*8* ちょっと待ってウサギさん!
お酒が入ると人が変わるって文句、よく耳にするよね。
雪のケースをわかりやすく言い表すなら、笑い上戸、泣き上戸ならぬ、怒り上戸でした。
いや、ホントに怒ってるかどうかはわかんない。
ムスッと押し黙ってるから、そう見えるだけかもしれないし……?
「お水……飲める?」
一直線に連れ帰るつもりが、連れ帰られまして。
やっとこさ手を離してもらい、ソファーに腰かけた雪へ、グラスを手渡す。
「ありがとう」
……よかった。両手で受け取った雪は、いつものやわらかな物腰だ。
ホッとしたのもつかの間。
――コクン。
リビングの静けさが、凍りついた気がした。
(あら……あらら?)
そちらにおわすのは、ウサギ系ゆるふわ男子、雪さんですよね?
妖精顔負けチャーミング男子ですよね?
なのになんで……そんなに妖艶なんでしょう?
コクン――
上下する淡雪色の喉。
はぁ……と、悩ましげな吐息。
空のグラスをテーブルに置く指先。
どれも、思わず目を覆いたくなる色っぽさで。
「幸ちゃん……来て」
不意討ちの、おねだり。
――兄さん、酔うと抱きつき魔になるから。
そんなんいつもじゃん、と高をくくっていたのが、間違いだった。
グラスを手渡せるくらいの距離。それすらもどかしいと、立ちつくすあたしの左腕を、強い力がさらう。
雪に倒れ込むまで、まばたき1回分。
「……かわいいね」
雪は、あたしに呼吸をさせないつもりか。
甘い……声が、甘すぎる。頭からハチミツをかぶったみたいだ。
甘ったるいそれは、あたしの肌をじわりと侵食する。
「……見ない、で…………」
「そのお願いは、聞けないなぁ……」
顔を逸らされたって、なんのその。
さらけ出された首筋に、むしろ好機とばかりに、雪は顔をうずめるのだ。
すりすりと、甘えるように。
その左頬で、あたしの胸を探すように。
驚いた心臓が、背筋に電流を走らせる。
「……ドキドキ、してる?」
「えぇしてます! してますともっ!」
「ふふ……」
いやね、ふふ、じゃないですよ!
幸せそうに頬で聴診すんのやめてください、マジで!
「誰かの鼓動は……落ち着くね」
「誰でもいいのか」
「幸ちゃんと、かえくんだけ……」
「楓もなのね!」
「ふたりとも、だーいすきだからね……」
待って……ホントに待って?
言葉遣いは幼いのに、そこはかとない色気が漂っているのは、なぜでしょう?
「……って雪さん! ストップ! スト――ップ! 重い! あたし重いから下ろして!」
「どこが……?」
一瞬気を抜けば、光景がストロボみたいに飛んでる。
あたしは、ソファーに座る雪のお膝の上。
チョコレート色の瞳が、熱っぽく上目遣い。
「たまには、幸ちゃんからしてほしいなぁ……」
ふにふにと、唇をさわられながらお願いされたら、何を? なんて愚問ですよね。
「このお願いは、幸ちゃんだけだよ……?」
……あざとい!
アルコールパワー恐るべし!
「くっ……目、閉じてて、よ?」
長引かせると絶対流される。だからうん、と素直に閉じた直後に、一瞬だけ!
ちゅっ!
「……そんなに噛みつかなくても、ぼく逃げないよ?」
目、閉じててって言ったのに。
クスッと、愛おしげなチョコレート色に映し出されたあたしの視界は、影に覆われる。