第二節 封じること、導くこと
冒険者ギルドを出たアルフォンスは、肩に革の小袋を掛け領都の北門に向け歩みを向けた。
目指すのは北門を越えた先にある領都北側の南向き斜面。雪解けが早く陽当たりの良いその場所は、春先にいち早く草が芽吹く。祝福の儀を終えたばかりの若者たちが、冒険者として登録後に最初に挑む薬草採集の〈定番〉でもあった。
斜面へ向かう途中、見慣れない顔ぶれの冒険者たちがちらほら目に入る。装備も揃わぬまま、足元を探りながら薬草を物色する姿は、どこか危なっかしい。
「なぁ、風草ってこれで合ってるのか?」
「ちょっ、踏まないで! それ芽が出たばっかりなのよ!」
あちこちから聞こえる初々しいやり取り。
アルフォンスは彼らに声をかけず、足を止めることもなかった。この斜面は、もう何度も歩いている。薬草が好む場所、霜が残りやすい凹地、地熱のこもる岩陰など、身体が自然と道を選んでいく。
あの辺りにあるはず――。
感覚に従い、人影の少ない一帯へと入り込む。
木の根の間に残る霜を避けながら、日だまりの岩のそばに腰を落とす。やはり、そこには陽を受けた風草が顔をのぞかせていた。
根元をそっと確かめ、傷みのないものだけを摘み取る。ヒエ草も、葉の張りや朝露の光沢で状態を見極め、若株のうちに収めていく。
周囲は静かだ。土と草の匂い、鳥のさえずり、吹き抜ける風。そのすべてが、アルフォンスには馴染み深い。
陽が高くなる頃には、小袋の中に春の草がしっとりと収まっていた。芽吹き始めたばかりの季節にしては、質も量も申し分ない。
町へ戻ると、家ではティアーヌが昼食の支度を終えていた。鍋から立ちのぼるスープの香りと、こんがり焼けたパンの匂いが室内を満たす。多くを語らずとも、食卓には静かな満足があった。
食後、アルフォンスは作業台へ向かい、採ってきた薬草を並べる。色、艶、香りを見極め、手早く丁寧に選別し、煮出しの準備に入った。小鍋に薬草と水を入れ、火を灯す。炎の強弱を細かく調整し、香りと色の変化に意識を集中させる。
煮過ぎれば成分は失われ、弱ければ抽出は甘い。教わった基本が自然と手と感覚を動かす。やがて、淡緑色の水薬が小瓶に注がれた。
アルフォンスは深く息を吸う。
魔力を整えて水薬に流し込んでいく。することは簡潔だ。昨日と同じように魔力が馴染まなかったり、弾かれたり――作業台には失敗作の瓶がずらりと並んでいた。
数日、薬草を採集し魔力封入を繰り返したが成功しない――。
この数日、考えては試し、そして失敗を重ねている。積み重なるのは魔力封入に対する違和感。
『魔力制御は体内の魔力を整えること』
何かが決定的に欠けている――その感覚が強くなる。
『体内から出て水薬へ向かう魔力は、すでに体外にある。体外に出ても制御は続くのか?』
アルフォンスは目を開き、自らの手を見つめる。
「そうか! 体外に出るところで途切れている。行き先を示さなければ駄目なのかもしれない」
再び目を閉じ、静かに魔力を感じ取り意識を向ける。押し込むのではなく、寄り添い導くように。あくまで水薬に馴染む柔らかさで――。
『水薬向かい、混ざり、馴染み、定着して欲しい』
静かに魔力を感じ、意識を向ける。押し込むのではなく、寄り添い、導くように。あくまで水薬に馴染む柔らかさで。
もう少し――。
不意に、胸の内へ響く感触。まるで水薬が『まだ足りない』と求めてきたかのような、不思議な気配。その声に応えるように、一度流れを留め、方向を変えて再び滑らかに送り込む。瓶の中で、魔力が静かに溶け合っていく――。
魔力封入を終え、小瓶を見つめる。
『魔力制御は整える。魔力操作は導く。変質は、変える』
その三つが、ひとつの線で結ばれた気がした。特異属性〈変質〉への道筋が、ほんの少し、形を見せたように思える。
瓶を手に、ティアーヌのもとへ向かう。
「できたと思うんだ、これ」
ティアーヌはそれを受け取り、光に透かし、香りを確かめ、やがて小さく微笑んだ。
「ええ、しっかりできているわ」
そう言って、アルフォンスの頭をやさしく撫でる。その温もりこそ、なにより確かな答えだった。
北斜面に芽吹く草のように――。
アルフォンスの中にも、新しい感覚が静かに、しかし確かに根を張りはじめていた。
春の陽が差し込む室内には、薬草と湯気が混じり合ったどこか懐かしい香りが漂っていた。作業台の端に、アルフォンスは自ら仕上げたばかりの水薬の瓶をそっと置く。
瓶の底でゆらめく魔力の残響が、微かに光を帯びて揺れていた。視線を落とした彼は、ふと眉をひそめる。
魔力封入――。
そう呼ばれる工程に、彼は今、はっきりとした違和感を覚えていた。
封入という言葉は、閉じ込めることを指し示す。だが実際に瓶へ魔力を込めたとき、自分の内から引き出し、瓶へと導いた感覚は明らかに違っていた。
押し込むのではなく、寄り添い、馴染ませ、自然に流れ込んでいく、そんな柔らかな接触。
『封入って言葉そのものが、間違っているのかもしれない』
その疑問は単なる言い回しの違いではなかった。封入とは本来、魔力操作の技術なのではないだろうか? そんな思いが、心の内でじわりと形を帯び始めていた。
これまでの常識では、魔力封入は魔力制御を鍛えた先にあるとされてきた。魔力を逸らさず、暴れさせず、整えて流す。ただ整えるだけでは到達できない、もっと深い領域があるのではないか。
そう感じ続けていたのだ――。
思考が胸の内で膨らんでいく。だが、ひとりで抱えるには少し重すぎる問いだった。ふと背後の気配に目を向ける。
「母さん。少し話してもいい?」
食器を布で拭いていたティアーヌが手を止め、静かに振り返る。その瞳は、ただ聞くだけでなくきちんと受け止めてくれる。そんなあたたかさをたたえていた。
「ええ。もちろんよ」
アルフォンスは作業椅子に腰を下ろし、自分の言葉をひとつずつ探しながら話し始める。瓶に魔力を込めたときの違和感、導くように流れた感触、そしてそこから芽生えた〈魔力操作〉という新しい概念。
語りながらも、胸の奥にはまだ確かな形を持たぬ感覚が、手探りで輪郭を探しているようだった。
ティアーヌは一言も挟まず、黙って耳を傾け続けた。やがて話が途切れると、彼女は少しだけ顎に手を添え、斜め上を見つめる。
「……ふうん」
熟考するその様子は、薬草の処方を組み直すときと同じだった。ティアーヌの目が、曇りのない眼差しで息子へと戻る。
「アルの感じたこと、全部を言葉で理解できたわけじゃないけれど、すごく面白いわ」
棚の薬草に目を向けながら、ゆっくりと続きの言葉を紡ぐ。
「たしかに、魔力封入と聞くと、どうしても閉じ込めるって響きになるわね。でも、私が魔力を込めるときに感じていたのは、もっと、染み込ませるとか、包み込むような感覚だったの」
そう言って、ティアーヌは作業台に置かれた瓶を手に取る。光にかざされた水薬は、瓶の中でほのかな輝きを放ち、春の陽差しに穏やかに応えていた。
「これは、とても自然に仕上がっているわ。入れた魔力が居場所を見つけたような落ち着きがある」
静かな声が部屋の空気を和らげる。ティアーヌは再びアルフォンスの方を見て、小さく頷いた。
「魔力制御は、整えるための術。魔力操作は、導くための術。どちらも必要だけれど、今の時代は魔力制御の方にばかり偏っている気がするわ」
ティアーヌは言葉を選びつつ言葉を継ぐ。
「あなたのように、感じて導くことを最初から考えられる人は、少ないのかもしれない――」
言葉はやわらかかったが、その声音には確かな芯があった。
「アル。あなたが感じたその魔力操作の感覚、それはきっと、あなた自身の特異属性〈変質〉に繋がる鍵でもあると思うわ」
ティアーヌは微笑みを浮かべ続ける。
「魔力を整えるだけじゃなく、性質を変える。そのための触れ方を、あなたはもう掴みかけている」
そう言って、ティアーヌは手を伸ばし、そっとアルフォンスの肩に触れた。その掌のぬくもりに、彼は目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
すべてを、うまく説明できるわけじゃない。けれど、この手で感じた確かなものがある。それが術になっていく予感が、確かにあった。
心に芽吹いたその感覚は、やがて技術へと形を変えていくのだろう。――春の大地が新しい芽を育てるように、アルフォンスの中にも、静かに一本の理解が根を張りはじめていた。
2025/10/10 加筆、再推敲をしました。




