6-27 長い長い序曲の終わり
ボルトスとミルクが説明会に行ってから暫くの間、俺は草むらに寝そべりボーッと空を流れる雲を眺めた。こんなに穏やかな気分になったのは久しぶりな気がする。
燦々と照り付く太陽と心地良く吹く風。まるで青空と言う大海を小さな雲の魚群が泳いでいる様な光景に、在りし日の頃が何だか懐かしく感じた。
フィデリオの前世である佐藤翔太は古くから日本を守護して来た退魔の家系に生まれた。その為か、義務教育とは無縁の生活で小学校を卒業どころか通ってすらいない。
何気に前世を含めても学校と言う場所には縁が無い人生だった。知識として学校そのものの概要を知っている程度だったからか、通っている事になんだが感慨深いものがあった。
だからだろうか、と彼は無意識的に学舎で友達を作ったと言う体験を得て心を躍らせていた。前世で密かに憧れを抱いていた事を果たせたのだ。
そんな学友から頼りにされたと言う経験は彼には無い。それは親友とも戦友とも呼べる仲間達からの信頼とはまた違った感情で、最後の方は照れ隠しすら出来ないほど嬉しかった。
「(今にして思えば……前世も今世も異形を殺して銭を稼いでいるから大して変わった事をしてないなぁ。これが俺の性根なのか課せられた呪縛なのか……。どっちなんだろうな……)」
こう言う穏やかな日だと考えても仕方ない様な下らない事を考えてしまう。こう言う考え過ぎて土壺にハマる事が俺の性分であり欠点であると自嘲した。
「(異世界へ転生して15年。偽りの記憶を思い出して10年……本当に色々あった。エリーさんが言うにはここからがフィデリオの物語の始まりだ。
随分と長い長いプロローグだ。ようやく始まる俺の呪縛を思うと憂鬱なってくる……。だから変えるんだ。俺達で明るい未来を手にするんだ)」
俺は静かに決意を固めた。まるで照り付ける太陽が俺の決意を祝福している様に感じた。丁度そんな時、1人の女学生が俺の隣に座り込んだ。
「隣、良いかしら?」
「っ!?」
声がした方を見て思わず目を見開く。そこには原作主人公と呼ばれるアメリアが居たからだ。
「な〜に〜? 驚いた顔をして」
アメリアは驚いて固まる俺を見るとクスリッと悪そうな笑みを浮かべて俺を揶揄う仕草をした。
「……いえ。まさか、高貴なご令嬢さまがこんな所に来るなんて思ってなかったので……」
初対面で揶揄われる謂れがない俺はアメリアの態度に面倒そうな顔をする。しかし、彼女にとってそれがツボに入ったのか少しの間静かに笑っていた。
「ふふっ、確かに。でも、あんなに気持ち良さそうに寝そべって居るのを見てね。羨ましくなったのよ。
私、最近まで平民だったから……。こんな天気なら君と同じ様に寝そべりたいなぁってね」
「そう、ですか……」
アメリアは遠くの空を眺めてさっきまでの俺と同じ様に何かを懐かしむ様な悲しそうな笑みを浮かべていた。
「君ィ〜? ちょっと堅いよ? 敬語じゃなくて良いから普通に話してよ。私はアメリア。アメリア・ペトロ・コメンディア。一応、男爵令嬢をやっているわ。ハイ、君は?」
「……フィデリオ、と言います。敬語に関しては御勘弁下さい。コメンディア男爵家ご令嬢様」
本来ならエリザベートの敵となる立場に居る少女。何も知らない初対面ならきっと警戒心を解いていただろうが、俺には彼女の素朴な表情や何気ない仕草が何処か嘘臭く見えた。
「うーん……まぁ、良いわ。それよりも敬語がダメって言うならせめて名前で呼んでくれないかしら? コメンディアって家名……あまり好きじゃ無いのよ。ダメ……?」
「……それでは、アメリア男爵令嬢様っと?」
「ダメ、長いわ」
「……。アメリア様、でどうか御勘弁下さい」
仲良くなる気はない為、初対面で心の距離を詰め寄られすぎてアメリアとの会話が面倒に思えて来た。凄く凄く嫌そうで疲れた顔をしているとそれもウケた様に笑っていた。
「ふふっ、それで良いわ。私は君の事を……リオって呼ぶけど良いかしら?」
「……お好きにして下さい」
もうどうにでもなれと言う投げやりな感じで諦めた。これが人を誑し込む主人公の性質なんだろうか?
人の心へ土足で踏み込み不快にさせる様な強引な話術。まるで相手の気持ちなんて一切考慮しない自分勝手で自己中心的な在り方に皮肉的な意味で脱帽した。
「ふふっ。リオ、リオね。ねぇ、リオ……聞いても良い?」
「……何でしょうか?」
「リオは1人でここに居るけど友達は居るかしら? 居ないなら私が友達になってあげるわ」
「……いえ、お構いなく。幸いな事に友達や学友には恵まれていますので……。その、お気遣いありがとうございます」
「そう? 無理していない?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
「分かったわ。もし、寂しい思いをしたら私を頼って。きっとリオの助けになるから」
「は、はぁ……。ありがとうございます?」
不意に彼女からドロッと甘くネットリした雰囲気を感じた気がした。魅了を掛けられた訳では無い。俺が感じたただの錯覚に過ぎない筈だ。
「ふふっ。それじゃ、リオ、またね」
「……何だったんだ? アレは……?」
まるで台風の様に去って行くアメリアを俺は唖然として見ていた。だけど俺の心には訳の分からない寒気を帯びた感情と言うしこりが残った
「(アレが主人公か……。初対面の俺に対してあの喋り方は唯のコミュ力の化け物か……? いや、最後の方は明らかに俺が"寂しい"前提で語りかけていた……。
それはつまり出会った頃のエリーさん同様にこの世界へ原作設定が反映されていると思っての発言だ……。ならやっぱり、アメリアも転生者確定か……?)」
俺は結論を焦らず保留にした。発言からしてアメリアは転生者なんだろうが如何にも違和感が拭えなかった。
エリザベートは言った。この世界には原作未来と言う一種のルートが存在している。それはまるで、黄金比の様に緻密に組まれている確定した未来だ。
しかし、その未来に俺やエリザベートと言う異物が混ざり込んだ。結果として原作未来の細部で未来が変化し続けている。
しかし、原作未来にとってアメリアの転生は予め織り込まれている事象だ。その為、俺達と同じ経緯で異世界転生しているかは断定出来ない。
「(何と言うか……さっきの会話で俺の中のアメリア像がなんか違ったんだよな……。もっとこう……現代日本人感? みたいな雰囲気や気配があっても良いと思う……。
擬態や演技が上手いのだろうか……? いや、それにしては自然体と言うか……正直、素朴な何処にでも居る少女って感じだった……。深読みや考え過ぎか……?)」
入学式当日に彼女から放たれた強制魅了の体臭。そんな狡臭い洗脳能力と現代日本の価値観を持つ転生者が、初対面の人間相手にあんな態度で居られるだろうか?
それよりも寧ろその能力がある時点で、変に猫を被る必要が無くもっと態度や言動の端々に傲慢さが出ても不思議では無い筈だ。
何故なら相手はエリザベート同様にこの世界に原作がある事を知っていて、俺と同様に相手の好感度を閲覧出来る可能性が高い。
それでいて魅了を使えば好感度の強制底上げも可能なのだ。そんな人間が所謂原作敵キャラであるフィデリオに対して拍子抜けレベルで普通に接した。
仮に強制魅了の体臭が本人の制御化に置かれていない能力だったとしても、原作未来で自身の命を脅かす可能性が高いフィデリオへの態度では無い。
普通に考えてあり得ない事が起きてしまった。アメリアに対する謎が深まるばかりだ。俺は首を傾げつつも一旦考えを保留して自宅へ帰った。




