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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第六章 魔法陣、刻まれる意思
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第四節 小さな実験、グラナートとの出会い

 夕刻の斜陽が、ラウンジの床に長く伸びる影を描き出していた。アルフォンスは静かに立ち上がり、湯気の余韻を残す紅茶のティーカップを見下ろす。


 飲み干してから窓辺に目をやり、ほんの数時間前まで続いていた旅路が、もう遠い日の記憶のように感じられる。


 さて、やってみようか――。

 アルフォンスは足を工房スペースへと向ける。設備の配置は、すでに頭に入っていた。


 魔法陣を刻むための広い作業台、整理された素材棚、資材置き場には魔道具用の金属や魔力結晶が整然と収まっている。どの道具にも埃ひとつなく、空気には新しい木材や金属の匂いがまだ残っていた。


 ここが、これから自分の手を動かす場所になる。その事実が、胸の奥をふわりと温める。


 棚から、ひとつの鉄鉱石を選び取った。手のひらより少し大きく、不定形で、煤をまぶしたような黒が混じっている。まだ一度も触れたことのない素材だ。けれど今なら、きっと何かを掴める。そんな予感があった。


 作業台の中央に鉱石を置き、汎用の錬成陣を描く。構成を探り、魔力を通して変質や分離を促す基本の術式。だが金属を対象とする以上、精度が問われる。


 線をなぞり、両手をかざす。土属性の魔力を細く、静かに流し込む。感覚を沈め、石の奥深くへと入り込んでいく。


 反応は、ない――。

 塊の内部は重く、鈍く、魔力を吸いもせず、跳ね返しもせず、ただ沈黙している。どこに何があるのか、まるで掴めない。


 『そもそも鉄って、どう分けるんだ?』


 疑問が浮かび、集中が揺らぐ。その瞬間、どこかおぼろげな記憶が脳裏をかすめた。高熱で熱し、不純物を燃やして分ける。残るのは黒く重い塊と、軽い灰のような層。


 断片的な知識。だが不純物という言葉だけが強く心を引いた。ならばまず、()()を探してみよう。


 表面の煤けた部分に魔力を集める。しかし色や見た目だけでは、魔力は対象を区別してはくれなかった。


 一度、息を整える――。

 指先に意識を集め、土属性の魔力の流れを変える。今度は粒子の密度や質感の違いを探るように、魔力を滑らせる。


 ざらりとした手触り。微細な粒子感。ある部分は魔力が素直に通り、ある部分では濁って絡みつく。


 違う。確かに、混ざっているものが違う。


 感触の違いに沿って、魔力をさらに流し込む。錬成陣が淡く光り、魔力の輪郭が石の奥へと沈んでいった。


 数拍ののち、ばきり――。


 小さく乾いた音がして、鉄鉱石がふたつに割れた。一方は黒く鈍い光を帯びた金属質の塊。もう一方は白く脆い、灰を固めたような軽い層。手に取ると、その差は歴然だった。


「……分けられた」


 アルフォンスは低くつぶやく。わずかながらも確かな手応え。素材の内側に指先が届いた、その初めての感覚だった。


 一度の錬成で、全てを得られるはずはない。だが分けるという行為の意味、その入口に触れた実感が胸に灯っていた。


 視線を鉱石から離した、そのとき――。


「失礼いたします」


 扉が静かにノックされ、控えめな声が響いた。


「先ほどお申しつけいただいた灰と植物油、それから香草の束をお持ちしました」


 銀盆に載せられた素材。白く乾いた灰、金色の輝きを帯びた植物油、小袋に分けられた香草。すべて揃っている。


「ありがとうございます。助かりました」


 深く礼をして受け取り、作業台の端に並べる。


 石鹸も試してみよう――。

 水瓶から水を汲み、軽く両手をかざす。


 『アルカリ水になれ』


 あまりに雑で簡素な念じ方だが、水面がぴりりと震えた。……たぶん、なったことにする。


 そこへ植物油と灰、香草を加え匙で混ぜ合わせる。とろりとした質感と、爽やかな香りが立ち上る。混合物を錬成陣に移し、陣の縁に手を置く。


『反応して、水分が飛び固まって石鹸になる』


 魔力を流す。陣が淡く光を帯び、力が混合物へと染み渡っていく。が、しばらくして現れたのは、半乾きのねっとりした塊だった。


「うーん、思ってたのと違う」


 香りは悪くない。形もそれらしい。だが質感や色味が不安定だ。乾燥不足か、油の分離が甘かったのだろう。


「……手抜きが過ぎたかな」


 アルフォンスは小さく息を吐き、不格好な塊を掌に載せて見つめる。未完成でも、素材を揃え、魔力を用い、自分の意図で形を作り出した事実は変わらない。


 次は、もっと丁寧にやろう――。

 心の中でそうつぶやき、試作品を布で包み、作業台の隅へとそっと置いた。


「ほう――面白いことをしておるのう」


 背後から届いた低い声に、アルフォンスははっとして振り返った。作業場の入口に、いつの間にかひとりの男が立っている。背は低いが、肩幅は広く、がっしりとした体格。


 胸元まで伸びた茶色の髭は三つ編みに編まれ、鋲打ちの革衣を着込んだ姿は、まるで鍛冶場の親方のようだった。


 丸太のような腕を組み、どっしりと構えるその姿は、大地に根を張った樹木のような存在感を放っている。


「ドワーフ?」


 口から自然とこぼれた言葉に、男は目を細め、口元を緩めた。


「おお、よくわかったのう。ワシらを知っておるとは珍しい」


 男は顎に手をやり、思い出したように続ける。


「っと、いかんな。名乗りもせず話してしもうた。ワシはグラナート。公爵殿に頼まれて来た魔道具師じゃ。あの方には昔から、よう世話になっとる」


「グラナートさん……」


 名を受け、アルフォンスは慌てて立ち上がり、深く一礼した。


「僕はアルフォンスといいます。錬金術を学んでいて、冒険者でもあります。今日は鉄鉱石から鉄を取り出せないか試していました」


「ふむ、錬金術で鉄の精製とは。若いのに骨のある挑戦をする」


 グラナートは作業台の鉱石片を手に取り、掌で転がしながら観察する。


「分離反応、悪くない。魔力の通し方にも工夫がある。粗削りじゃが筋はある」


「ありがとうございます」


 アルフォンスは少し胸を張って答えると、グラナートはにやりと笑う。


「ところで、これとは別に何をこしらえておった?」


 視線を外せずに問われ、アルフォンスは少しだけ躊躇してから口を開いた。


「石鹸です。灰と植物油、それにアルカリ水とハーブを混ぜて錬成の実験をしていました」


「アルカリ水、とな。理屈は通っとる。じゃが()()と言うには、まだ迷いが見えるな」


 図星だった。確信を持てぬまま作業に臨むと、言葉も自然と曖昧になる。見抜かれたようで、頬がわずかに熱くなる。


 そのままふたりは工房を出て、公爵家の離れにあるラウンジへ移った。柔らかな午後の光が窓から射し込み、白磁の茶器と菓子が整えられた丸テーブルを照らしている。


 向かい合って腰を下ろし、湯気を立てるティーカップを手に取った。


「今回、公爵様にお願いしたのは、薬草を乾燥させる魔道具を作りたくて。その、香りや効能を損なわず、水分だけを抜ける仕組みにしたいんです」


 グラナートは静かに頷き、腕を組んだまま天井を仰ぐ。


「水分だけを抜く、か。風や火なら乾かすのは容易じゃが、それでは薬草の組織が壊れ、効能も飛びやすい。錬金術を組み合わせれば、確かに現実味はあるのう」


「はい。ただ魔道具に落とし込むとなると、僕一人ではどうにも」


「よし、少し詳しく話せ」


 グラナートは身を乗り出し、指を折りながら問いを重ねる。


「薬草の種類は? 摘みたてか、干してからか? 乾燥に要する時間は? 全自動化を望むか、それとも手を加える余地を残すか?」


「できればその日のうちに処理したいです。香りも色も成分も、できるだけ損なわず。あとは、扱う人の魔力量に左右されにくく、簡単に操作できるように」


「ふむふむ、風陣式で外周を作り、中心に吸引式の水抽出構造を……いや、それより水を引き寄せる印を核に据えた方が」


 グラナートはぶつぶつと呟き始める。目の奥が輝き、口元の髭も微かに揺れた。職人としての探究心に、はっきりと火が灯ったのだろう。


 その姿を見つめながら、アルフォンスの中にも輪郭を持つ像が形作られていく。


 風で乾かすのではなく、魔力で水だけを抜く。薬草の内側の水分を、魔力で分離する。それができれば、調薬の品質は段違いに安定する。


『いけるかもしれない』


 確信に近い思いが、胸の奥からじわりと広がっていった。グラナートがふと視線を戻し、口角を上げる。


「いいのう。おぬしのような若いのが、まっすぐものづくりに向き合う。それは、わしら職人にとっても嬉しいことじゃ」


 アルフォンスは胸の奥にじわりと熱を覚えた。


 ここからが始まりだ――。

 風印ポーションに続く、新たな()()の結晶を、今度はこの男と共に形にしていく。


 新しい挑戦が、確かに動き出そうとしていた。


2025/10/26 加筆、再推敲をしました。

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