1:サブロウはカラスが嫌いだ
どこにでもいるお兄さんと、ちょっと異色のお姉さんが事件に巻き込まれます。
「カアー、カアー、カア」カラスがうるさい! サブロウはカラスがきらいだ。真っ黒ででかい。声も大きくて品がない。なにかたくらんでいるようで存在が不気味だ。裏山に巣があるようで、何羽も飛んでくる。
今日は日曜日、ゆっくり寝ようと思っていたのに朝から「カア、カア」と合唱だ。
「うるせーな、いいかげんにしろよ!」
サブロウは以前、「退治してやる」と、勇んで長い棒を持って巣に近づいたことがあった。しかしカラスが二羽、バサバサと向かって来ると、怖くなって逃げ帰ってしまった。
あきらめないサブロウは、「よーし、こっちには文明の利器がある」と、レーザーポインターで脅かすことを思いついた。
サブロウは遠くからレーザー光を照射したが、カラスは全然平気だ。
「やっぱこの出力じゃダメか……」
秋葉原でこのレーザーポインターを買うとき、「めいっぱいパワーのあるやつ」と、店員に頼んだのだが、「昔はすごい出力のがありましたけど、いまは規制があるのでパワーは全機種同じです」と言われて、しかたなく、いかにも強そうな外観の機種を買ったのだった。
「ちぇっ、見た目だけか!」サブロウは、カラスに敗北した気持ちになって落ち込んだ。
田中三郎は中堅の機械販売会社の営業マンである。私大の商学部を卒業し、すぐこの会社に入った。機械物は好きではないが、彼は営業部に向いていたようで、成績は上々だ。 しかし仕事柄、機械の知識が豊富なのに反して、なぜかサブロウは手先が全く不器用なのである。
カラスの件で、彼は自宅を防音式にしようと思い立った。都合の良いことに隣は大工だ。隣に頼めばよい。
「ヨーコいる?」
サブロウは寝ぼけたままで隣に行き、陽子を呼び出した。
陽子が出てきた。
「朝から何よ? あなた顔ぐらい洗ったらどう?」
陽子は腕を組んでサブロウを睨んで言った。
「おはよう、もうカラスがうるさくてどうしようもない、窓を防音にしたいんだけど……」
確かにカラスはうるさいけど防音にするほどの事か? 陽子は軽くあしらった。
「何か買ってきて窓にフタをすれば済むんじゃない? ドライバー一本でできるよ」
「ヨーコ、俺にはムリだって知ってるじゃん、やってくれないの?」
泣きそうな顔ね、しかたない、やってやるか、陽子はOKした。
「いいけど仕事だからね! 高いよ!」
「子供のころからだけど、あなたってホント不器用ね、クギも打てないし」
それを聞いてサブロウが反論した。
「家を一軒、まるまる建てられる女がいる方が不自然だろっ! オレは普通だよ!」
星陽子は大工の娘であるだけでなく、生まれつき超、器用な女だ。サブロウの言うことの方が自然かもしれない。
「あんたみたいに超、不器用な人が機械を売るなんて考えられない。きっとみんな騙さ れてるのね」
陽子の言い方に、サブロウはさすがにカチンときた。
「騙すなんてひどい言い方じゃんか、オレはウソを言って売ったことなんてないよ!」
幼なじみのヨーコは、サブロウにはきつい事も遠慮なく言ってしまう。しかし今回はさすがに言い過ぎた。
「ごめん、ちょっと言い過ぎた。でも、おかげで目が覚めたでしょ……」
「もういいよ、おまえのこと女と思ってないから」
「防音工事だけど、来週前半は大工仲間の手伝い仕事があって、そのあと材料が届くとすると、早くても再来週の仕事になっちゃうよ」と、陽子が予定を言った。
いつも陽子に圧倒されているサブロウであったが、たまにはちょっといいところを見せようと、来週後半に開催される機械の展示ショウに陽子を誘うことを思いついた。
「来週金曜日から(東日本工作機械ショウ2020年)があるんだけど見に行かない?」
「いろんな機械が出展されてて、ヨーコが見ても面白いぞ……行くか?」
陽子はサブロウの誘いに乗った。サブロウが営業の時、どんな振る舞いをしているのか興味がある。
会場は横浜の旧山下ふ頭にある新コンベンションセンターだった。海の際に立つ、通称カジノタワーと呼ばれる世界最大のタワーの近くだ。
「すごい……」タワーの近くまで来ると、だれもが見上げてしまう。赤というよりオレンジ色に近いタワーだ。東京にスーパーツリーというタワーがあるのになぜ横浜に、と話題になったが、世界一の高さにして、東京スーパーツリーを圧倒するのが目的だったと言われている。
カジノ法が施行されて数年、横浜にカジノが出来始め、周囲の雰囲気は大きく変わった。カジノの広告塔としての狙いは当たったようだ。
陽子は、大工という仕事柄、タワーの構造に目が行ってしまう。
「三角形の組み合わせでしっかり組めてるみたいだけど、足の根元が異様に太すぎてバランス悪そうね……でもまあ、丈夫過ぎて困ることはないわね」
「やっぱ今日は風が冷たい……服装は正解だったみたいね」
寒いのを予想して陽子はゴテゴテと着込んで来たのだ。
コンベンションセンターに着いた。
「サブロウ……どこにいるの?」
サブロウは出展メーカーのブースを顧客と一緒に見て回るのが仕事だ。顧客の反応を見れば買いそうだとわかると言っていた。さて、サブロウを見つけないと……陽子は彼が居そうなブースを当たった。
いた。サブロウが顧客に説明をしているところだった。
シャキっとしてる。家にいるサブロウとは別人だ。男はスーツを着ると格好良く見える。それだけではない。顧客とメーカーの間に入ってキビキビと動き回っている。目つきも違う。陽子は目を疑った。
「こんにちは」
聞いたことのある声に振り返った。サブロウの同僚、山内さんだった。
「今日、あなたが来るって聞いてました。いまサブロウは商談中ですね」と言って、山内さんはサブロウを目で追いながら陽子を休憩テーブルに誘った。
「サブロウはもうすぐこっちに来ますよ」
陽子はサブロウについて山内さんに聞いてみたかったことがある。
「本人いないから、今のうちに聞きますけど、サブロウの営業成績ってどうなんですか?けっこう売るんですか? 私たち幼なじみなんで遠慮なく聞かせてください」
「抜群です。彼の部門では営業実績第二位です。彼の上にいるのは長年会社一番のベテランの営業マンですけど、その人に迫ってます」
「本当ですか? なんでそんなに売るんだろう? 私の知るサブロウは、だらしなくて弱気で不器用で……」
「それがいいんですよ……営業マンって強そうだとダメなんです。気が弱そうで一生懸命だと、つい応援したくなっちゃうんです。かわいそうだから買ってやるか……ってね」
「それは演技だとバレちゃうんですよ。人柄から染み出たもんじゃないと……」
「そういう意味では彼は天賦のものがあります、私にはマネできません」
なるほど、そうだったのか。陽子は妙に納得した。
サブロウがやってきた。
「なにか私の悪口言ってたでしょう。わかりますよ」
いきなりズバリのサブロウの言葉に陽子は焦った。
「い、意外とちゃんとしてるじゃん。ちょっと見直した」
ヤバイ、ここはサブロウのテリトリーだ……彼のペースに嵌められそうだ、反撃しなきゃ。陽子が次の言葉を探しているとサブロウが追撃をしてきた。
「陽子、ファッションがダサイ! なに、その恰好!」
サブロウの一言に――やられた――たしかに着込んでボテボテの恰好で来てしまった。
「デートじゃないからこれでいいの!」
やっと反撃した陽子であったが、次の一言で勝負がついた。
「これだけ人がいるところに来るからには、女性はファッションに気を使わなきゃ」
「ま、ブスで諦めている娘はそれなり……」
クッソー、やられた。サブロウに仕返しされた。陽子は負けを認めた。
「あんたの勝ち……機械を見せに連れてって」
気を取り直した陽子は、サブロウと一緒に会場を回ると、あるブースに目が留まった。