一の件(1)
「で……若旦那はそこまでして、凛をどうしたいんでぇ?」
若者の態度に不信を抱いた幻三郎が問う。
普通に嫁さんが欲しいなら、わざわざ彼の言うように"外堀を埋める"必要などないはずだ。
彼にわからないよう凛に合図を出して持ち出させた酒をすすめながら、あくまで穏やかに話を進めるつもりだ。
「おっ、あんがい気が利くハゲだな」
すっかり油断した若者が、1杯2杯と酒を重ねながら自慢げに話し始めた。
悪意の塊みたいに冷酷な奴だ、と、その話を聞いた幻三郎は思った。
土梯国で最も大きい、殿様が直轄する裁判所に勤める次兄が、酒の勢いで「罪人はいなくならねぇよ」とくだを巻いていたのを鮮明に思い出す。
その愚痴は決して土梯国のお殿様がなさる政を悪し様に言わず、しかし「どんだけいい政をしてもな」と続いた。
次兄の気分が、今さらながら少しだけわかった気がする。
「やっぱ、嫁さんにでもすんのかい」
「嫁だ? はっ、いらねぇよ──オレは一早矢と遊んでいられりゃアいいんだ。あいつにゃとことん金がかかる。といって手下どもとの付き合いもせにゃならんし、酒や美味い物も喰いてぇ。親父の小遣いじゃ足りゃしねぇのさ!」
うまそうに酒をかっ喰らう若者が、全部話してやったぜと言うようなご機嫌な顔を見せた。
働きもせずに喰らう酒はうまいか、と喉元まで言葉が出かかったが、少なくとも己の行状を振り返れば誰にもその類の文句を言いかねる幻三郎である──たとえそれが、遊び人の風上にも置けない性根の腐った奴であっても。
「なるほど。どっかに売り飛ばしてカネに換えちまおうってわけだな」
「そういうこと。この年頃の女は買い手が付きやすいからな。いいカネヅルさ、ろくでなしの親父やいい加減なお袋のいる家に限って、イイ造作の女が生まれるんだから……ははっ、不思議なもんだよなぁ!?」
蓮見一早矢と言えば、近ごろ土梯国で有名になった芝居一座の看板で、とびきりの女形だ。
この若者はおおかた彼に手玉にとられているだけだが(一早矢が心底から惚れるような人物には見えない)、彼に一方的に入れあげて金を浪費しているだろうことはたやすく想像できた。
「で、どーするよハゲ。オレをお役所に突き出すか? 無駄だぜ」
「なぜだ?」
「親父が役人どもに幾ら賄賂積んでると思ってんだよ。オレのお悪戯なんざ、ないも同然になっちまうくらいなんだぜ」
決して自慢できることではないし、はっきり言って罪の自白でしかないのだが……彼の言う通りならば、確かに役所へこの件を持ち込んでもまともに取り合ってはくれまい。
「罪人はいなくならねぇ……か」
「あん? 何だそりゃ」
「気にすんな。兄貴の口癖さ」
さて、どうしてくれようか。
幻三郎は内心で頭をひねった。
腹芸や芝居がうまい方ではないし、決して賢くない自覚もあったりする。
さっきから視界の端で自分の顔を指差してにやついている左右輔に任せた方が賢明かもしれない。
幻三郎は素直に椅子を遊び仲間に譲った。
「聞いたぜ聞いたぜぇ……イイ商売してんねェ若旦那。おいらにも一枚、噛ませとくれよぉ」
いつもよりねっとりとした喋り方で、左右輔が若者におべっかを使う。
爪の先まで整えられた十指を細い顔の前で複雑に組み合わせ、切れ長の目で色気たっぷりに、しかもわずかな上目遣いをしながら見つめる。
まるで売れっ子の女形みたいな仕草だ。
「どうするつもりだ」
「どうもこうもねぇさぁ。いちいち外堀埋めちゃあ売り買いすんのぁ面倒だろうよ。おいらにかかりゃア一発だぜ? 任せとくれよ、アニキぃ~」
整った顔の青年にアニキなんぞと呼ばれて悪い気はしていないらしい。
酒の勢いもあってか、若者がすぐに左右輔の提案に乗った。
表に出せない稼業の話を今夜にでも進めようと合意して、来た時よりも上機嫌で帰って行った。
「な? おいらにかかりゃ一発だったろう、幻三のダンナ」
御上が手を出せない類の悪賢い悪党を騙して汚い金を巻き上げ、持ち主に返す──舌先三寸と美貌とで危ない橋をいくつも渡って来た『自称・人助け請負人』蓮見左右輔が、幻三郎を振り向いて満足そうに笑んだ。
2021/10/24更新。