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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第四章 祝福の儀、西方の夜明け
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閑話 地図の余白、その先へ

 フェルノート王国の西方――。


 東側と南側を広大な海に囲まれたフェルノート王国。北に目を向ければ、険しい山脈が張り出し、抜け道となる回廊は狭く、山岳地帯と深い森によって固く閉ざされている。さらに、西の辺境もまた分厚い山脈が道を塞ぎ、人々の西へ向かう意欲を削ぎ続けてきた。


 しかし今、長らく「世界の果て」と呼ばれ、地図の端に淡く線を引かれるだけだったその西の地に、海と陸の双方から挑戦する機運が高まっていた。王国の地図に、新たなペンと新しいインクで、世界を塗り替える新しい線が刻まれようとしていた。


 探索に名乗りを上げたのは、陸を知るグリード子爵家と、海を知るノルド子爵家である。二つの家門によるこの共同事業は、当初こそ「無謀」と囁かれたが、両者はそれぞれの持ち場で着実に成果を積み重ねていった。


 先陣を切ったのは、潮の匂いを纏うノルド子爵家の船団だった。


 沿岸を進む船団は、これまで空白だった海岸線の地図を、極めて高い精度で作り上げていった。船体を寄せられないような細かい入江も、小さな小舟を送り込み、隅々まで地図に書き入れていく。船乗りたちが慣れた手つきで羅針盤と鉛筆を操る音が、冬の海を切り裂く波音に混じり響いていた。


 その沿岸担当の船団とは別に、王国の領都リューウェンからは、海流や暗礁など航海に必要な情報を専門に収集する先発隊が、グレアル・ノルド子爵を船団長として出港していた。海流や風向を緻密に調査する彼らの船団は、通常より足は遅かった。二週間ほどの航海で冬の海を抜け、断崖と岩礁が入り混じる荒々しい海岸線の中、ノルド子爵家の船団は、巨大な湾を発見した。


 グレアル子爵は、この巨大な湾の全貌を把握するため、船団を複数に分け、直ちに内部の調査を開始した。各調査船は、湾の広がりや浅瀬の有無、水深や潮流、海底の様子を克明に記録していく。


 しかし、船が進むにつれて、彼らはすぐに一つの勘違いに気づくことになる。


「――湾ではない、これは」


 誰もが息を呑むほど巨大なその水域は、静かに潮の満ち引きを受け入れているものの、どう見ても広大な河口だった。


 船団の船乗りたちは皆、その堂々とした水の流れと、未だ見たことのないスケールに驚愕し、水面を凝視していた。しかし同時に、この驚くべき巨大な河口こそが、西の広大な陸地へと続く確かな入口であると確信した。


 だが、その巨大な河口から内陸へと遡る術は、まだ誰にもなかった。


 その開拓の役目を担ったのが、陸を知るグリード子爵家である。彼らが足を踏み入れたのは、海岸線沿いに広がる森と湿地の領域だった。


 その道のりは想像を絶していた。一歩ごとに足を取られるのは湿地、硬く絡みつく太い蔓、鋭い棘を隠した低木の藪だった。森は侵入者を黙して拒んだ。野営に適した乾いた高地はほとんど見つからず、隊は一旦戻っては別のルートを探ることを繰り返す。


 進む道は単一ではない。広大な地図を埋めるため、複数のルートを同時に探索しなければならなかった。隊の進みは、決して早くはなかった。


 しかし、そんな彼らを支え続けたのも、やはり海を知るノルド家だった。


 ノルド家の令嬢、リサリア・ノルド子爵令嬢が、探索開始前に口にした言葉がある。


「陸を行く彼らが挫けぬよう、海はその背を押し続けます」


 その宣言通り、ノルド家の船団は沿岸に仮設の物資拠点を設け、定期的に補給を実施した。潮の干満を読み、風を掴んで物資を積んだ小船を内陸寄りの入江へ滑り込ませる。


 そこから森を抜ける短い補給路を確保し、食料、薬草、道具をグリード家の隊へと届けた。この周到な支援により物資不足の心配は不要となり、グリード家の隊は根性で森に食らいつき、前に進み続けることができた。加えて、先行偵察で得た地形や獣の情報を共有し、彼らの士気を保ち続けたのである。


 その連携は、建国王の時代から続くノルド家の家風そのものだった。彼らの間には「海は陸を見捨てぬ」という誇りと矜持があり、それは長い時を経てもなお揺らぐことがなかった。


 探索開始から三か月――。


 ある朝、肌に纏わりつくような湿気が、突如として軽くなった。隊の視界を塞いでいた密林の木々はまばらになり、遮られていた陽光が、ついに足元まで零れ落ちる。


「……抜けたか?」


 先頭を進む隊長が、息を呑んで囁いた。


 最後の茂みの陰を払いのけた瞬間、隊員たちの眼前に広がったのは、空と森の全てを映し込む、息をのむほど巨大な水面だった。対岸の輪郭が霞んで見えるほどの大河。


 その水は、緩やかに、しかし力強い意志をもって海へと流れていく。この流れこそが、ノルド家が海側から辿り着いた河口と、一つに繋がっていることを示していた。


 数えきれない水鳥が驚いて群れを成して飛び立ち、陽光を受けた波が銀色のきらめきを返す。それは、長きにわたる苦闘の末に掴んだ、確かな希望の輝きだった。


 ここに道は繋がった――。


 陸と海を結ぶ、西方開拓の動脈が、ついに拓かれたのだ。


 水運の確保、新たな集落の設置、資源の円滑な流通。この大河が王国にもたらす可能性は計り知れない。そして今、この場所は王国の地図に、確かなる開拓の起点として刻まれることになる。


 名はまだない――。だが、この日こそが()()()だ。


 ノルド子爵家とグリード子爵家によるこの記録は、やがて多くの者の知るところとなり、後世の歴史家はこう記した。


「この日、王国の地図は広がった」


 そして、フェルノート王国の歴史はまた、――ひとつ新たな頁をめくったのだった。


2025/10/10 加筆、再推敲をしました。閑話に登場人物を試験的に記載

名前 : 役割/関係性 : 説明/特徴 (Gemini作+補筆)

■グレアル・ノルド : 子爵/船団長 : 海流や暗礁など航海情報を専門に収集する先発隊の船団長を務めた

■リサリア・ノルド : 子爵家長女 : 陸を行くグリード子爵家を支援し、沿岸に物資拠点を設けて定期的な補給を実施した


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