表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第三章 眠る森、目覚める心
16/104

閑話 可愛い理由、優しい調薬

 リュミエール・マリーニュには、双子の妹弟がいる……わけではない。彼女は男爵家の三女であり末っ子だ。家の中でも外でも幼い子どもに触れる機会はほとんどなく、幼子に慣れているとは言いがたかった。


 けれど、ここしばらく胸の奥にふわりと温かな高鳴りを感じていた。理由は自分でもはっきりとはわからない。ただ、何か柔らかくて温かいものに惹かれている気がした。


 ある春の午後――。


 領都の伯爵邸(マナーハウス)で、伯母のセラリア伯爵夫人と紅茶を囲んでいた時のこと。春の陽光が差し込む静かな室内で、季節の話題がひととおり過ぎた頃、伯母がカップを傾けながらぽつりと言った。


「そういえば、うちの侍女たちが最近、領都のとある調薬師のお宅に研修で通っているのよ」


 セラリア伯爵夫人は、リュミエールに事の発端から事情を説明した。西方探索で関わりになったアルフォンスという少年の実家で双子が生まれたこと。少年は育児で両親の負担が大きく大丈夫なのか心配していたこと。


「アランは見習いなら特に問題ないと考えていたわ。でもね、これは良い機会だと思わない? ほら、マリューニュ伯爵家は男系だからどうしても幼児と接する機会が少なくて侍女の教育が十分にできてないの」


 少し眉を寄せ、セラリア伯爵夫人は男爵家にも触れ説明を続けていく。


「幸いなことに、セラリアが娘を産んでくれたので男爵家の侍女たちはかなり熟練しているわ。場合によっては、ダルムにお願いすれば何とかなるとはいえ機会は逃す必要もないですしね」


 少し小首を傾げながらセラリア伯爵夫人は声を軽くして続ける。


「機会ということで、今回は侍女たちに持ち回りで調薬店に出向き世話をさせることにしたの。ほら、ゼロンのところがそろそろ懐妊してもおかしくないわ。そうなったときに慌てないようにという意図もあるのよ」


 説明を聞いたリュミエールは、「さすが伯母様ですわ」と機会を逃さず、効果的な手段を選び、そしてアルフォンスという少年に手を貸すことで心象を良くする手をすべて打っている点に感心した。


「で、話を聞く限りではとても可愛らしい双子の赤ちゃんみたいなの」


 リュミエールは目を見張り、「まあ、可愛らしい双子ですって?」と期待に満ちた表情を見せる。珍しく、離れた場所に控えていた侍女のひとりが一歩前に出て口を開いた。


「はい、お二人とも本当に愛らしくて、ミレーユ様とレグルス様とおっしゃいます。笑顔を見るだけで癒やされます」


 その瞳を見て、リュミエールの胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。まるで夢の話を聞いているようだった。


「ミレーユとレグルス」


 思わず名前を繰り返す。そこには、ただの幼子への好奇心ではなく、どこか不思議な親しみが宿っていた。そして、アルフォンスはリュミエールと同じ年で、かつては北西のミルド村に暮らしていたが、現在は母親が領都(ヴァレオル)で調薬店を営み、いずれ家族ごと移り住む予定だという。


「調薬店――」


 その響きに、リュミエールの胸にぽつりと幼き想いの灯がともった。薬草、薬瓶、調薬。男爵家では縁遠い世界のはずだったが、なぜかその響きが温かく魅力的に感じられた。数年前にセラリア伯母様から聞いた話を思い出し当時考えた()()()()()()こともまた思い出した。


 気づけば、リュミエールは自然な流れで訪問の手配を侍女に頼んでいた。そして迎えた、はじめての訪問の日。


「……かっ、可愛い」


 目にした瞬間、リュミエールは思わず膝をつき、その場にしゃがみ込んだ。ふにゃふにゃと動く小さな体。くるりと長い睫毛。柔らかな産毛に包まれた頬が、彼女の心を射抜いた。


 ミレーユは甘えるように指を握り返し、レグルスはじっとこちらを見つめたままにっこり微笑んだ。


「……連れて帰りたい」


 小さな声が漏れたが、侍女の控えめなたしなめる声もどこか遠くに感じられた。


 その日を境に、リュミエールは何度も調薬店を訪れるようになった。赤子の笑顔に癒やされ、ティアーヌの穏やかな口調に耳を傾け、家に満ちる薬草の香りに包まれる時間は、彼女の心をそっと満たしていった。


 ある日、棚に並ぶ薬瓶を眺めながらぽつりと「調薬かぁ」とつぶやくと、ティアーヌは優しく微笑んで「もし興味があるなら、調薬を少しやってみる?」と、リュミエールを誘ってくれた。


「えっ、いいんですか!?」


 驚きと喜びが混じった声が、思わず大きくなる。ティアーヌは頷き、手近な薬草を取り出して、手本を見せてくれた。


「これは風属性の魔力を帯びた葉よ。あなたなら素直に応えてくれるはず。焦らず、呼吸を合わせてね」


 そして煎じ薬の一連の流れを一緒に体験した。


 刻み、測り、煮出し、香りを確かめる。魔力を込めるにはまだ早いが、調薬の基礎には繊細な感覚が必要なことを知った。


「香りが変わりました」


「ええ、そこが境目。よく気づいたわね」


 指先がほんのりと熱を帯びる。魔力ではないが確かに感じる温度と匂いが薬となっていく過程に、リュミエールは言い知れぬ感動を覚えていた。ふと振り返ると、双子が木製のガラガラで遊んでいる。ころころと転がるたび、小さな笑い声が部屋に響いた。


『ここに来るのが、ますます楽しみになっている――』


 そう思った瞬間、胸がきゅっと温かくなった。


 薬草のこと、調薬のこと、双子の笑い声、ティアーヌの落ち着いた声。それらすべてが、リュミエールにとって()()()()()の扉だった。


 帰り際、ミレーユが小さな手でスカートの裾をつかんだ。リュミエールはそっとしゃがみ込み、二人の頬を指先で撫でながら微笑み、「また来ても、いいですか?」とつぶやいていた。


「ええ。ミレーユもレグルスも、あなたが来るのを待っているわ」


 その言葉にリュミエールの心はほぐれるようにほどけた――。


 調薬店の扉を開けると、春の光が差し込んできた。

 春の光に包まれながら、リュミエールは思った。


 ()()()という気持ちだけじゃない――この場所には、もっと特別なものがある気がすると。


2025/10/06 加筆、再推敲をしました。閑話に登場人物を試験的に記載。

名前 : 役割/関係性 : 説明/特徴 (Gemini作+補筆)

■リュミエール・マリーニュ男爵令嬢 : 主人公/末娘 : 男爵家の三女で末っ子。幼子に慣れていないが、双子の赤ちゃんに強く惹かれ、調薬店に何度も通うようになる。

■セラリア・マリーニュ伯爵夫人 : 伯母 : 伯爵家当主の妻。伯爵邸で紅茶を囲み、リュミエールに調薬師の家の事情を説明した。侍女の教育のため調薬店に研修で通わせている。

■アルフォンス : 少年 : 西方探索で伯爵夫人と関わりになった少年。実家で双子の妹弟が生まれ、育児で両親の負担を心配している。かつてはミルド村に暮らしていた。

■ミレーユ : 双子の赤ちゃん : アルフォンスの双子の妹弟の一人(女児)。愛らしく、笑顔が侍女やリュミエールを癒やす。

■レグルス : 双子の赤ちゃん : アルフォンスの双子の妹弟の一人(男児)。愛らしく、笑顔が侍女やリュミエールを癒やす。

■ティアーヌ : 調薬師 : アルフォンスの母親。領都で調薬店を営んでいる。リュミエールに優しく微笑み、調薬を教えてくれた。

■アラン・マリーニュ伯爵 : 伯爵家当主 : 伯爵夫人の夫。見習いを育児支援に通わせることに問題ないと考えていた。

■ダルム・マリーニュ男爵 : 関係者 : リュミエール男爵令嬢の家の侍女教育に影響を持つ可能性がある人物。

■ゼロン・マリーニュ伯爵家長男 : 伯爵家子息 : 奥さんが懐妊してもおかしくない状況にある人物。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ