになったその瞬間、リュミエールは膝を折って寄り添い、やさしく諭す。
「その花は〈火〉の魔力に反応するの。触ると熱いかもしれないわ」
ミレーユは驚きながらも素直にうなずいた。
「ごめんなさい、次は気をつけるね」
リュミエールは小さく首を振り、二人の手を握り直す。
「大丈夫。一緒に安全な花を選びましょう」
午後のやわらかな光の下、三人は花々の間に腰を下ろし、静かで温かな時間を分かち合った。
魔法の鍛錬も、貴族としての務めも大切。けれどこのひとときは、リュミエールの胸に、何よりも深く穏やかな温もりとして刻まれていった。




