花が咲くなら
睡眠をとるのを忘れた慈雨です
御花地での出来事から、数週間が経った。
あの夜、俺は澪に会い、泣き、そして別れを受け入れた。
風鈴はもう鳴らない。でも、心のどこかで、今も風の中に澪がいる気がしていた。
母さんとは、あれからほとんど言葉を交わしていない。
気まずさとも、悲しみともつかない沈黙が、家の中を満たしていた。
ただ、一度だけ――
俺がテーブルに置いた澪のカセットテープを、母さんが何も言わず、そっと手に取ったのを見た。
その日の午後。
俺はふと思い立って、澪がよく行きたがっていた近くの公園に足を向けた。
ちょうど彼岸花が咲く季節だった。
朱の花が、風に揺れていた。
そのベンチに、母さんが座っていた。
「……」
言葉が、出なかった。
母さんも、最初は何も言わなかった。
けれど、俺が横に座ると、少しだけ身体が揺れて、目元をぬぐう仕草が見えた。
「澪、ここ好きだったわよね」
母さんの声は、思ったよりも静かで、あたたかかった。
「……うん。よく、花の写真、撮ってた」
「知ってる。帰ってくると、全部私に見せてくれてたから。……“お兄ちゃんは全然センスないけど、私は写真の才能あるでしょ”って」
その言葉に、ふっと笑いが漏れた。
母さんも、小さく笑った。
「……私、ちゃんと向き合えてなかったのかもしれない。あなたとも、澪とも。仕事、言い訳にして」
「……俺も。母さんと話すの、怖かった」
しばらくの沈黙。
それは、あのときのような重苦しいものじゃなくて、
言葉にならなかった気持ちが、風に溶けていくような沈黙だった。
母さんが、バッグの中から小さな風鈴を取り出した。
「澪の部屋から、見つけたの。……“お兄ちゃんとお揃いにするんだ”って言ってた」
「……知らなかった」
「きっと、渡すタイミングを見てたのよ。……あの子らしいわね」
俺はその風鈴をそっと受け取り、手のひらの上で鳴らしてみた。
風が吹くわけじゃないのに、かすかに、音がした気がした。
「ねえ、渚」
「ん?」
「私、少しずつでいいから、あなたと話したい。……澪がそう望んでる気がして」
「……うん。俺も、話したい。母さんと」
涙は、もう出なかった。
けれど、その代わりに、胸の奥がじんわりとあたたかくなっていく。
ふと、空を見上げた。
薄く広がる雲の向こう、やさしい陽の光が差し込んでいた。
朱の彼岸花が、風にそよぐ音とともに、澪の声が聴こえたような気がした。
──「やっと、泣いてくれた。……あとは、笑ってくれたら、もっと嬉しいな」
俺は、母さんと並んで、澪の好きだった場所で、
澪の咲かせた記憶の中で、微笑んだ。
さぁ書くぞ書くぞ!