*19* きみと相愛傘
水彩筆を落っことしたようなねずみ色が、見渡す限りにじんでいる。
憂鬱な空もようの下で次々と咲く傘の花も、どこか窮屈げ。
「ホッとしたなぁ」
そんな中、晴れやかな雪が太陽の笑顔をのぞかせたのは、大学を出て、街に入ってから。
人通りも多くなってきたし、自分の傘を閉じてエイヤッとクリスマスカラーの中へ避難した反応が、それだ。
「幸ちゃんに会うまで、嫌われたんじゃないかってハラハラだったんだ」
「まぁ、昨日のは正直ビビッたね」
「ですよねー……」
「でもその程度で嫌いになるなんて、やっすい恋愛してませんよ」
「はぅっ! どうしよう、またあふれそう……!」
「我慢して!」
こんな人目の多いところでハグだのキスだのされたら、たまんない。
妥協策として、右手を繋いでみた。そしたら……繋ぎ直された、指を絡める方向で。
さぞご満悦なんでしょうねぇ、と雪を見上げるけど、ふにゃふにゃ笑顔なんてなくて。
「もっとこっちにおいで?」
優しく腕を引かれて、ピタリと肩をくっつける形に。
心臓がひとつ飛び跳ねる間、しとしと、と沈黙の五線譜に雨音がメロディを描く。
きみが声を響かせるだけで、どんな不協和音もとたんにハーモニーを奏でる。
あたしの世界を輝かせるのは、いつだってきみなんだ。
まぶしすぎて、これは夢なんじゃないかと疑問に感じてしまうくらいに。
「遠慮しないで。濡れたら、また身体壊しちゃうよ?」
クリスマスカラーの下で縮こまるあたしに、きみはほら、全部見透かしたような笑顔をくれるの。
「またって……どこ情報よ、それ」
「かえくん。すっごく心配してたよ? 〝ユキさんなにがあったんだーっ!〟って」
聞くまでもなかったか。
楓の名前を耳にして、気おくれしてしまう。
「……ねぇ、雪」
「ん、なぁに?」
家路は大通りを抜けて、噴水広場にさしかかったところ。
白銀の巨大オブジェは、季節を経て、穏やかな春の雨にその生命をたゆたわせている。
……別に狙ったわけじゃないけど、なにか話をするときは、いつもここだな。
一向に歩み出す気配のない沈黙に、雪があたしへと向き直る。
なにを言うわけでもなく、そっと、傘を15°前に倒すだけだ。
その優しさに、勇気をもらった。
「今日のことなんだけど、ね」
ホントのことが言えなくて、楓にイヤな思いをさせちゃった。
雪にも同じ思いはさせたくなかったから……話すことにした。
あたしがどうして身体を壊したのか。
楓とほっしーのやり取りも含めて、全部。
「それは、誰も悪くないよね」
雨の中、独り言みたいなつぶやきを雪は真剣に聞き取ってくれて、話し終わったとき、優しく頭を撫でてくれた。
「幸ちゃんが落ち込むことはないよ。当たり前のことなんだ。女の子なんだから」
穏やかすぎる声に、身体の奥が熱を帯びる。
「ほんとは、ぼくが気遣ってあげなきゃいけなかったんだけど……ごめんね」
「……ん?」
気遣う? なにを?
決まってる。女の子事情を、だ。
とたん、カッと頬が火照るのを感じた。
雨降りの外気にさらされようが、なんのその。
「えと……雪さんがお気に病む必要も、ないかと」
「ううん、幸ちゃんはぼくの彼女さんなんだから、ぼくが守ってあげないと」
スラスラと流暢な受け答えは、雪の姿勢を十二分に示してくれた。
あたしが知らないときも、想ってくれていたこと。
そうして芽生えた意志を、絶やさずにいてくれたこと。
羞恥心とか全部ナシで、あたしの身体のことを、本気で気遣ってくれようとしてる。
雪の中ではそういう段階なんだって、気づいた。
将来を見据えた、本気の気遣い。
「……ありがとう、雪」
「当たり前のことだよ。男だからね」
ふわりとほころんだ笑顔は、雨降りの肌寒さを感じさせないほどあたたかく、優しい。
その最奥には、胸を焦がすほどの熱愛があるのだと知った。
……だったら、あたしは。
こんなに愛情を注いでくれる彼に、なにをしてあげられるだろうか?
「雪も……さ、なんかあったら、あたしに話してね……?」
あたしで力になれるなら、なりたい。
足りなければ、見合うようになるまで頑張りたい。
あたしは、いつだって雪と対等でありたいから。
年下のクセにナマイキだけど、それくらい許して。
雪があたしの彼氏でいてくれるように、あたしを、雪の彼女でいさせてよ。
「幸ちゃんがそばにいてくれたらね、ぼくはそれだけでしあわせ」
「たったそれだけで、いいの?」
「重要なことだよ~。幸ちゃんが一緒にいてくれないと、寂しすぎて死んじゃいそうになる!」
ほら来ました。ゆるふわウサちゃんの、決まり文句。
「雪って、物欲ないよねぇ……」
「そーお? 幸ちゃんは、すっごく高価なお買い物だったと思うけど」
「そーいやあたし、雪にまんまと買われたんだっけか」
「ふふ、人生180°変わっちゃったよねぇ」
「後悔してる?」
「5年もかけて手に入れたんだ。手離すつもりは、毛頭ありません」
あたしは、もうあたしだけのものじゃない。
こつん、とくっつけられた額の温もりから、感じ取ったよ。
「そばにいて。独りにしちゃ、やだからね?」
「ん……」
「ふふっ、やくそく!」
満足げに頬をゆるめて、雪は顔を離す。
代わりに手を差し伸べるんだ。
「ね、帰ろっか。かえくんも先に帰って待ってるよ」
「うん、帰ろう」
繋いだ手の大きさは変わらない。
でも胸を満たした愛情は、熱くて、息苦しいくらい、おっきかったよ。
今日も帰ろうね。
広場の向こう、あたしたちのあたたかい場所へ。
一説によると、人の話し声がもっともきれいに反響するのは、雨の日の傘の中なんだそうです。
ロマンチック……!