時任幻三郎(2)
街はずれで細々と家業を続ける刀鍛冶・久良木兵衛は、幻三郎の飲み仲間であり遊び仲間だ。
軽薄なのと不愛想なのが並んで座り、おとなしく芋の煮っ転がしなど食おうものなら、凛は何故だか大笑いするのである。
その長い付き合いから来る気安さからか、一晩で変わり果てた遊び人の姿を見ても、刀鍛冶は文句ひとつ言わずに仕事を引き受けた。
幻三郎はところどころ錆まで浮いてしまった刀が見事に打ち直されるまで、兵衛の仕事ぶりを興味深く真剣に眺めて待った。
「待たせた」
低く渋い声で仕事の終わりを告げた刀鍛冶に、丁重に礼を述べる。
兵衛は少しばかり口角を上げて応えただけだった。
調整して体裁を整えた刀を渡す時も無言といういつも通りの態度だったが、帰り際にたった一言「凛を気にかけてやれ」とだけ言ったのが、幻三郎の気に留まった。
兵衛が何かの助言をくれるなど、よほどのことである。
幻三郎はとるものもとりあえず、ひいきの小料理屋へ足を向けた。
街はずれから中心部まで走っても何の疲れも感じない新しい身体に感謝しつつ、先に来ていた遊び仲間の左右輔をまねて、『しゃもじ』の店内を覗き込む。
手狭な店内がピリピリした空気に包まれている。
いかにも裕福な家の者ですと言ったような格好の客が、凛の小袖の右袖を掴んで引っ張っているように見える。
状況だけを見れば怪しい客を今すぐ鉄拳制裁した方が良い。
だが、役人でもなければ、独断で刀を使うわけにもいかない。
幻三郎が知らないだけで、あの客が凛の幼馴染だったりするかもしれないし、そうならばただの喧嘩かもしれない。左右輔はその心配をしたのだ。
彼が「ダンナ、今はまずいぜ」とすばやく留めてめてくれなかったら、幻三郎は空気も読まずに勝手に突撃してしまったかも知れない。
よく耳を澄ます。思わずと言った調子で凛の袖を掴んだまま、どうやら怪しい客が彼女を口説きにかかっているようだ。
幻三郎は凛とも長い付き合いがある。
もし困っているなら、目線のひとつでもこちらに投げてくれれば即座に助太刀に入れるのだが……この禿げ頭では分からぬかもしれぬ。
あいつが素直に助けを呼ぶタマかねぇ、と、幻三郎の心を見透かしたかのように、左右輔がにんまりする。もう少し待て、と言う意味だ。
何事かをささやかれた凛が、素早く男の手をふりほどいて、その頬を音高く張った。
かわいらしい顔にあからさまな怒りを浮かべている。怒髪天をつくと良く言うが、背まで伸ばして馬の尾のように結んだ黒髪をまさに逆立てんばかりだ。
それを見て、左右輔がようやく幻三郎に合図を送った。
幻三郎はあえて何事も目に入っていないかのように『しゃもじ』ののれんをくぐった。
「よぉ、凛。そんなに怒ってどうしたよ」
「幻ちゃん。ごめんね、ちょっとね」
「おいハゲ、邪魔すんな! 今はオレ様がその女を口説いてやってる最中なんだぜ!?」
まるで自分を意識していない禿げ頭の様子が気に入らなかったのか、男が2人の間に割って入る。
「ご説明どうも。しかし不思議だね若旦那。普通に口説く限りは、この子もこんな怒ったりしないはずなんだけどもよ。……お前さん、一体この子に何を言った?」
「てめぇに関係あるかよクソハゲが! どけオラ!」
土梯国の領土の隅々まで見渡しても、今時こんな露骨な態度をとるゴロツキは珍しい。
猛々しく憤慨する若者を無視して、凛に確認する。
「何を言われた、凛?」
「知らねぇ。外堀は埋めてあるとか何とか……お父ちゃんやお母ちゃんがどうなってもいいのかとか言ってさ。あたし腹ぁ立って先に手ぇ出しちまった」
「……ってことなんだが、どうだい若旦那? 凛の言うことに間違いねぇか? あんた何者だ? だいたい想像つくが、この子の父母に何をした?」
幻三郎の目の奥が笑っていないことに気づいていない若者が言うことには、凛の父をイカサマ博打でだまして、大量の借金を背負わせたらしい。
凛の母親に身売りをさせるか、それとも凛を自分に嫁がせるかと迫り、後者を選ばざるを得ないようにさせたらしい。
彼の遊び仲間に自慢する時のように、若者がせせら笑う。
幻三郎は腕を組んで、彼の話をひたすら聞いた。
2021/10/19更新。