ゆれろ、ゆれろ 3
「ゆれろ、ゆれろ、舟ゆれろ」
静かな低い声が響く。
そこへ波が押し寄せ、舟は大きく前後に揺さぶられた。
「んっ……」
その衝撃で舟に横たえられていた少女が目を覚ました。
「ゆれろ、ゆれろ、舟ゆれろ」
低い声が繰り返す。
眠い目をこすりながら上半身を起こした少女が乗った小舟を、再び波が揺さぶった。
間もなくして少女は状況を理解した。
少し離れた所に停泊している舟に乗った男がまじないの言葉を繰り返しているのだ。
そして、少女はその男を知っていた。
「父さん……!」
真っ白な装束を纏った男を少女が睨みつける。
それは村の神主を務める男だった。
その隣でじっと少女の様子を見つめているのは村長だ。
二人はいつもそうしているように、生贄を乗せた小舟を揺らして沈めようとしていた。
けれど、それは豊漁を願うためではない。
二人にとって邪魔な存在を消すための行為だ。
「ゆれろ、ゆれろ、舟ゆれろ」
神主が繰り返すたびに揺れは大きくなる。
振り落とされそうになりながらも、少女は必至で舟にしがみついた。
「ゆれろ、ゆれろ――」
「大舟ゆれろ!」
神主の声を上回る声量で、少女が叫んだ。
その瞬間。
見上げるほどに高い波が大人たちが乗る舟を呑み込んだ。
大きな飛沫を上げながら打ち寄せた波に少女が乗る小舟が揺られる。
振り落とされそうになるのを必死でこらえ、少女は海面をにらんだ。
「おい! 何をしている!」
「早く俺たちを引き上げろ!」
海に投げ出された二人の男が怒声を上げながら泳いで迫って来ていた。
二人が乗っていた一回り大きく丈夫なはずの舟はすでに木っ端微塵になり木材の破片が波間を漂っている。
このままでは海に引きずり込まれる!
少女は身を固くしたが、舟を漕ぐための櫂はこの舟に載っていない。
男たちに捕まったが最後、共に海の藻屑となるしかないだろう。
「……仕方ないわよね。
ゆれろ、ゆれろ、舟ゆれろ」
少女が呟くと、再び大きな波が小舟を襲った。
全身に海の水を浴びながら、これで最後だなと目を閉じる。
その時、少女は聞いたことのない鳴き声を聞いた。
何事かと目を開けると、そこには大きな魚影があった。
舟よりも十倍以上大きな、恐怖すら覚える大きさの魚影だった。
魚影がみるみるうちに水面へ近付いてきて、水面が盛り上がる。
大きく口を開いたそれは村長と神主を一飲みにしてしまった。
二人を呑み込んだ島のように大きな魚は、呆然とする少女のそばへ寄り添うように静かに水面から顔を覗かせている。
「あなたが、この海の主なのね」
信じられない気持ちでいっぱいになりながら少女が問い掛けると、巨大な魚は肯定するように舟の周りをぐるりと回った。
「あの人たちは早く吐き出したほうがいいわ。あんなものを食べたらおなかを壊してしまう」
言いながら、少女は二人がこれまでしたことを思い出していた。
村の豊漁のためという名目で村の人間をこの場所へ連れて行き、海へ落とすことで口減らしをしていたこと。
いつからかそれを正当な行いとするために若い娘を「巫女」と称して生贄にするようになったこと。
どうせ死んでしまうのだからと「巫女」たちにいたずらをしていたこと。
それらの口封じとして村長と神主は生贄を差し出した家の主人に一年の間生活に困らなくなるような支援をしていた。
たかだか一年分だというのに、村の人間たちはそれすらも有り難がり、異論を唱えることもしなかった。
全てがおかしいと思っていた少女は、少し離れた大きな隣町へそのことを知らせに行こうと考えた。
作戦を実行に移す前に二人に悟られた結果が今のこの状況というわけだ。
「この後どうしようかしら。二人はもういなくなってしまったけれど、村に戻ればきっと私の仕業だってすぐにばれてしまうわ。
……いっそこのまま海に沈んでしまおうかしらね」
冗談めかして言いながら、少女は海へ身を投げた。
少女の白装束の裾に付いていた血が、海水に滲んで薄くなる。
海の主はしばらくの間波に揺られて漂う少女に寄り添っていたが、それに飽きたのか少女を一飲みにして海の底へ帰っていった。
そして、海には空っぽになった舟があてもなく揺れながら漂っていた。
これにて完結となります。
最後までご覧くださりありがとうございました。