*21* タラレバスパイラル 楓Side
いつもならレポートをしてる夜10時ごろ、ユキさんは、ベッドですっかり寝入っていた。
そっとドアを閉めて次に向かうのは、リビング。
そこではソファーに腰かけた雪兄さんが、小難しい活字を目で追っている。
読書をしているときの雪兄さんは、ポーカーフェイスだ。
はじめて目にしたときなんか、「あれぇ、変な顔してるかなぁ?」なんて笑って返されたよ。
あの笑顔と今とのギャップで、ユキさんが見たら瞬殺モンだろうよ。
「雪兄さん」
「……うん? どうしたの、かえくん」
見上げるチョコレート色は、いつもの雪兄さん。
なんとなく気恥ずかしくなりながら、俺は切り出す。
「ちょっと、おしゃべりしませんか」
* * *
街は寝息を立てるころ。
俺たち兄弟は、ダイニングで向かい合って座る。
静まり返った夜更けに、カラン、と氷の音が響く。
「珍しいねぇ。かえくんが買ってきたの?」
「教授にしょうもない雑用押しつけられたってボヤいたら、なんかビビった下田に献上された」
ヤケ酒決定かよって、軽く殴りたくなったけど。
もったいないから、呑んでやらんこともない。
「兄さん、ジュースもあるよ?」
「ふふ、かえくんばっかにおしゃべりさせるのは、フェアじゃないでしょ?」
負けた。
兄さんが傾けてきたグラスに、開けたばかりの缶の中身を半分注ぐ。
弱いのと、あんまり好きじゃないの。
俺たち兄弟を知ったように弱めのチューハイを持ってくる下田は、ホントお節介だ。
残りの半分をグラスに注いだら、手元から清涼感MAXの香り。
グレープフルーツだって、見なくてもわかる。
「明日仕事あんのに、大丈夫?」
「昨日のは強いお酒だっただけ。このくらい余裕だよぉ」
にこりと笑って、雪兄さんは口をつける。
そういや、ふたりで呑むの初めてだ。
「幸ちゃん眠れてた?」
「寝顔かわいかった」
「ぼくも寝る前に見に行こうっと」
なんて、冗談はこのくらいにして。
コトン。
グラスを置いて、頬杖で見つめてくるチョコレート色は、全部わかってる瞳の色だ。
重い口だけれど、もったいぶらず開こうか。
「……俺たちは、ユキさんに救われてるから」
「うん」
「ユキさん中心じゃなきゃ、世界が回らない」
「そう、だね」
痛感したよ。今日嫌ってほどに。
「雪兄さん、俺……ユキさんが、ちょっと怖くなってきた」
あの子は、自分に負い目を感じすぎてる。
誰かを傷つけたら、同じだけ自分も傷つくべきだって、無意識に思ってる。
それは、親に見捨てられたって過去が、重くのしかかってるから……
だから俺にキスなんてさせちゃうんだ。
その優しさが、俺には怖い。
〝楓にだって、自分の気持ち大事にする権利があるんだから〟
そう言ってくれたユキさんに、俺はなにをしようとしてたと思う?
ユキさんの笑顔のため。
それっぽい理由こじつけて、結局は自分のためだった。
雪兄さんに成りすまして、何度もキスに酔いしれて、素肌のぬくもりに手を這わせた。
あまつさえ、一息に抱いてしまえとも考えた。
きみが思うほど、俺は綺麗じゃない。
このままじゃ、俺みたいなやつに、いつかユキさんが傷つけられてしまうかもしれない……
「距離を取ろうなんて思わないでね。かえくんは、よく幸ちゃんを守ってくれてるよ」
……失言だった。
ユキさんに対する負い目は、俺なんかより雪兄さんのほうがずっと大きい。
歳が離れてるから。
俺が辛うじていられる同じ空間に、雪兄さんはいられない。
「ぼくはね、幸ちゃんだけじゃない、かえくんにも、大学生活を楽しんでもらいたいと思ってる」
雪兄さんの父さん――秋穂さん。
彼が亡くなって間もなかった雪兄さんに、選択肢などなく。
志望大学を諦めてでも短大に進学、資格を取って、すぐにでも就職しなきゃいけなかった。
後に続く、俺のために。
とうさんが病気じゃなかったら?
ウチのお騒がせ母でも、事故に遭わなければ?
そんなタラレバ並べたって、仕方なくて。
「かえくんを責めてなんかいないよ。ぼくは、今のお仕事に満足してる」
俺の手の熱で崩れる氷を、雪兄さんは穏やかに見つめる。
「なにが正しいとか、簡単にはわからないよ。ただね、これは絶対に違うってことを選ばないようにすれば、それだけでいいんじゃないかな」
必ずしも、イエスや、ノーである必要はない。
悩み惑うその心も、また然りだと。
雪兄さんは、選択肢をくれた。
「かえくんは、幸ちゃんをどう思ってる?」
質問ではなく、これはきっと、確認。
「愛してる」
さらけ出す本音に、ふわりと笑顔が現れる。
「じゃあ盗られないように、ぼくがたくさん愛してあげなきゃね」
このとき、この瞬間――目前にいるのは兄ではなく、月森雪という、ひとりの男だった。
「だからきみも、幸ちゃんを愛してあげて。ぼくの愛が、万が一あの子を傷つけたとき……許さない人でいて」
「……はっ、いつのことやら」
期待させるようなこと、言ってくれるな。
内心反論しつつも、ひとりの男として扱われたことは、単純に嬉しかった。
これじゃあ、安物の酒が化けちまうでしょーが。
カランカランと、小気味いい氷の音が聞こえた。
「さ、攻守交代して、次はぼくの番。聞きたいことがあるんでしょ?」
「はは……やっぱすげーわ雪兄さんは」
「どうぞ聞いて? お酒入ってるから、なんでもしゃべってあげる」
乾いた口を潤したら、じゃあ聞こうか。
「星宮っていう、ユキさんの同級生なんだけど。兄さんも会ったんだろ? あいつの家と、月森の関係」
「わーお、思ったよりキツイ一撃きました」
俺もさ、最初はユキさんに馴れ馴れしいだけのガキかと思ってたよ。
けどその様子だと、やっぱ当たってたみたいだな?
俺も知らない兄さんの過去に、どうもまとわりついてやがるってこと。
「月森は、もともと変わった家系だからねぇ……変な風習もあったりして」
「風習?」
「うん。そういうのも含めての長話になるんだけど」
グラスを置いた雪兄さんは両手を組み、まつげが影を作る。
「幸ちゃんと過ごした冬のおかげで、ぼくの過去が清算されたとするなら……ユノくん……星宮梨乃くんの弟くんのことが、唯一の後悔だよ」
〝なんだろう……ほっしーって、雪と話してるとき笑ってなかったの。緊張してたのかな……?〟
雪兄さんが風呂に入ってるとき、ポツリとこぼしてたユキさんもすげーわ……
息を呑む俺の前で、雪兄さんは静かに話し始める。
月森のこと、星宮のことを。
【補足】
雪くんとかえくんは、雪くんパパとかえくんママが再婚した、義理の兄弟。




