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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第六章 魔法陣、刻まれる意思
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第五節 魔道具都市の灯、帰郷の旅立ち

 窓の外では、夕映えが静かに街の屋根を染め始めていた。工房に併設されているラウンジに整えられたテーブルで、アルフォンスとグラナートはティーカップを手に向かい合っている。


 ふわっと立ちのぼる紅茶の豊かな芳香の向こうで、グラナートがぽつりと口を開いた。


「領都を歩いて、違和感を覚えたじゃろう?」


 問いに、アルフォンスは瞬きをひとつ。だがすぐに昼間の光景を思い出す。


「はい。魔道具の店はたくさんありました。でも、そこにいた職人たちの多くが、人族ではないように感じました」


 その声にはわずかな陰りがあった。確かに賑わいはある。だが道具を手にする職人の姿は、耳の長い者や背の低い者ばかりで、人族の影はほとんど見当たらない。


「やっぱり、理由があるんですか?」


 グラナートは背を椅子に預け、「あるとも。寿命じゃ――」と、ゆっくりと言葉をこぼし、そのまま言葉を繋いだ。


「魔道具の技は、本や図面をなぞるだけでは身につかん。感覚と経験の積み重ねこそが肝じゃ」


 グラナートの表情には、どこか寂しげな色が浮かぶ。


「だが、人族の寿命では、その積み重ねを得る前に別の道を選んでしまう。もっと早く稼げる職に流れていくのも、無理はないのじゃ」


 責める響きはなく、そこにあったのは静かな諦観と、どこか惜しむような思い。


「わしらドワーフやエルフ、ホビットは、百年単位で同じ技を磨ける。長命ゆえの強みじゃな。人族には時間が足りん。この街でも人族の魔道具師は、ほんの一握りの物好きだけじゃ」


 アルフォンスは唇を引き結び、視線を落とす。魔道具は彼にとって希望そのもの。その担い手が減っていく事実が、小さな影を胸に落とした。アルフォンスは視線を落とし「寂しいですね」とだけ、つぶやいた。


 小さな呟きに、グラナートはにやりと笑った。


「だが、絶えてはおらん。わしのような物好きが、まだ生きとる」


 お茶をすすり、愉快そうに言葉を継ぐ。


「この領都が〈魔道具都市〉と呼ばれるのは、わしの弟子たちのおかげでもある。数は少なくとも、手先の器用なやつ、探究心のあるやつはおる」


 そして、力強く告げた。


「人族は減っても、技の火は絶やしてはおらん。おぬしのような若造が現れたことも、その証じゃ」


 お茶を注ぎ足しながら、グラナートは改めて少年を見据える。


「おぬしは何で錬金術に目を向けた?」


 唐突な問いに、アルフォンスは一瞬迷うも、素直に口を開いた。


「一冊の本との出会いです。〈錬金術基礎概論〉。五歳のとき、村へ来た行商人が持っていた古書の中にその本があって、なぜかこれだと強く感じました」


「五歳で、あの本を?」


 驚きに眉を上げるグラナート。


「毎日図を写して、何度も読み返しました。最近ようやく魔力を扱えるようになって、試せるようになって。あなたと出会えたのも、その延長です」


 短い沈黙ののち、老職人が低く呟いた。


「あいつの本を、五歳でか。信じられん――」


 グラナートがこぼした言葉を聞き、アルフォンスは「あいつ?」と小さく応える。グラナートはあまり気にせず話を続ける。


「その錬金術基礎概論を書いたのは、わしの古い知り合いじゃ。エルフの中でもとびきりの変わり者でな。理屈っぽく、文章もひねくれとる」


 グラナートはわずかに首を振る。


「あの本を五歳で理解したとか、おぬしやはり規格外じゃ」


 髭を撫で、呆れと感心を半分ずつ混ぜた声音で告げる。


「明日からは本格的に作業に入るぞ。まずは乾燥という工程を定義するところからじゃ。おぬしが見てきた薬草の変化、それをわしにも見せてくれ」


「はい。それと薬草以外にも応用できるかも試してみたいんです。果実や、小動物の組織で水分を多く含むものなら、何にでも」


「面白い。素材を変えれば、道具の限界も見える。ちょうどいい試験になる」


 そう語り合う二人の耳に、扉越しの控えめなノックが響き、「旦那様より、晩餐のお誘いがございました」と執事の控えめな声が扉越しに伝わる。


 アルフォンスとグラナートは、顔を見合わせ小さく笑みを交わす。 


「腹が減っては知恵も回らん。まずは腹ごしらえじゃな」


「はい。お言葉に甘えて」


 その日の晩餐はささやかながら暖かさを持っていた――。


 公爵家の食卓には温かな灯りが満ち、香ばしい料理の匂いが広がっていた。焼き立ての肉の音、果実の甘い香り、パンから立ちのぼる湯気。


 晩餐の席ではアルフォンスが行ってきたポーションの修行や、マリーニュ家との付き合いの話し、双子の妹と弟の話しなど話題は尽きなかった。


 穏やかで賑やかなひとときの中、アルフォンスの胸には確かな温もりと静かな希望が芽吹いていた。


 その闇の向こうに、新たな技術と未来の光が、確かに息づいていた。


 研究の日々は、瞬く間に過ぎていく――。


 気づけば、風の冷たさに白い息が混じる季節となっていた。領都バストリアの街並みにも、冬の気配が少しずつ降りてきている。


 工房の片隅で、アルフォンスは干し果実の切れ端を指先でつまみ、そっと口に運んだ。凝縮された甘みの奥に、かすかな酸味。だが芯のあたりは硬く、舌の上でなかなか崩れてくれない。


「まだ、乾き方が偏ってるな」


 小さく呟き、手元の帳面に試験記録を書きつける。周囲の作業台には、乾燥試験を施したあらゆる素材が、種類ごとに丁寧に並べられていた。


 草葉、果物、肉片、魚、骨粉、染料、薬草。もとは薬草乾燥用に構想した魔道具だったが、気づけば「乾燥できるものは全部試してみよう」という探究心に火がついていた。


「食べて確かめてる時点で、ちょっと脱線してるかもな」


 アルフォンスは苦笑が漏れる。だが味と香りは、乾燥の出来を測るもっとも直接的な指標でもある。乾燥度合いの精度、風味の変化、保存性。どれも実用化に不可欠な要素だった。


 そうして何十回、いや、百を超える試行錯誤を繰り返すうちに、魔道具はようやく使える形を見せはじめる。


 水分を揮発させ、気流を制御し、熱を抑えて構造を保つ。


 魔力の通し方や陣式の緻密化、錬金術式による干渉制御。さらに土属性で素材の内部構造を可視化する技法。幾つもの要素が複合し、ようやく完成に近づいていった。


 そのかたわらで、アルフォンスは鉱石の分離にも腕を磨いていた。鉄鉱石、銅鉱石、錫や鉛。グラナートがときおり持ち込む試料を使い、錬金術による抽出と再結合の技を試す。


 ある日、鉄鉱石から鉄成分だけを正確に抽出したとき、グラナートが満足そうに唸った。


「こいつはもう、充分合格じゃな」


 試料の構造を読み解き、不純物を取り除き、有用成分を選り分ける。その過程で、魔力操作と素材理解は飛躍的に研ぎ澄まされていった。


 石の感触、魔力が染み込む抵抗、分離が始まる瞬間の微かな揺らぎ。それは、錬金術の核心に迫る()()()()()だった。


 積み重ねの果てに、乾燥魔道具はついに完成を迎える――。


 対象素材をセットし、範囲と深度を指定して魔力を流すと、素材内部から余分な水分だけがすっと吸い出される。


 薬草は成分も形もほぼ損なわずに乾燥され、出力は使用者の魔力量に応じて自動調整。湿度の高い環境でも安定した処理が可能になった。


「これで、どこでも安定して乾燥薬草が作れる」


 完成品を両手で包み込み、アルフォンスはそっと息をつく。


 その日のうちに、ゼルガード公爵へ報告に赴いた。広間で実演と構造の説明を行い、設計図や制御陣式の控えも提出する。


 ゼルガード公爵は満足げに腕を組み、笑みを浮かべた。


「よくやった! これは量産できるな。すぐに魔道具師たちに回そう」


「ありがとうございます。できれば調薬師や冒険者の方々にも、扱いやすい形で広めていきたいです」


「任せておけ。領都のギルドとも連携を取っておく」


 やがて、この乾燥魔道具は王都を含む各地の調薬師たちへ出荷され、多くの場所で乾燥薬草が作られポーションの増産に向かうことになる。


 魔道具の利益から一部が設計料としてアルフォンスのギルド口座に還元されることも決まる。


 ふと脳内に『これって、不労所得?』という、いつもの声が浮かび眉がぴくりと動くが、すぐ首を振り 『これだけ試行錯誤したんだ。いいよな』と考えた。


 季節は冬の入り口に向かう――。


 アルフォンスは、この機会に一度伯爵領(マリーニュ)へ戻ることを決める。母へ成果を報告し、冬越しの準備を手伝うために。


 出発の朝、工房の前でグラナートが大きく手を振った。


「アル坊! 帰ったら、しっかり温かいもんを食うんじゃぞ!」


「うん! グラも、風邪ひかないように!」


 屋敷の玄関では、ゼルガード公爵が静かに立ち、送り出すように頷いていた。


「本当にお世話になりました。また来てもいいですか?」


「当たり前だ。部屋をあげたんだ、いつでも来い。次も新しい案を引っ提げグラナートを困らせに来るといい」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 門を抜ければ、冬の陽に照らされた街道がまっすぐに延びていた。霜こそまだ降りぬが、空気は澄み、冬の香りがほのかに漂っている。


 肩の袋には、自らの手で乾かした薬草と、新たに得た知見の数々。


 少年は小さな足取りで、再び歩き出す――魔道具師と過ごした幾月を越え、錬金術師としての旅路は、確かに次の章へ進もうとしていた。


2025/10/26 加筆、再推敲をしました。

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