*25* ナイショの雨音
「ほっしー弟ってさ」
「柚乃」
「へ?」
「ほっしー弟って長いじゃん。柚乃って呼んでよ」
「……柚乃?」
「うん」
ニッと、ほっしー弟改め、柚乃は満足げだ。
お兄ちゃんのほうはあんなに抗議してたのにねぇ……
「で、俺がなに?」
「ここにいるってことは、柚乃もうちの学生でしょ」
「そうだよ」
「だから、どこの学部かと思って」
「さぁ、どこだろな?」
のらりくらり。
思考が読めない……この時点で、頭が切れるやつってことはわかった。
会ったことはないから、同じ教育学部の線はない、かな。
理学部? 法学部? まさか……医学部なんてことはないよね?
どの問いに対しても、柚乃は否定も肯定もせず、意味深な笑みを浮かべるだけだ。
ていうか、会ったことないのに、柚乃はあたしを知ってた。
まずはそこにツッコむべきだったんだろうけど、ほっしーの前例があると、一方的に知られてた……てことでオッケーかね?
「俺のことはさておき、お急ぎだったんじゃない?」
「……うわああ、そーだよ講義! の前にルーズリーフ!」
「ないわけ?」
「壊滅的に!」
「っはは! 意外とおっちょこちょいだなぁ、ユキちゃんって」
「笑い事じゃないんですけど!?」
「まーまー。梨乃に一言相談すれば万事解決。大喜びで100枚くらいくれる」
「いや、そんなには要らないけども!」
「俺とさっき来たばっかだけどさ、もう教室行ってるはずだから。ハイ行った行ったー」
「ちょ、柚乃!?」
「子猫ちゃんは俺が見とくよ。任せといて」
あたしの考えは、どうやら筒抜けのよう。
グイグイ背中を押されてるところを踏み留まり、一言。
「柚乃は、シフォンケーキ好き!?」
はたと力をゆるめた柚乃は、何事か思い当たったらしい。
「梨乃にあげてたやつ? 悪いね、俺、昔っから甘いの好きじゃなくてさ」
「そこは双子マジック起きないわけね」
「梨乃が好きなモノ、興味はあったよ? けど俺には合わなかった。それだけ」
双子だって、別人。そりゃそうだな。
納得したところで、なにも解決してない。
「じゃあ、柚乃が好きなものって?」
「なに? そんなにお礼したいの?」
「にゃんこ助けてくれたし、服貸してくれたし」
「律儀だね。そうだなぁ……好きかはわからないけど、気になってるモノがひとつだけある」
「……て、手頃な価格のものでお願いします」
「ククッ……そんな強張るなって」
おかしげに震えた声。
なだめるように頭をポンポンしてきた柚乃が、ニヤリと笑みを深めた瞬間だった。
グイッ――
引き寄せられた肩に、トン、と適度な重みがかかる。
「…………え?」
なにが起きたか、すぐにはわからない。
手のひらから滑り落ちた傘が水溜まりを叩く音で、我に返った。
あたしは、黒い傘の中。
右腕に子猫を抱えたまま、左腕で背中を抱く柚乃が、あたしの左肩に顔をうずめていて。
「隙だらけで、かわいいよなぁ……ユキちゃん?」
「えと……ゆ、の?」
「あぁ、その困り顔……俺すげー好きかも」
黒曜石の瞳に上目遣いされ、艶のある吐息が、じかに耳朶へかかる。
「……っ」
「へぇ……煽るの上手いな? 無自覚? そんなに頬染めちゃってさ……ホント、かわいい」
ほっしーと同じ可愛らしい顔立ちなのに、なにこれ、頭が痺れる。
柚乃がなにを言ってるのか、聞き取れない……
「よし、充電かんりょー」
突如訪れた開放感に、呼吸の仕方を思い出す。
次いで戻った聴覚が、サァー……と降りしきる雨音を拾った。
「これでチャラってことで。梨乃にはナイショ、な?」
しぃ、と形のいい唇に人差し指を当てる様は、イタズラっ子のよう。
「梨乃をヨロシクな? ユキちゃん」
いつの間にか拾い上げた傘を握らされる。
すっかり寝入った子猫の前足を持ち上げ、バイバイ。
柚乃に見送られ、あたしは駆け出した。
ふわふわと掴みどころのない感覚に、包まれたまま。
サァー――……
霧雨の音だけが、耳に響いていた。
子猫「解せにゃい……」




