風を聴く巫女
全く同じ名前の作品あった………まじで申し訳ない改題した方がいいかな?
落ちていた紅い花を拾い、橋を渡った。
意識がはっきりしないまま家についた。
玄関を開けると、味噌と出汁の匂いがした。
懐かしい、はずなのに、もうそれを“あたたかい”とは思えない自分がいた。
靴を脱いで廊下を歩くと、台所で母が背を向けたまま、鍋をかき混ぜていた。
「……おかえり」
答えなかった。
ただ、うなずいた……気がする。
「ご飯できてるわよ。……食べる?」
沈黙。
しばらくして、渚は軽く首を横に振った。
「……そう」
母はそれ以上、何も言わなかった。
湯気がゆらいで、母の輪郭がにじんで見えた。
その後ろ姿は、あまりにも細くて、疲れていて──
でも、やっぱり、近づけなかった。
「…………澪の部屋、掃除したの」
唐突な言葉だった。
「ぬいぐるみ、まだ捨てられなくて……ごめんね」
何も言わなかった。
言葉にしたら、壊れそうだった。自分も、母も。
気配だけを残して、階段を上がる。
部屋のドアを閉めた瞬間、音がすべて遠くなった。
階下から漂ってくる味噌汁の匂いすら、膜を隔てたようにぼやけている。
「……ごめんね」
あの一言が、まだ耳の奥に残っていた。
何に対しての謝罪だったのか。
わからないし、考えたくなかった。
鞄を床に置き、制服のままベッドに沈み込む。
天井を見つめたまま、まぶたを閉じた。
──次の瞬間、音もなく記憶が割れた。
「ほら見てお兄ちゃん、雲がイルカみたい!」
助手席の澪が、窓を指さして笑っていた。
あのときの声。あの笑顔。
いま思えば、少しだけ熱があったような頬。
「風、気持ちいいね。春だもんね〜♪」
窓を少し開けて、彼女はあの歌を口ずさんでいた。
♪あかいはな ひとつさいた……
母が運転席で、「ちゃんとシートベルト締めて」と笑って言った。
何もかもが、いつも通りだった。
何も変わらない、平和な帰り道のはずだった。
けれど——
目の前に、急に現れた光。
叫び声とブレーキ音が混ざり合う。
「澪、危ない!」
母の声が裂ける。
俺は反射的に手を伸ばすが、届かない。
世界が傾き、車体が浮く感覚。
何もかもがスローモーションになって、
窓の外の空が、ぐるりと逆さになった。
「……………っ!!」
視界が白くはじけ、何も聞こえなくなる。
「……ちゃ、…ぜ…………」
——次に目を覚ましたとき、
澪は、もうそこにいなかった。
目を開ける。
暗い天井が、まっすぐに視界にあった。
息が荒い。手が震えている。
それでも、声は、出なかった。
ただ、涙が、ぽたりとこぼれる。
机の上には、澪の残した歌詞ノート。
開かれたページに、あの歌が殴り書きされていた。
♪まっててね まってるよ
やくそくの おかでまた——
ページを閉じると、そのまま目を閉じた。
声にできない想いが、胸の奥で暴れていた。
涙を拭い、無意識のまま机の引き出しを開ける。
……そこに、埃をかぶった古い家族のアルバムがあった。
手に取って、ページをめくる。
小さな澪の笑顔。
浴衣姿で撮った、夏祭り。
砂浜でふたり並んだ足跡。
紅い花が咲いた小高い丘の写真——
その場所は、■■■の咲く丘。
澪と「また行こうね」って約束した、あの場所だった。
「…………」
立ち上がる。
もう陽は落ちかけていたが、靴を履いて玄関を出た
澪との思い出の丘へ向かう途中。
どこかから、また風鈴の音が聞こえた。
チリン……
視線を上げると、薄闇の中、山の中腹に紅岬社の鳥居が見えた。
ふと足が止まり、気づけば階段を登っていた。
坂道を抜け、木々の切れ間を縫うように歩いていくと、急に視界が開けた。
崖に突き出したような丘の上。朱塗りの鳥居が、風に揺れてきしんでいた。
鳥居の先にあるのは、小さな社殿と、そこから吊された無数の風鈴。
誰もいないはずの境内に、風の音だけが満ちていた。
──チリン、チリン……。
同じ音なのに、全部ちがう声のようだった。
古びた風鈴、願い事を書いた紙が括り付けられている風鈴。
楽しげに笑っている声。遠くで誰かが泣いている声。
そのどれもが、俺の胸に突き刺さる。
ふと、拝殿の影に人影が現れた。
白衣に緋袴。淡い黒髪を結い上げた少女が、こちらを見ていた。
目は大きく、けれど底の見えない深さをたたえている。
「……初めまして。」
少女は、軽く微笑む。
「声が、聞こえたんです。風が、あなたを運んできましたから」
「_私は、楓。瑞希楓です。あなたは?」
「……渚」
「渚……成程。いい名前です。」
ですねじゃないのか。
「あなたが“見た”ものは、きっと、風の記憶です。
この神社は──風に乗って残された想いを、つなぐ場所ですから」
息をのんだ。
あの歌。あの花。あの姿。
澪の、最後の“記憶”が、風に残っていたというのか。
「……妹に会いました。澪に。死んだはずの──」
「澪と、渚。綺麗な、水の名前。素敵ですね。……また、会えますよ」
楓はやさしく目を細めた。
「だって、澪さん……“まだ呼んでいます”から」
──風鈴が、鳴った。
それはまるで、遠くから誰かが返事をしたような音だった。
「……じゃあ、死んだ人の声が聞こえるってことか?」
問いは、心の中だけで発した。
でも楓は、不思議とそれに答えるように、視線も合わせずぽつりと言った。
「“ときどき”です。正確には、風に残された想いが届くだけ。
……でも、たまに──誰かの声に、名前を呼ばれることもあります」
(聞こえてるのか……俺の声)
口を動かさずに思ったまま、彼女の横顔を見た。
「怖かったんです、最初は。
でもね、“違う”ってことが、誰かの救いになることもあるって知って──」
チリン。
楓の髪が風に揺れる。
その横顔に、なぜか安心を感じた。
ほんの、少しだけ。
胸の奥に詰まった何かが、動いたような気がした。
境内を出るとき、一度だけ、風鈴を振り返った。
まだ頭の中はぐちゃぐちゃだった。澪の姿、あの歌、そして楓の言葉。
すべてが夢の中の出来事みたいで、現実に戻れずにいた。
鳥居をくぐりかけたそのとき。
背後から、楓の声がした。
「……あなたの声も、きっと風が覚えていますよ」
振り返らなかった。
けれど、その言葉だけが胸に残った。
“声”──
もう、どこにも届かないと思っていた、自分の声。
風が覚えてくれているなら。
もう一度、誰かに届く日が来るのかもしれない。
チリン──と、最後の風鈴が、鳴いた。
はい。新キャラですね~
4話で楓や紅岬社のことを深掘りしていきますので、お楽しみに~
え、3話?ふっふっふ。まあまっといてくださいな