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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第四章 祝福の儀、西方の夜明け
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第二節 王国始動、公爵の真面目な冒険

 春は、王都(リヴェルナ)の石畳をやわらかく包み込みながら、確かな足取りで本番へと歩みを進めていた。高く澄んだ空の下、街路樹の若葉は日に日に色を深め、朝の風はまだ冷たさを残しながらも、頬を撫でるたびにどこか甘やかだ。


 大通り沿いに佇む公爵家タウンハウスも、陽光を受けて白い石壁をやわらかに輝かせている。窓越しに射し込む光は、奥の執務室にまで届き、重厚な机上に整えられた書簡を照らしていた。


 その光の中で、ゼルガード公爵は新たに届いた封書に目を留めていた。


 またやらかした――。


 ゼルガード公爵は封筒を取り封を切り、中身に目を通すと口元に笑みが浮かべた。残りの分厚い封筒を一瞥だけし、部下の制止を聞かずに執務机へ向かった。


 無骨で厳格な印象のゼルガード公爵が、心底楽しげな顔を見せることは滅多にない。執務室の側近たちは思わず視線を交わした。これは未知に出会ったときだけ現れる表情だ。


「実にいい――」


 マリーニュ伯爵から届いた報告書を広げ、目を走らせる。湿地の地形、動植物の分布、生態の観察記録。頁をめくるごとに、その双眸は鋭さと愉悦を増していく。


 地図上を指でなぞり、「ふむ、この密度と相関、どう見ても自然発生とは思えん」と低く呟く。


「小国ひとつ丸ごと呑み込める密度だ。このまま放置すれば、獣の国が生まれるやもしれんな」


 報告束の中の、とある一通の個別記録で指が止まった。


 〈西方探索における個別記録〉


 筆者はアルフォンスという少年。筆跡は幼いが、記述は驚くほど的確で、観察眼と構造的な記録の組み立てが際立っている。


「あの時の子か――」


 去年の西方探索で、八歳にして提出した観察記録。その粗削りながらも冴えた視点が印象に残っていた。だが今回の報告は、あのときの比ではない。判断力、描写力、分析力。すべてが飛躍している。


『この短期間に現場で、ここまで成長するか』


 ゼルガード公爵は、思わず口元を綻ばせ報告書を手に立ち上がる。


「決まりだな。兄上のところへ行く」


 ゼルガード公爵は邸内の通路を大股で王宮に繋がる専用回廊に足を向ける。ためらいもなく王宮の通路を進み、扉を叩くことなく踏み込む。


「兄上! 西方探索の続きが来たぞ!」


 書類に目を落としていたヴァルディス国王は顔を上げ、諦め顔で眉をひそめる。


「ゼル、何度言えば、扉は「緊急だ」……」


 苦笑しつつ書類を受け取り、ヴァルディス国王は一気に報告書を読み進める。その表情は頁を追うにつれ険しさを帯び、最後に重く息を吐いた。


「この湿地、ただの地理異常では済まんな」


「俺もそう見ている。このままでは制御不能になる。先手を打つべきだ」


 ゼルガード公爵の提案を受け、ヴァルディス国王は考え、「まずは調査隊か?」と手順として確認する。


「直属で。騎士三十、魔導士五、治療師三。冒険者三組を加える」


 ヴァルディス国王は少し呆れた顔になり「討伐も視野に?」と、過剰とも思える戦力を提示してきたゼルガード公爵に問いただす。


「必要最小限だ。内部の安全地帯を確保するには避けられん」


 真面目な顔をしているゼルガード公爵をチラ見したあと目を瞑り少し考え、「よかろう、費用は王家で持とう」と許可を与える。


 ゼルガード公爵は深く探求心を満たした面持ちで、礼もそこそこに踵を返し言葉を残す。


「感謝する、兄上。久々に胸が躍る任務になりそうだ」


 以降の準備は迅速だった。三日で部隊編成を完了し、ゼルガード公爵自ら総指揮を執る。


 王都(リヴェルナ)から現地までは長い道のりだ。馬車でマクシミリアン公爵領都(バストリア)まで六日。さらにマリーニュ伯爵領都(ヴァレオル)まで四日、そこから徒歩で三日。最短でも十三日はかかる。面倒なゼルガード公爵は、全行程を騎乗移動とし七日程度の行程とした。


 マリーニュ伯爵には、ミルド村との連絡と案内役としてのアルフォンスの同行を打診する。返書はすぐに届いた。少年はすでに村で迎え入れの準備を整えている、と。


「先に動いていたのか、やはりあの子は先が見えてる。只者じゃないな」


 七日後、真夏と言ってよい厳しい日差しが、風でわずかに和らぐ夕方、ミルド村の入口にたどり着く。ゼルガード公爵は、そこで待つ三人に視線を向けた。


 そこには村長エルマー、精悍な男ジルベール、その傍らに立つ少年がいた。


「ようこそ、遠路をお越しいただきました。狩人のジルベールです。そして息子のアルフォンス」


 少年が一歩前に出る。ゼルガード公爵の目をまっすぐに見つめ、緊張よりも強い意志を込めた声音で告げた。


「アルフォンスです。再調査にあたり、できる限り力を尽くします」


 まっすぐで揺るぎない瞳。自信ではなく確信の声音。報告書に宿っていたものが、そこに立っていた。ゼルガード公爵は深く息を吸い込み、少年に視線を合わせた。


「マクシミリアン公爵家当主ゼルガードだ。アルフォンス、君がいるなら調査は安泰だ」


 その夜、焚き火を囲む宴が開かれた。村人と調査隊の笑い声が混じり合う。湿地の入り口に張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。


 それは束の間の静けさにすぎない――。


 朝霧の漂う薄明のなか、調査隊はミルド村を後にした。北西へ伸びる獣道を、鎧の軋みと草葉を踏みしめる音が一定のリズムで響く。


 整然とした隊列は半日ごとの休息を挟み、三日目の午後、ついに目的の地へと到達する。


 丘陵を越えた瞬間、視界がひらけ景色は一変した。そこは、水と草と霧が織り成す、ひとつの巨大な織物のような大地――。


 葦の帯が地平まで続き、点在する小高い草地は島のように浮かび、合間には藻が漂う水面が広がっている。空には見知らぬ鳥が旋回し、頬を撫でる風は湿り気を含んでやわらかい。


 ゼルガード公爵は足を止め、その光景を静かに見渡した。深い緑と水面が織りなす圧倒的な自然の力に、しばし言葉を失う。


「まるで異国の風景だ。王国の懐に、これほどの()()が眠っていようとは」


 その声音には探索者としての昂ぶりと、指揮官としての警戒とが交じっていた。


 視線を巡らせれば、各所に動物たちの集団(コロニー)が見える。群れは一定の距離を保ちつつも、互いの領域が重なり合うような配置を取り、それでいて不自然さのない、奇妙な調和を見せていた。


「敵意は見えんが、この密度は自然のままではあるまい」


 低く呟くと、ゼルガード公爵は陣頭に立ち、現地拠点の強化と防御陣の構築を命じる。初日の宿営は仮設ながら堅固に組まれ、やがて夕刻、主だった者が作戦卓を囲んだ。


 地図と報告書が広げられ、議題は〈()()〉の是非へと移る。


「いくつかのコロニーを意図的に崩し、反応を確かめたい」


 ゼルガード公爵がそう切り出すと、向かいのアルフォンスに視線を送った。少年の冷静な瞳にゼルガード公爵の意思が映る。


「どう見る?」


 アルフォンスは一拍置き、落ち着いた声で応じた。言葉に迷いは見えない。


「賛成です。ただし、初手から規模の大きい群れに手を出すのは危険です。まずは他群から距離のある小規模な群れで様子を見ましょう」


 その意見に、ゼルガード公爵は即座に重々しく頷く。


 冒険者代表のロディは腕を組み、渋い声を重ねた。長年の経験が警戒を促している。


「同感だ。だが中型以上が混ざってるとなれば、動きは速くしねぇと全体を刺激しかねん。撃ち漏らしは禁物だ」


 騎士団副団長ロベールは静かに頷き、言葉を継ぐ。作戦の詳細を詰める冷徹な思考が窺える。


「主力六名を割ける。魔導士も一名付けられるが、泥濘地では追撃が難しい。投擲や弓、罠を組み合わせたい」


「それならうちのリーナがやれる。弓も罠も十八番だ」


 ロディの言葉に、若い魔導士カイレオンが手を挙げる。その顔には、新しい任務へのわずかな興奮が浮かんでいた。


「幻術で視界を制限できます。攪乱にも使えるでしょう」


 ゼルガード公爵は満足げに頷き、低く告げた。テーブルに広げられた地図に手が伸びる。


「無駄がない。アルフォンス、君の進言が初動を決めた。これが最初の試金石になる」


 アルフォンスは表情を引き締める。彼の目はまだ見ぬ湿地の奥を見据えているようだった。


「ただし探るための一手です。予想を超える連携や知性が見えた場合、即時撤退か第二案への切り替えを」


 空気がわずかに張り詰めたところで、ゼルガード公爵は新たな問いを投げた。危機管理への意識を共有させる。


「拠点の増設はどう見る? 一点籠もりは危うい」


 アルフォンスは迷わず地図を指し示す。その指先が示した場所は、ゼルガード公爵たちも検討していた場所だった。


「北東側に自然の隆起がありました。視界が限られますが、敵からの見通しを遮ることができます。第二拠点の候補に最適だと思います」


 騎士たちは頷き合い、ゼルガード公爵は決断した。


「明朝、偵察班を送る。騎士三名、冒険者一組同行で」


 会議の終盤、ゼルガード公爵は再びアルフォンスへ視線を戻す。本日の議題の核心へと迫る。


「では、最初に崩すコロニーは?」


「第一拠点から北東、丘陵の影の小規模コロニーです。孤立しており、波及は最小限で済みます」


 ロディが腕を組み直し、低く唸った。作戦への具体的なイメージを練り始めている。


「あの辺りならリーナの射も通るし、罠も仕込める」


 ゼルガード公爵はしばし考え、静かに頷いた。決定が下され、テーブルの上の空気が引き締まる。


「決まりだ。明朝、迎撃班を展開しつつ第二拠点の設営を急がせる」


 そして、穏やかな声音で言葉を添える。その言葉は、少年への最大限の信頼を表していた。


「君の眼と声は、この湿地に挑む我々の羅針盤だ。頼りにしているぞ、アルフォンス」


 夜の霧は濃く、焚き火の赤が時折それを照らす――その炎よりも確かに、この地の行く末を灯す意志が、ここにあった。


2025/10/10 加筆、再推敲をしました。

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