表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

空がきれいだから

話すことない………

夜が明ける前に目が覚めた。

カーテンの隙間から差し込むわずかな月明かりが、天井に薄い影を作っている。

息を吸うたび、胸の奥が痛んだ。夢の余韻か、それとも──ただの寒さか。


机の上のノートは、昨日と同じページで開かれたままだった。

澪の筆跡。少し丸くて、強く書かれた“やくそく”の文字。

触れれば消えてしまいそうで、閉じることができなかった。


時計の針は、まだ朝の四時を指している。

けれど、眠る気にはなれなかった。

ふと、机の引き出しから引っ張り出した古い箱。

中には、小さな録音用のカセットテープが数本。

「兄と妹のラジオごっこ」と、澪がふざけて書いたラベル。


懐かしいと思う前に、心の奥に何かが沈んだ。

これは、戻らない時間の音。触れてはいけない過去のかけら。


けれど、手は自然とプレイヤーを探していた。


カチリ──

機械音とともに、テープが回りはじめる。


『……えー、おはようございます。渚さん、起きてますか〜? 本日のパーソナリティは、妹の澪です!』


まだ高くて、元気すぎるくらいの声。

眠たい声の俺が、それに文句を言う。


『やめろよ、朝から録るなって言っただろ』


『でもお兄ちゃん、これ将来聞いたら笑えるよ? ……たぶん。』


笑えなかった。

けれど、その声に、自然と呼吸が重なる。


「もう、お兄ちゃんってば〜!」

くすぐったそうに笑いながら、渚の腕に軽くもたれかかる澪。

渚も思わず、つられて——

その口元が、わずかにほころぶ。

……けれど。



「——っ」



笑いかけたその瞬間、自分が“ひとりでいる”ことに気づいてしまう。

クッションの隣に澪はいない。

腕に感じた重みも、ぬくもりも、ただの幻。


目の奥がつんと熱くなる。

笑おうとした顔のまま、固まって動けなくなった。



……もう一度、会いたいと思った。

あの日のままの声に、手を伸ばせたなら。

その想いが、再び風を呼ぶのだと、このときはまだ知らなかった。



いつの間にか母が帰ってきて、夕食の準備をしていた。

呼ばれて、下へ降りる。




「ハンバーグ、澪の好きだったでしょ。……渚も、よく食べてたじゃない」

俺は何も言わず、黙って立ち上がる。

背後で、箸の音が止まった。


あの頃は、あったかかった

でも今、母の味噌汁の匂いさえ、遠く感じる。

家にいるのに、帰ってきた気がしない。


「………食べないの?」

無言でうなずき、部屋に閉じこもった。

これで3日目。学校をサボり続けている。行く気なんて、出てこないから。


その夜遅く。机に突っ伏していたまま、うたた寝をしていた。


ふと目を覚ますと、ドアの前にそっと置かれたお盆。

のせられていたのは、湯気の消えかけた味噌汁と、焼き魚と、そして──


澪の好きだった、たまご焼き。


俺は無言でそれを見つめた。

手を伸ばす。

けれど、すぐには食べられなかった。


ただ、

母が何も言わずに置いていったという、その事実だけが、胸に刺さっていた。


(……なんで今さら)


そう思いながらも、

澪の席だけがぽっかり空いていた、あの日の食卓がふと脳裏に浮かぶ。


箸を手に取る。

一口だけ、たまご焼きを口に運ぶ。


やさしい味が、喉をすべっていった。


何も変わっていないはずの味なのに、涙が出そうだった。



深夜。

テレビの音もない、静まり返った居間。

母はテーブルで、澪のアルバムをめくっていた。

ページの端をそっとなぞる手の動きが、どこかおぼつかない。


台所に水を飲みに来たつもりだったが、足が止まった。


「……この写真、覚えてる?」


母がぽつりと声をかける。

開かれたページには、紅い花の丘で撮った一枚。

渚と澪が、ふざけてお互いに泥だらけのスニーカーを見せあって笑っている。


黙って頷いた。


「この日、澪ったら、お兄ちゃんの真似して、転んだのよ。ふふ……」


笑った声は、すぐにしぼんだ。

写真に目を落としたまま、母はそれ以上何も言わなかった。


渚何も返せなかった。

同じ記憶を見ていても、同じ気持ちにはなれなかった。

その沈黙が、二人のあいだに深く横たわっていた。





夢をみた。

「……なんか、みんなピリピリしてたよな、あの頃」

俺がぽつりとつぶやくと、隣に座る澪がふふっと笑った。


「しょうがないよ。低気圧のせいだもん」

「……は?」

「怒ってるのも、イライラするのも、みーんな低気圧のせい。便利でしょ?」


いたずらっぽく笑うその顔を見て、俺もつられて口元をゆるめる。


「その理屈なら、世界平和も天気次第だな」

「そうなの!だから、空がきれいだとね……」


澪は小さく空を仰ぐ。

夢の中の空は、どこまでも青くて、風がそよいでいた。


「つまり私は勝ち」

自信満々に宣言して、得意げな笑顔。


「何に勝ったんだよ」

「うーん……きっと、昨日の私とか?」

「適当すぎだろ……」


でも、返事をしながらも俺の心には、不思議な安心感が広がっていた。


空がきれい。

だから、澪は今日も“勝ち”。

だから、この夢の中の時間だけは、まだ“穏やか”だ。


──目が覚めるまでの、ほんの少しの間だけ。







「ねぇ、お兄ちゃん?私の風鈴、不思議なオーラ纏ってると思わない?」

次の更新は…明日か明後日です。多分。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ