花の声、風の声
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「明日、天竺葵のお花見があるの。良かったら、おいで」
別れ際に楓がそう言った言葉が、翌朝になっても頭の奥に残っていた。
天竺葵──聞いたことのない花の名前だった。
調べてみると、どうやら古い言い伝えのある花らしい。一年に一夜だけ、紅岬社の奥で咲く。しかも、その夜は“向こう側とつながる”なんて、オカルトめいた話まである。
──死んだ人に会える、夜。
笑い飛ばすには、昨夜の出来事があまりにも不思議すぎた。
澪の風鈴、カセットテープ、風の間。そして、あの夢のような声。
「……澪」
口にしてみると、どこか胸が詰まった。もう何度も呼んだはずなのに、慣れることなんてない。
午後になると、雲がゆっくりと流れて、空が少しだけ茜色に染まり始めた。
俺は、ふらりと家を出ていた。理由なんて、後づけでいい。足が自然と向かった場所──紅岬社。
神社に着くと、境内には人の気配がほとんどなかった。いつものように静まり返っているのに、どこか“待たれている”ような、落ち着かない感じがあった。
「……来たのね」
声のほうを見ると、石段の上に楓がいた。巫女装束ではなく、少し古風な、淡い紫の着物を着ている。その姿が、空の色と溶け合って、どこか現実味を欠いていた。
「天竺葵の花はね、この神社の裏の山道を登った先で咲くの。今夜だけしか見られないのよ」
「……毎年?」
「いいえ。ここ十年くらいは誰も見に来なかった。花が咲かない年もあったから。でも──今夜は、咲く気がしてるの」
言いながら、楓は俺をじっと見つめた。
「“風”がね、呼んでるのよ。あなたを」
少しだけ、風が吹いた。夏の終わりの、それでもまだ熱を含んだ風。でもその中に、どこか懐かしい匂いが混じっていた。
──澪の匂い、に似ていた気がした。
……案内してくれるのか
「もちろん」
楓は静かに頷いて、俺の前を歩き出す。足元には苔むした古道。空には茜が滲み、風鈴の音が、どこかから微かに聞こえた。
まるで、あのときと同じように──風が、何かを伝えようとしているみたいだった。
御花地天竺葵——
紅岬社の奥、山の斜面にひっそりと広がる花の台地。
あの日、澪と笑い合って撮った写真の場所だ。
風に導かれるように、俺はそこに立っていた。
眼下には、咲き乱れる紅い花——
天竺葵が、まるで絨毯のように一面を覆っていた。
どこまでも続く赤。それは血のようでもあり、炎のようでもあり、
それでいて、なぜかあたたかい。
「……なんだ、これ……」
思わず、足がすくんだ。景色が現実のものとは思えなかった。
音が、遠のく。世界が、静かになる。
赤い風が、ゆるやかに吹いた。
花々がそよぎ、その香りが胸の奥に染み渡る。
まるで、呼吸そのものが花の中に溶けていくような、そんな感覚。
——と、ふと気づく。
花の海の中央に、一人の少女が立っていた。
遠くて、顔は見えない。
でも、その姿は、見間違えようがない。
澪。
風に髪が揺れ、白いワンピースがふわりと広がる。
澪は、ゆっくりとこちらに振り返った。
その顔に、いつもの笑みが浮かんでいた。
「……お兄ちゃん、来てくれたんだ」
懐かしい声が、風に乗って届く。
「……どうして……」
俺の問いに、澪は首をかしげるように笑った。
「お花見に来たんでしょ? ほら、今年も、咲いたよ」
ふと、あの日の記憶が甦る。
澪が無邪気にスニーカーを泥だらけにして笑っていた、あの紅い丘。
何も知らず、ただ“楽しい”だけを分け合っていた時間。
「……また、見たかったんだ」
澪はぽつりと呟いた。
「でも……私ひとりじゃ、きれいだねって言えないから」
その言葉に、何かが胸を突いた。
「だから、来てくれて嬉しい」
——言葉が出なかった。
足元がぐらつく。息が詰まる。
次の瞬間、澪がふわりと近づいてきて、その小さな手を、そっと俺の頬に添えた。
「お兄ちゃん……」
その声に、堰を切ったように涙があふれた。
何年も、ずっと閉じ込めていた感情が、どうしようもなく溢れてくる。
「ごめん……ごめん……澪……っ」
嗚咽が、喉からこぼれる。
それでも、澪は微笑んだまま、静かに言った。
「……やっと、泣いてくれた。」
その声は、あたたかく、やさしく、
まるで春風のように、俺のすべてを包んでくれた。
——気づけば、澪の姿はもうなかった。
代わりに、風だけが残っていた。
花々を優しく撫でるように、舞い上がり、また静かに降りていく。
俺はぼんやりと、その場に立ち尽くしていた。
さっきまで、確かにあったはずのぬくもり。
澪の手、声、匂い、笑顔。
それがすべて、遠ざかっていく。
「……澪……」
呼んでも、もう返事はない。
でも、その代わりに、胸の奥が不思議とあたたかかった。
涙はまだ止まらない。けれど、それは悲しみだけの涙じゃなかった。
風が、そっと俺の背中を押す。
ふと、足元に目をやると、そこに、一輪だけ、ほかのどの花よりも真っ赤な天竺葵が咲いていた。
その茎に、何かが結びつけられている。
しゃがみ込んで、それをそっとほどくと——小さな紙片だった。
──《また、来てね》
幼い文字で、そう書かれていた。
ぐしゃりと紙を握りしめて、俺はまた泣いた。声もなく、ただ、こぼれるように。
それはきっと、夢だったのかもしれない。でも、夢じゃないとしか思えなかった。
澪は、本当にそこにいた。
風に乗って、俺に“想い”を伝えてくれた。
「……ああ、もう、勝てないな」
ぽつりとつぶやく。
空を見上げると、雲ひとつない夕暮れが広がっていた。
西陽が、花畑を金色に照らし出していた。
その眩しさに目を細めたとき——
耳元で、チリン……と、風鈴の音がした。
振り返っても、誰もいない。
けれどその音は、確かに、あの風鈴だった。
澪の、風鈴。
「うん……また来るよ」
静かに、御花地をあとにする。
——この花は、澪の記憶。
そして俺の、心の中の灯火だ。終わりじゃない。
ここから、始めていくんだ。澪とともに。
風が、また吹いた。
その音は、まるで「ありがとう」と聞こえた。
ありがとうございました!次からは後日談と別キャラ視点です