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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第六章 魔法陣、刻まれる意思
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第一節 風の紋、錬成の先

 涼しい風が混ざりだしたマリーニュ伯爵領都(ヴァレオル)――。


 夏の終わりが、静かに森を包み込みはじめていた。木々の葉はなお深い緑を湛えているが、枝葉の隙間から降り注ぐ陽の光には、わずかに秋の気配が混じっている。


 ひんやりとした風が木立をかすめ、草の香りを含んでアルフォンスの頬を撫でた。森の奥は木々の密度がやや薄く、地面が緩やかに起伏を描く一角に立ち、アルフォンスはゆるく息を整える。そして、静かに魔力を練り上げた。


 風と土の属性。自身に宿る二つの属性を意識し、その性質を馴染ませるように魔力の流れを整える――。


 風のようにしなやかに、土のように確かに。足裏に伝わる大地の温み、指先を撫でる空気の揺らぎ。そのすべてに神経を注ぎ、魔力操作の精度を一歩ずつ引き上げていく。


 身体強化も、もはや日常の一部となっていた。もとは薬草採集のために足を踏み入れていた森だが、今や起伏を生かした足運びや、枝葉を避ける瞬時の判断までもが鍛錬の糧となっている。


 ときに小剣を手に短く鋭い連撃を重ね、または掌に収まる丸石へ風を纏わせ、瞬時に射出する。投擲術も次第に身体へと馴染み、動きは一層洗練されていった。


 確実に強くなれている実感がある。


 一方、母ティアーヌの調薬も順調だった。アルフォンスが錬成した乾燥薬草は保存性に優れ、調薬時の手間を大きく減らす。その結果、使用する水薬の品質は安定し、ポーション全体の効能は飛躍的に向上した。


 ティアーヌの手で仕上げられたそれらは、冒険者ギルドでも高く評価され、定期納品の依頼が続いている。


 アルフォンスも錬金術の応用を重ねていた。従来の煮出しによる成分抽出――薬草を煮て有効成分を取り出す工程を、錬成によって省く試みを繰り返し、ついに形にしつつあった。


 成分の選別、混合、再構成。それらを意志と魔力で導き、不要な苦味成分を弾き出す。結果として、味はまろやかに整えられ、子どもや女性にも飲みやすいポーションが完成する。


 仕上げには、瓶の首元に土属性の魔力で刻んだ〈風の紋〉をあしらった。やがてそれは『風印ポーション』と呼ばれ、軽やかな効能と扱いやすさで、冒険者たちの間に静かに名を広めていく。


 その日の夕暮れ、工房の片付けを終えたとき、ティアーヌがアルフォンスに声をかけた。


「乾燥薬草の錬成、安定してきたわね。もう、やり方を覚える段階は終わり。これからは精度を鍛えて、品質をさらに高める時期よ」


 そう言って、簡易な確認用レシピの束を差し出す。これに沿って再現性を磨けば、品質はさらに向上するだろう。


 アルフォンスは急ぎ、乾燥薬草の在庫を整え不在時の備えを整える。


 準備は整った――伯爵家(マリーニュ)を通じ、公爵家(マクシミリアン)への面会願いを手紙にしたためて託す。


 数日後、端正な筆致の了承状が返ってきた。


 あとは旅立つのみ――。

 その夜の食卓。ジルベールとティアーヌを前に、アルフォンスは静かに告げた。


「明日、移動の準備を整え、明後日の早朝に公爵領へ向かうよ」


 二人の瞳が小さく揺れたが、ティアーヌはすぐに柔らかな笑みを浮かべ、穏やかに応じた。


「行ってらっしゃい、アル。しっかり話してくるのよ」

「自分を信じ、頑張ってこい」


 明けきらぬ早朝――。


 夜明けの兆しがようやく空を染めはじめた頃。北方を守る堅牢な城塞都市〈ヴァレオル〉は、まだ薄闇と朝靄に包まれていた。城壁の上では見張りの兵が槍を手に巡回し、城門前の石畳には、早立ちの行商や旅人の足音が響く。


 アルフォンスは軽やかな足取りで城門をくぐり、東へと延びる街道へ踏み出した。目指すは、フェルノート王国北部のゼルガード公爵が治める地、別名〈魔道具都市〉とも呼ばれる要塞都市バストリア。


 乾燥薬草を、より多くの人々の手に――。

 その願いを胸に、アルフォンスの新たな旅が静かに幕を開けようとしていた。


 身体強化の術を巡らせ、風の感覚に意識を澄ませながら、アルフォンスは軽やかに駆け進んだ。靴底を通じて伝わる土の起伏を読み、流れる風の乱れから気配を探る。


 それはもはや、日々の鍛錬の延長に過ぎなかった。


 領都ヴァレオルの石畳を離れ、街道が土道へと変わる頃、空気にわずかな棘が混じりはじめる。伯爵領マリーニュを遠ざかるごとに周囲は荒れ、道沿いの森も表情を変えていく。


 冒険者ギルドで注意喚起されていた盗賊の影。それを確信したのは、三つ目の村を過ぎた辺りだった。


 『前方、風が乱れてる。数……十は超えてる』


 風属性の魔力で行使する探知を深めるまでもなく、耳がそれを告げる。金属がぶつかる甲高い音、短く荒い怒号、土を蹴る複数の足音。


 街道脇の茂みに身を潜め、そっと覗く――。


 道を塞ぐように停まった一台の荷馬車。その周囲で、数人の冒険者が武器を構え応戦している。外側を取り巻くのは、十数人の盗賊。数の差は歴然で、すでに数名の冒険者が負傷し、守勢に追い込まれていた。


「……ッ、誰か……!」


 馬車の影から、一人の商人がアルフォンスを見つけ、声を張り上げる。年の頃は四十前後、品のある外套を纏い、焦りと必死さを湛えた眼差し。


「そこの君! どうか助けてくれ! 一人でもいい、戦えるなら!」


 アルフォンスは軽率だなと思いつつ、即座に頷いた。


「――援護に入る!」


 茂みを蹴って飛び出し、手にした小石へ魔力を通す。風を纏わせ、瞬時に投石。


 一撃目、敵の視線を奪う。

 二撃目、背後から冒険者を狙う盗賊の膝を撃ち抜く。


 膝を押さえた盗賊の動きが止まる。その隙を冒険者が逃さず斬り払い、戦線にわずかな余裕が生まれた。


「後衛に回って撹乱してる奴がいるぞ!」

「構わん、囲まれる前に突破を狙え!」


 数人の盗賊がアルフォンスに向きを変える。


 アルフォンスは後退しながら位置を誘導し、足元に〈風刃〉を這わせて草を裂いた。続けざまに〈そよ撃ち〉で砂塵を巻き上げ、視界を奪う。


 逃げようと足を運んだ盗賊の膝裏を、投石で強引に浮かせた。


「っ!」


 よろめく盗賊の懐へ、冒険者が滑り込み、逆手の短剣で無力化する。


「後衛が上手く崩してくれてる! 押し返せ!」


 戦線が息を吹き返す。冒険者たちの動きは連携を取り戻し、押し込まれた陣形が逆に敵を包み込む形へと変わっていく。やがて盗賊たちは散り散りになり、最後の一人が呻き声をあげて地に伏した。


 静寂が訪れる――。


 息を整えたアルフォンスに、商人が駆け寄り安堵の表情で深々と頭を下げた。


「あの距離で気づき、すぐに駆けつけてくれたこと、すべてに感謝する」


 アルフォンスは謝意にうなずき、「そちらこそ、無事でよかった。怪我人は?」と周囲を見回す。


 先頭で戦っていた冒険者が歩み寄ってきた。落ち着いた動き、そして最後まで解かぬ警戒の眼差しは歴戦の実力者の証。


「君が来なければ危なかった。助かったよ。アルフォンス、だったな?」

「――はい」


 名を聞いた冒険者は、納得したように口元を緩めた。


「やはり。()()()()()()()は本当に君だったのか」


 アルフォンスがわずかに目を見開くと、相手は笑みを浮かべた。


「伯爵領で何度か風印ポーションを見た。まさか作り手が、戦場で風を起こしてくれるとはな」


 その言葉に、商人も目を見張る。アルフォンスは荷袋からポーション瓶を三本取り出し、手渡した。


「軽傷なら、これを。風印なので、効果は安定しています。僕は先を急ぎますので、街で報告と後始末をお願いします」


「わかった、任せてくれ」


 固く握手を交わし、アルフォンスは再び街道を駆けた。その背を見送りながら、冒険者が呟く。


「……やっぱり、風印の錬金術師だな」


 商人が目を細め、「知っているのか?」と問いかける。


「ああ……マリーニュ伯爵領で、静かに風を起こしていた少年さ」


 朝露を散らし、草を分けて駆け抜けるその姿は確かに、街道に吹いた小さな風だった。


2025/10/26 加筆、再推敲をしました。

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