紅岬社
寝るのも忘れて書いちゃう人っているよね?
『私の風鈴、不思議なオーラ纏ってると思わない?』
夢の中の澪の言葉が引っ掛かり、悩んでいると気がつけば紅岬社に来ていた。
分かっていたようなタイミングで楓が現れ、微笑んだ。
「その風鈴、澪ちゃんのだったのよね?」
楓の声に、俺は小さく頷いた。
家で一番うるさくてさ。風が吹くたびにチリンチリン鳴るから、俺、夜眠れなくて文句言ってたんだ。
言いたいのに、声が出ない。それでも楓は俺の声が分かったようで
「ふふ、それも澪ちゃんらしいわね」
紅岬社の境内は、ひっそりと静まり返っていた。
けれど、どこか懐かしい風の気配が、肌をかすめる。
「ここではね、風はただの風じゃないの」
「……?」
「風ってね、人の“想い”を運ぶの。悲しみも、願いも、祈りも……ときには“声”さえも」
楓は本殿のほうを見上げながら、優しく話す。
「この社は、昔から“風を祀る場所”なの。嵐を鎮めるため、風の神様に願いを込めて、風鈴を奉納していたって伝えられてるわ」
「……」
「あなたの妹さんの風鈴。とても強い想いが、今も残っているのよ。きっと、まだこの風の中に」
そう言われても、俺には“信じる”ことがまだうまくできなかった。
けれど──風鈴が、また小さく鳴った。まるで、返事のように。
……それって、まさか、澪が……?
そのときだった。
びゅう、と一陣の風が境内を吹き抜けた。
揺れる木々、きらきらと宙を舞う木漏れ日。
そして、俺の胸ポケットから、カセットテープがするりと滑り落ちる。
「……⁉」
しゃがんで拾い上げたそれは、昨夜聞いた澪とのラジオテープだった。
巻き戻した覚えもないのに、カチリ、と再生のスイッチが入る。
『──お兄ちゃん? 聞いてるー? ……まぁ、聞いてなくてもいいけど!』
その声が、静まり返った空気に、くっきりと浮かび上がる。
俺は思わず顔を上げた。
だが、そこに澪はいない。
けれど、確かに“近く”にいる気がした。
楓が静かに口を開く。
「奥に、“風の間”があるの。澪ちゃんの風鈴……少し、調べてみましょうか」
風の間?
そう問おうとしたが、口を開く前に、俺の足が自然とそちらへ動いていた。
──風に、導かれるように。
ここが、“風の間”……
紅岬社の本殿の裏手、苔むした石畳の先に、それはひっそりとあった。
社務所の奥に続く、古びた扉。普通の参拝者はまず目にしない場所。
「この部屋は、神事のときにだけ開かれる場所。……本来なら、見せるべきじゃないんだけど」
楓はそう言って、一枚の鍵を取り出す。
「でも、あなたには、見る権利があると思うの」
重々しく鍵が回され、軋む音とともに扉が開いた。
中は、しんと静まり返っていた。
部屋の中央に据えられた祭壇。その背後には、褪せた風神の掛け軸。
そして、天井からは無数の風鈴が吊るされていた。
「……これ……」
「想いを宿した風鈴たちよ。亡くなった人、消えた記憶、果たされなかった約束。ここには、いろんな“風”が集まってくるの」
確かに、風など吹いていないはずの部屋で……
それらの風鈴が、ごくかすかに、しかし確かに揺れていた。
俺の胸の奥が、何かを思い出すようにざわつく。
「澪の風鈴も、ここに?」
「……たぶんね。強く残った“想い”のある風鈴だけが、ここに辿り着くの。選ばれるように」
楓はそう言って、風鈴のひとつに手を伸ばす。
そのときだった。
──チリン、と澪の風鈴だけが、透き通った音を響かせた。
次の瞬間、風もないはずの空間で、風が吹いた。
まるで何かが通り抜けていったような、温かくて切ない風。
「今の……」
「届いたのよ、澪ちゃんの“声”が。あなたに……きっと、何かを伝えたいのね」
その言葉と同時に、俺の脳裏に、昨夜の夢がふっとよみがえる。
──「私の風鈴、不思議なオーラ纏ってると思わない?」
……まさか、澪はこの場所のことを……?
「この社には、もう一つ秘密があるの」
楓の表情が、ほんの少しだけ陰を帯びる。
「風鈴が鳴ったとき、ふと誰かの声が聞こえるような気がする。あるいは、亡くなったはずの人と、夢で会話ができる。昔から、この社には、そんな“噂”があるの」
「それって、つまり──」
「ええ、“風がつなぐもの”は、時に生と死をも超える。……でもね、聞く覚悟がないと、風は簡単には教えてくれないのよ」
その言葉の重みが、胸にのしかかる。
けれど、それでも、俺は確かに聞いた。
あの夢で、澪の笑い声を。
そして、あの言葉を──
「……“空がきれいだから、私は勝ち”。」
俺はもう一度、風鈴の音に耳を澄ませた。
その先に待っているものが何か、まだ分からない。
けれど、澪の残した“想い”に、もう一度触れたいと思った。
静かに、風が吹いた。
「明日、天竺葵のお花見があるの。良かったらおいで。何か、分かるかもしれない」
次の更新は、多分明日明後日です
次回最終回かも