永久の夢の国
【夢は楽しい。夢は綺麗。ここは理想の夢の国。さあさ、あなたも踊りましょう。リズムに乗って歌いましょう。全て忘れて永久に、この世界で遊びましょう】
──「さてと。どこから行こうかなぁ」
私は園内マップを広げ、声を弾ませて言った。今日は半袖Tシャツにパーカー、ゆったりめのズボンを履いている。歩き回る気満々の服装だ。
「そりゃ、人気のアトラクションから攻めた方がいいでしょ! 早めに行って、待ち時間を少なくしなきゃね!」
横から私の友達のまいこがマップを覗き込んでくる。彼女は私と似たような格好で、違うのは髪型だけだ。私はポニーテール、まいこはボブだった。
華の女子高生である私は、春休みに同級生のまいこと二人で遊園地に遊びに来ていた。朝の開園と同時に中へ入り、目当ての乗り物を着々と制覇。途中、買い食いしながら二人で写真を撮って、学校の色恋話に盛り上がった。
すごく楽しくて時間がどんどん過ぎていく。けどふと青い空を見上げると、何かを忘れてるような気がした。大事な何かを。
「ね! めい! あれ見て!」
お昼前。まいこが螺旋を描く巨大な建造物を指差す。座らないタイプのジェットコースターだ。背中をベルトで固定して、うつ伏せになるやつ。たぶん乗った人が空飛ぶスーパーヒーローみたいな形になるのだろう。
「あのジェットコースター行こ! 面白そうだし!」
「貴様、正気か」
真顔でつぶやくと、まいこは何でそんなこと言うの? みたいな顔をする。あんたは怖くないんかい。やはり正気じゃない。
「私は待ってるから、まいこ一人で行きなよ……」
「えー! そんなのつまんないよ! 乗ってみたら楽しいかもしれないじゃん! ほら行こう!」
ぐいぐい引っ張られ列に並ばされた。がっちり腕を掴まれている。何か前にもこんなことあったような気がするんだけど……。私はこの後に起こる悲劇を想像して、泣きそうになった。
三十分後、死ぬほど恐ろしい目にあった私は青い顔でベンチにうずくまっていた。腹の立つことにまいこはピンピンしていて、少し離れたところにある店へ飲み物を買いに行った。
「う"うう。まじ気持ち悪っ……」
内臓を激しく揺さぶられて、酔ったのだろう。吐き気が止まらない。何で私がこんな目に。あいつ絶対許さんからな……。回復したらすぐまいこに鉄拳制裁を加えようと心に誓う。
下を向いてうめいていると、地面に揺れる人影が私の前で立ち止まった。まいこが帰ってきたのか? と思って少し顔を上げると、そこには奇抜な服装をしたピエロが立っていた。
「"夢の世界"を満喫されてますか?」
唐突に聞かれて、私は「へ?」と首をかしげた。夢の世界が遊園地のことだと気付くのに、十秒ほどかかる。何で急にそんなことを私に聞くのだろうか。少し気味が悪かった。
「はあ。楽しいですけど」
「そうですか。ならば、まだまだここで遊び続けたいですよね?」
「え。そりゃ、遊ぶでしょ。まだ昼だし」
ピエロは目を細め、頭を深く下げた。
「承知しました。ではそのように引き続き手配しましょう」
「手配? え、ちょっとどういうこと?」
引き留めようとしたが、ピエロは素早く身を翻し人混みへと消えていった。
「何なの、いったい」
ピエロの言葉がやけに引っ掛かる。胸にモヤモヤした物が残っている。気持ちが悪い。
「どしたの?」
「わっ!」
まいこが背後から急に声をかけてきたので、私は大声を出して飛び上がる。まいこが「いやいや、そんな驚く?」と爆笑するから、恨めしい目で下から睨み付けてやった。
「ごめん~。私が悪かったから、機嫌直してよ~」
「……もう絶叫系は二度と乗んないから」
「オッケー! じゃ、落ち着いたらお店見に行こう! みんなにお土産かって帰らなきゃだし」
「お土産かぁ。お金足りるかな?」
「どんだけ買うつもりなのよ」
「だって職場の人と友達と夫と子供たちの分いるじゃん」
「は? 職場? 夫?」
「え……?」
いやいや、待って。今、私、何を言ったの? 私にそんなの居るわけないじゃん。なのに何で……?
考えようとすると、いきなり激しい頭痛が襲ってきて、私は頭を抱えた。まいこは心配そうに尋ねてくる。
「ちょっと、めい! 大丈夫!?」
「うん。大丈夫だから、もうちょっと休ませて」
私は弱々しく言って、目を閉じた。せわしく鳴る心臓の音が聞こえる。
『お母さん』
どうしてだか、二人の子供の笑顔が脳裏に浮かぶ。そして隣に優しい顔の男性も。
誰なの、この人たちは。とても大事なことのような気がするのに、分からない、ワカラナイ。思い出せない──。
割れるような痛みに思考を遮られて、私は気を失ってしまった。
「めい、何ぼんやりしてるの?」
「へ?」
私はハッとして振り返る。横に座るまいこが、眉間にシワを寄せてこちらを見ている。私はというと、なぜかキャラクターの絵の描かれた袋を腕にかけ、地面に座っていた。目の前にはロープが張っており、周りにはたくさんの人が集まっている。時間は夕方近くなのか、空がオレンジ色になっていて、遊園地の景色はキラキラ光る夜の顔に変わっていた。
「えっと。私、ここで何してるんだっけ?」
「えぇ!? 私たち、この中央広場でパレードの場所取りしてるんじゃん! 何忘れてんの!」
「あ。そうだったっけ」
「もう! 大丈夫? お土産見すぎて疲れてるの?」
「そう、なのかな」
作り笑いを浮かべて、曖昧な返事をした。何かがおかしい。さっきまで私は、ジェットコースター前のベンチに居たはず。なのにどうして遠く離れた中央広場に居るのか。しかも時間はもう夕方だ。そこに至るまでの記憶が一切ない。
「なんなの、これは」
強烈な違和感にくらくらする。私は何かとてつもない間違いをしてるように感じた。怖い。考えれば考えるほど、分からなくなる。まるで出口のない迷路に放り込まれたみたいだ。
言い知れぬ恐怖を感じて、辺りを見回す。周りの人たちはわくわくした面持ちで、パレードの始まりを待っている。異常を感じているのは私だけみたいだ。そうこうしているうち、太陽が沈み暗くなった。時計台の針は七時を差し、賑やかな音楽が広場に鳴り響き出した。
「あ! やっと始まるね! 写真撮らなきゃ!」
まいこは嬉しそうにスマホを取り出した。可愛いキャラクターたちがカラフルな光をまとって練り歩く。まいこはきゃー! 可愛い! とはしゃいでいるが、私はそんな気分には到底なれなかった。
「あれ? めい、写真は?」
「あ、うん。私はいいや」
「えー! せっかくの思い出じゃん! 撮ろうよー!」
ハイテンションなまいこに促され、私は渋々スマホを出した。慣れた手つきでカメラ機能を起動しようとしたら、後ろの人に押され間違ってアルバム機能を開いてしまった。
「これは」
私は目を疑った。なぜなら開いたアルバムのサムネイルには、知らない子供の写真があったから。しかも大量に。
寒気がした。恐ろしさで喉の奥が締まる。何で私のスマホにこんな写真があるの? 私、撮った覚えないよ。まさか誰かが私のスマホで隠し撮りしたの?
震える手で、写真の一つを開く。小学生の姉妹がポーズをとって笑っている。次の写真はその姉妹がごちそうを前にピースしている。
次々に写真を確認する。どれもこれも、姉妹は嬉しそうに、こちらを向いている。
それに気付いたとたん、脳内で何かが弾けた。
そうだ。この写真は……私が撮った。この子たちは私の娘だ。私はもう女子高生じゃない。結婚して子供を産んで、仕事をしていた。
していたはずなのに。
「おやおや、びっくり。自分の意思で、記憶を取り戻したのですか」
勢いよく声のする方へ顔を向けた。五メートルほど先に、昼間出会ったピエロが立っていた。
「あんた、何者なの? このおかしな状況はあんたのせい?」
いつの間にか、遊園地には人が一人も居なかった。まいこもパレードのキャラクターたちもみんな消えた。不気味なピエロと私の二人だけが存在している。
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでいただきたい。俺はあなたの願いを叶えたまで」
「私の願い?」
「あなたは嫌気がさしていた。全てに。仕事や家のこと、子供のこと、何もかもを背負い、自分を失っていた」
確かにそうだ。私は疲弊していた。毎日毎日、時間に追われ、幸せを感じる暇もなかった。
「あなたはねぇ、眠りながら強く望んだのですよ。『いっそこのまま目が覚めなければいいのに』と。俺はその願いを聞き入れた。あなたを楽しい夢の世界に閉じ込めてあげたんです」
「じゃあここは夢の中なのね。現実の世界の私は、どうなってるの?」
「そりゃまあ、寝たきりですよね。意識がずっと夢の世界に居るわけですから」
「うそ。そんな……冗談じゃない! 早く元に戻してよ!」
ピエロは腕を組み、首を傾け、ゆっくり問いかけた。
「へぇ。いいんですか? 目が覚めたなら、また元の地獄のような日々に戻るんですよ? ここなら何もしなくていい。お金もいらない。家のこともしなくていい。働く必要もない。子供に煩わされることも、人間関係に悩むこともない。ずっとずーっと、楽しく遊んで暮らせるんですよ?」
私は黙ってピエロの話を聞いていた。確かにこいつの言う通りだ。この夢の世界は、まさに私が望んでいたもの。責任も苦しみも痛みもない。自由で楽しい場所。正直言うと、ここに居たい。全てを投げ捨てて、ここに。
ピエロは私の本心を見抜いているのか、優しく語りかけてくる。
「頑張っても何一つ報われない世界など、まっぴらでしょう? そんな世界は捨ててしまいなさい。あなたは自分のことだけ考えればいいんです。あなたの素直な気持ちを聞かせてください。それで、この話は解決です」
ここに居たい、けど。だったら子供たちはどうなる? 夫はどうなる? 私が居なくても、大丈夫なのかな? 笑顔でいられるのかな?
家族の顔を思い浮かべると、胸が苦しくて痛い。もう楽になりたい。逃げたい。逃げ続けたい。……けど。
私は考えて考えて、やっと覚悟と答えを決めた。それを絞り出すようにピエロへ告げる。
「私は。それでも、帰らなきゃいけない。私を待ってくれる人が居るから。私を必要とする人が居るから」
「……とんだ大馬鹿者ですね。ですが私は悪魔なので、あなたの言うことを聞くつもりはありません。ここから出るのは不可能ですよ」
「じゃあ、私はあんたをこの手で倒す!」
「無茶苦茶ですね。俺に勝てるとでも?」
「もちろんよ! えいやーーー!!」
「いや無理があるでしょう」
私は走り出し、呆れた様子のピエロの頬を殴ろうとした。ピエロは私の拳を手のひらで受けようとして──盛大に吹っ飛ばされた。あまりに私の力が強すぎて、手のひらで防ぎきれず、顔面に拳が直撃したのだ。ピエロは地面に横たわり、鼻血を出している。
「…………な、何故だ。あなたにそんな力あるはずがないのに!」
「これが私の夢で、私の望んだ世界なら、あんたを倒せるようになるなんて簡単! 私が無敵になる姿を望めばいいんだから!」
私は世界に向かって叫んだ。
「目を覚ましなさいよ、私! こんな奴の思い通りになるんじゃないわ! あんたなら出来る! あんたならどれだけ辛くても時間がかかっても必ず何とかするわ! 私は信じてる! 私があんたを一番信じてる!!」
世界が揺れ始める。「やめろ!」というピエロの叫び声がした。しかし揺れは収まるどころか酷くなる。遊園地の乗り物が大きく揺れ、爆発した。ピエロはそれに巻き込まれ、土煙で見えなくなった。一つ残らず壊れていく乗り物や建物。瓦礫と破片が私のところへ飛んでくる。避けられない。
「うわぁああああああああああっ!!」
私は身を縮めた。訪れた鋭い痛みと共に、途切れた意識。突然に目の前の景色が変わる。全身に激痛が駆け巡る。
──ここは…………どこ?
白い天井。薬品の匂い。無機質な機械音。そして──見覚えのある人たちの顔があった。夫と子供たちだ。
「めい」
「お母さん……」
「ママ」
か細い声で三人は私を呼んだ。目が全員、真っ赤だ。ああ。だめだな、私。こんなに大事な人たちのこと、泣かせちゃってる。
どれだけの時間、私は眠ってたんだろう。私が現実から逃げて遊園地で遊び回ってる間、どれほどの時間、この人たちに心配をかけたんだろう。罪悪感と心苦しさでいっぱいになり、胸が詰まって涙が溢れた。
「ごめんね。本当にごめん。もう、どこにも行かないよ」
呼吸器越しに素直な気持ちを伝えた。声はかすれて、たぶん届かなかっただろう。でもそれでいい。一度は忘れてしまった愛しい人たちに、またちゃんと会えたから。
その後分かったことだが、私は車で出勤する際、ぼんやりして単独で事故を起こしたらしい。そこからずっと意識不明の状態が続いてたんだって。
けがが治るのには、ずいぶん時間がかかった。そのせいで独身時代から続けていた仕事も辞めてしまった。職場へ荷物を取りに行った日、意地悪な先輩から散々嫌味を言われたけど、はっきり言ってもう関わらない人だから、嫌われてもどうでも良かった。
けがが完治して家に帰れたのは半年後。
私の居ない間に夫と子供は家事スキルを身につけたらしく、退院した日にお祝いのごちそうを作ってくれた。事故にあう前は、部屋はいつもぐちゃぐちゃだったけど、今はすっかり片付いている。
一人で全部背負わずに、もっと早く家族に頼れば良かったんだなと、今にして思う。逃げ場がないと思いながら苦しんでた日々は、こうしてあっさりと変わってしまったのだった。
──一年後の春休み、再びパートで働き始めた私に、娘たちが提案する。
「ねぇ、お母さん。次の土日は遊園地に行こう」
「お父さんも仕事が休みだって言ってたし! ねぇ、いいでしょう?」
私は笑顔でうなずいてから、低い声色で返した。
「いいけど、お母さんは絶対、ジェットコースターには乗らないからね。昔、友達と乗って酷い目にあったんだから!」
遊園地は楽しくて昔から大好き。けど、遊ぶのはたまにで十分。私は夜、夫と娘たちで日帰り旅行の計画を立てる。
──あれからピエロの悪魔は一度も私の夢に、現れてはいない。きっともう二度と、会うことはないだろう。
【おしまい】
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そしてピエロが苦手、怖かった人は、私の仲間です。